私は今以前のように時間をかけて文章を書く気力や体力がなくなってしまっているため、何かややこしそうな問題でモメてたら極力見ないようにしてるのですが。
こういう聡明な方が問題点を整理して書かれた記事を読むとホッとする。
note.com
なので、演劇界の炎上についてはこの記事を読んでください、という以外に特にいうことはないです。
ただ、演劇界に限らず、今って本当に「上手に悲鳴を上げられなかった者」「わかりやすいつらさを持たない者」が淘汰されていく感じの流れができつつあって、それがとても恐ろしいなとは思う。
全世界多方面が深刻なダメージを蒙り悲鳴を上げている今日このごろ、その悲鳴のあげ方のマズさが指摘されSNS上で炎上しまくり薪の王状態となっている
私は演劇界隈の人たちの主張のマズさはその通りだと思うし、それ自体は反省してほしいとも思うが、逆にいうと、この程度の下手さでここまでぼこぼこにされ、「気に入らない」にとどまらず「援助の必要なし」という声が目立つようになってしまうことが恐ろしいなと思う。
態度はともかくとして、今演劇界の人たちは本当にめちゃくちゃきついんだと思う
説明が本当に下手くそなので、それがどの程度きついのかはわからないが、
本来表現のプロであり観客を誰よりも意識しているはずの方々が
「他業界を下に見る」言い方をしたり、他国の事情を無邪気に語ってしまうなど、こんだけ言葉選びをミスってしまうというのは
普段の意識の問題もあるだろうけれどそれ以上に、余裕が全然ないということなんじゃないかなと思う。
一応一人知り合いに演劇やってる人がいるのだが、きついじゃなくて、すでに活動休止が決定している*1
だからこそ、それを雑な多業種sageなど使わず、外の人向けに丁寧に現状を説明してほしかった
彼らがまずやるべきだったのは、現状自分たちがどのくらいきつい状況にあるかを、「一般の人」相手にも伝わるように説明することだったと私は思う。
「業界の中の人にとっては当たり前」のことを、それが当たり前でない人達に、丁寧に、具体的に、外の人たちの目線に合う形で伝えること。それが一番最初にやるべきことだったんじゃないだろうか。
普段の演劇であれば「理解できないやつは無視して理解できる人を客として扱う」という態度でもよかったのかもしれないが、今回は自分たちは助けを求める側であるという認識なのだから、主体は聞き手側にあるという認識を持ってコミュニケーションをとるべきだったはずだ。
というか、まさに今炎上している平田オリザさんこそが、私にそういうコミュニケーションについて教えてくれた人だった
発達障害由来のコミュ障でかなりきつい目にあって半ばコミュニケーションをあきらめかけていた私は、まさに山田ズーニーさんや平田さんが書いたこれらの本からいろいろと大事なことを学んだつもりである。
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
- 作者:平田 オリザ
- 発売日: 2012/10/18
- メディア: 新書
- 作者:山田 ズーニー
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 文庫
- 作者:山田ズーニー
- 発売日: 2018/03/03
- メディア: 文庫
私はここら辺の本がなかったら最低限のコミュニケーションも取れずにのたうち回って死んでたと思ってて、そのくらいこれらの本には感謝をしている。
私がブログを書き始めたきっかけも山田ズーニーさんの本を読んだからだ。最初は伝わらなくても練習していくごとに改善していくし、何よりも以前に書いたことが積み重なって自分の発言が軽いものでないことを裏付けてくれるという話は自分に希望を与えてくれたから文章をずっと書き続けようと思えた。
また、私は「分かり合えない。意見が違うというだけで私を攻撃してくる」相手に対してあきらめの感情を持っていたけれど、平田オリザさんの本をきっかけにして考えを改めた。「対話」というのはマインドセットと技術であって、それ次第で自分のデッドエンドを回避できるかもしれないという希望を与えてくれたからコミュニケーションについてあきらめずに考えてみようと思うことができた。
数年前からは内田樹さん同様、平田さんもちょっとおかしな方向に進んじゃったと私は感じており、もう著作も読まなくなってしまっていたけれど(私のブログでも平田オリザさんについて言及してる過去記事があるけれど、もうここ数年は言及すらしてない感じですね……)。今でも感謝の念は強く持っている。そんなオリザさんが、今こういう感じでコミュニケーションをしくじりボコボコにされているのを見るのはなんだかとても複雑な気持ちになる。
本当に当事者にとってはばかばかしいことかもしれなくても、ほかの業界の人はそれなりに頑張って説明しようとしていた人たちには感銘を受けた
といっても、私も最初からこうすべきだとわかってたわけじゃない。
いくつかの業界でこの作業をちゃんとやってる人を見て感銘を受けたので、「そうか、こういう時こそ、理解してない人を馬鹿にしないで、きちんと説明しなければいけないんだ」ということをようやく気付けた。
例えば、飲食業界については、はてなブックマークの平均レベルの人たちはだいぶ誤解をしているようだった。私は最初は「本当にはてなブックマークの人たち、業界のことをなんも知らずに勝手な判断を下すよね。それがおかしいと思わないの本当に怖いな」くらいに謎の上から目線を持っていたのだけれど何もしなかった。
そのうちにnoteなどで本当に初歩中の初歩的なことを、丁寧に説明して理解してもらおうとしている人を何人かみかけた。 「こんな当たり前のこと説明する必要ある?」って思ったけど、やっぱりその初歩的な会計の説明をすることによってはじめて、個人飲食店の窮状が理解できたという反応が結構あった。
これを見て、助けを求めるときは「このくらいわかってもらえているだろう」っていう考えは捨てて、誤解がないように丁寧にその状況を伝えなければいけないんだということを痛感した。
松田さんなど、ちょっとどうかと思うロビー活動をしている人もいるけれど、全体的には「まず丁寧に説明をして理解をしてもらう」「他のことに言及せず自分たちの窮状をストレートに訴える」という段階を丁寧に行ってる人がたくさんいてあまり悪い印象を持たなかった。
旅行業やコンビニエンスストア、薬局で務める人たちなんかも、何人もの人がそれぞれ「具体的に」自分たちの窮状を発信していくことによって、ある程度理解が進んでいたように思う。不動産業など難しい業界については全然理解が進んでない気がするけれど、それなりに説明を行っており、今回をきっかけに少しイメージが変わるかもしれないと感じる。
(……本来はこういう報道こそマスコミがやってほしいんだけど実際どうなんですかね? 私テレビみないからわかんない。テレビや新聞はインフォデミックを防ぐためにこういう基礎知識をちゃんと共有してくれているのでしょうか?)
こういったところと比べると、やはり演劇業界はまず前段階としてやるべき「外の人向けに初歩的なところから丁寧に説明する」ということを全然やってくれていないように思う。不動産業界などと同じく「わかりにくい」し、もともと共感を得にくい業界ではあると思うけれど、それでもまず伝えようと試みなければいけないところだったと思います。 平田オリザさんに限らず上のnoteで挙げられていた3名はいずれも「自分側を主語として語る」人たちばかりで、これでは無理だろうと感じました。
黒博物館 ゴーストアンドレディ(上) (モーニングコミックス)
- 作者:藤田和日郎
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黒博物館 ゴーストアンドレディ(下) (モーニングコミックス)
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ただ、「伝えようとしたけど伝わらない」経験を続けていると、相手が信用できなくなるんだろうなと思う
一方で、なんとなく演劇業界がそういう「外に向けて説明しない」態度をとるのも理由はあるのかなと思います。
全然違うって言われるかもしれませんが、私は発達障害で、幼いころから他人どころか家族からも理解されないってのをずっと繰り返し続けた結果としてそもそも自分がどのくらいおかしいのかとか、他人に自分を理解してもらうにはどうすればいいのか、を考えること自体完全にあきらめてた時期ありましたので。
演劇ってただでさえ、「一般の人」には理解してもらえなさそうだしなぁ……。 自分が内側の人間だったら果たして今回諦めずに外に向けて丁寧に発信しようとできただろうかというと自信ない。
何よりも、「上手に悲鳴を上げられなかった」とか「つらそうな状態を丁寧に説明できなかった」からといって助けなくてもよい、という話になっていいのだろうか?
(本当はここからが本題でした)
私はもともと自分がそういう「上手に悲鳴を上げられない者」であるという自覚があるので、「上手に悲鳴をあげられなかった者」はぼこぼこにしてもよい、とか助けなくてよいというような風潮が出てくるとすごく怖い。 そんなだから藤田さんだとか石川さんだとか勝部さん、あるいはそのカウンター側のように「声だけが大きい乱暴者」が両極端側で膨れ上がって我が物顔でふるまうようになるんだと思ってます。声が大きいとか、大げさに被害を訴える人が優先される世の中って私はめちゃくちゃ嫌なんですよね私は。
www.tyoshiki.com
あと、発達障害をとりまく状況は最近になってようやく多少ましになってますが、昔から見捨てられてきたと感じているものとしては、こういう風潮はちょっと怖いんですよね……。
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だから最近炎上してる演劇界の人たちの発言がまずかったのは前提として、今のボコられぶりが果たして納得いくかというと、私はあんまり納得してません。正直今演劇業界を過剰にたたいてる人たち、私が大嫌いな藤田孝典さんとやってることあんまり変わらんと思ってます。
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話の途中ですが力尽きたので結論だけ
今日22時から1時間ほど、地震の際にソフトバンク光の回線が落ちてしまいそこでドタバタしてたせいで続きを書く気力がなくなりました……。
私が言いたかったことは
①こういう状況で、余裕がない状況でも自分の論理を押し出すんじゃなくて外側の人間に向けて丁寧に発信できる人は偉い。すごく偉い。その人たちもっと評価されるべきだと思う。(ちなみに私は普段トーンポリシングを肯定する立場で、上手に助けを求められるよう努力することは絶対に必要だと考える。その努力をまるっと放棄して、群れになって口汚く他者をののしったりリンチをしながら、自分たちが優遇されるべきだという主張をする人間は大嫌いだという点は変わらない)
②一方で、上手にその悲鳴を発信できないからといって、その人たちがぼこぼこにされたり、助けを得られないのを当たり前とするのはちょっとまだ早いのではないか。まだそういう「トリアージ的思考」に入るには早いのではないか。一度それを良しとしてしまったら、さらに状況が苦しくなたっと時に「こんな状況だからこいつも助けずに切り捨ててOK」が可能になってしまう。今の時点ではまだ、その思考ではなく、苦しいという人たちは、直接的な資金援助でなくても助けることを否定するようなところまではいってほしくない
という感じですかね。
追記
switch7 演劇って表現のプロが表現でしくったのならそれはもうさすがに淘汰されざるえないかなぁ
確かにそういう風に受け取れるようなわかりにくい記事になっちゃってると思います。ごめんね。
んーとね。そういうことじゃなくて。冒頭で書いたように、個人的には、演劇業界そのものはどうでもいいのよ。演劇業界単体の話はしてない。でもそれ演劇業界に限った話になると思う?ってことが言いたいんです。
「演劇」だけに限って言えば、別にちゃんと「表現のプロが表現でしくったから」とか「選民思想が」のように特定の理由だというコンセンサスがとれてほかに影響を与えないなら別にいいんですよ。でも、絶対そうならないでしょ? 世間の空気を受けて、特定の人たちに対して「あいつらは救わなくてもよい」という流れが受け入れらたら、確実にそれはよくない流れになるよねと。客観的な基準なんてないんだから「コミュニケーション能力」というか「大衆に支持されるかどうか」で救済されるかどうかが決まるみたいな状況が出来上がってくるよねと。確実に「救わなくていいもの」を選別していく流れになっていくなと。そういう流れになったときに、「自分は助かるから大丈夫」「自分の業界はあの間抜けな演劇業界みたいなことにならないから大丈夫」っていう考え方でいいのかな、と。
*1:私には一番最初の会社に入社時研修の時に何かと世話を焼いていたら仲良くなることができた視覚障碍者の知り合いがいる。その友人は同じく障碍者が集って演劇を行うサークルに所属していた。私は演劇の良しあしはわからないが数年に一度見に行くのを楽しみにしていた。彼らは兼業が多く、演劇だけで食っているプロではないので、今回のコロナ禍も乗り越えられるかと思っていたが、どうもそういうわけにはいかなかったようだ。演劇には訓練や舞台道具、会場費などもろもろで何かと金がかかるためやはり一定の集客が見込めないと存続できないと言っていた