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「口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女もぜんぶ持っていかれる漫画(MASH UP)」はすべてを失ったかに見えた主人公のスッキリした表情がすごく印象的

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「普通の人でいいのに」という作品に関して、ブックマークコメントで渋谷直角さんの作品を連想したと語る人が多かったですね。

この作品が発売されたのは2013年ですが、当時話題になっていた時は絵柄とかサブカルに対して漠然とした拒否感を持っていたので結局読んでませんでした。

ブコメでは「普通の人でいいのに!」はこの作品をマイルドにした作品であり、こちらの方がよりどぎついとのことで面白そうだなあと思って読んでみました。

結果としては、個人的には「ボサノヴァ」の方がはるかにマイルドな作品だったと思うのですが、これはこれで面白かったです。



作品中の各話に共通するのは「ワナビー」であるということ。

この作品は、複数の短編のオムニバス形式になっていて、作品の内容は各話タイトルがそのまんま説明してくれているので詳細は紹介しません。

・カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生&carmy's holiday
・ダウンタウン以外の芸人を基本認めていないお笑いマニアの楽園
・空の写真とバンプオブチキンの歌詞ばかりアップするブロガーの恋
・口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女もぜんぶ持ってかれる漫画(MASH UP)
・テレビブロスを読む女の25年   ※2ページだけのマンガ  

作品中の各話に共通するのは「ワナビー」であるということ。

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メジャー歌手になりたい、お笑い芸人として認められたい、詩人になりたい、売れっ子ライターになりたいなどの欲望が描かれている。

しかし、一作目の歌手を除いてはどの作品も「それ以外」の部分の要素が重要であるかのように描かれている。

ワナビ―って言ってもそればかり考えてられる強い人間はそう多くない。
・有名になりたいことだけを考えていた女は、それ以外のことをないがしろにしすぎたせいであっさり躓いてしまうが、夢破れて路線変更したらそっちの道は結構うまいこといってしまう。
・お笑い芸人志望の男は大口を叩いてはいるが、実際はバイト先の人間関係とか恋愛といった小さいことにとらわれている。
・詩人志望の男はずっと誰も見てないのに見栄ばかりを気にしていて他の人に自分の表現を見せようとせず、ブログには写真と一緒に有名アーティストの発言を引用し、恋人にもその有名アーティストのうんちくを語って聞かせるだけ。
・逆に最後の「口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女もぜんぶ持ってかれる漫画」は逆に全部持っていかれてすがすがしい顔で仕事に取り組んでいる姿がラストに描かれる。


結論としては自分の生き方に悩んでる人が読んだら刺さる作品なのかな、って感じでした。

そして、これらの人々について、作者はよいとも悪いとも決めずに、淡々とその姿を引いた目線から描写しているだけ。

なんか、こういうのを見ていると、ひとりの人間、特に普通の人間って思ってる以上にキャパシティが小さくてちょっと日常とか入りこんじゃうとすぐに一杯になっちゃうし、夢を追いかけたいときはあれもこれも持ってられないんだなぁ、って思う。でも、そうやって日常の些事に一喜一憂しながら生きるのも、夢を追いかけて邁進するのも、どっちもそれなりに喜怒哀楽がある。むしろしょうもない日常や恋愛を目指してる側の方がよっぽど喜怒哀楽があるかのように、この作品では描いている。

以下は作者あとがきです。

タイトルは、渋谷のどこかのカフェに入った時、BGMでとある局のボサノヴァカバーがかかっていて、それを聴きながら「これを歌ってる、誰だかわからない女性ボーカルの人も、いろいろなタイプがいるんだろうな。楽しんでやってる人もいれば、この曲をきっかけにのし上がろうと思う人もいたり、なんでこんなの歌わなきゃいけないんだ!?って人もいるだろう。この一曲の裏側にも、いろいろな思いや欲望が渦巻いているのかもしれないな~」と思ったのがきっかけです。

そういったことを踏まえて、この本に収録された漫画のテーマをひとことでまとめると、要は「人生いろいろ」という、ものすごいフンワリした結論に落ち着いてしまい、そんなテーマでよかったのか!?と今若干狼狽していますが実際そういうことなのでしょうがないです。

カーミィやクリちゃん、ケンちゃん、ミニコミ作ってる彼らに対して、こちらの何か一つの価値観や上から目線でもって馬鹿にしたり、それじゃダメだと断定して描いているのではなくそういう生き方もあるし、こういう見え方もあるのだ、と。

主観と客観の円環。笑うあなたにブーメラン。描いてる僕にもブーメランが突き刺さるというらせん構造。世の中なんてそんなもの。人生いろいろ。いいじゃないの幸せならば。そんな感じなのです

まぁこんな感じの作品であるせいか、私は読んでも「ふーん」で終わってしまったけれど、たぶん生き方に悩んでるタイミングで読んだら何かしらもっと刺さっていたんじゃないかな。

読む人と、読むタイミングがとても重要な作品なんだと思います。


渋谷直角さんと「普通の人でいいのに!」との作者の共通点は能町みね子さん

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「テレビブロスを読む女の25年」にも能町みね子さんを愛してやまないアラフォーOLが登場する。
ちなみに能町みね子さんと一緒に雨宮まみさんも登場するのでなんだかすごく切ない気持ちになる。

能町みね子さんからこういう人たちをひきつけてやまない何かオーラみたいなものが出てるのかもしれない(笑)



すべてのプライドをへし折られる体験って、下手したらそのまま死ぬけど無事に生き抜くことができたらめちゃくちゃスッキリするのかもしれない

この本の中だとやっぱり「口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女もぜんぶ持っていかれる漫画(MASH UP)」が好きかな。

正直言って、真ん中の二作品は読んだ後特に自分の中に何も残らない。たぶん一か月後には読んだこと忘れてると思う。
歌手の話は印象には残るけれど、逆にこちらから何かを奪おうとする作品になっていてむしろ吐き出したい。異物みたいな感じがする。

一方で、この作品だけが明らかに一つだけ読んだ後に「残るもの」がある。

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「新進気鋭のライター」のつもりから「かけ出しのライターどころかかけ出すことすらできなかった」地点まで突き落とされ、
そこから這い上がって最後に「かけ出しのライター」程度にはなれた主人公が描かれる。


けれども、いまごろちょうどおまえの年ごろで、おまへの素質と力をもっているものは町と村との一万人の中にならおそらく五人はあるだろう。
それらの人のどの人も、またどの人も、五年の間にそれをたいてい無くすのだ。生活のために削られたり、自分でそれを無くすのだ。

すべての才や力や財というものは、人に留まるものではない。人さえ人に留まらぬ。
そのあとでお前の今の力が鈍りきれいな音の正しい調子とその明るさを失って、再び回復できないならば、俺はお前をもう見ない。
なぜなら俺は、少しぐらいの仕事ができてそいつに腰を掛けているようなそんな多数を、一番いやに思うのだ。



もしもお前が良く聞いてくれ、一人の優しい娘を思うようになるその時、お前に無数の影と光の像が現れる。

お前はそれを音にするのだ。

皆が町で暮らしたり、一日遊んでいる時に、お前は一人であの石原の草を刈る。その寂しさで、お前は音を作るのだ。
多くの侮辱や窮余のそれらを噛んで歌うのだ。
力の限り、空一杯の光でできた、パイプオルガンを弾くがいい。 (春と修羅 第二集「告別」)

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/47027_37961.html

なんでも「自分の糧」にできる人は本当に強いなと思う。自分の好き嫌いがはっきりわかってよい。


私はもう完全におっさんであり、今さら自分がまっさらになって出直すことができないからこそ、
一度すべてを失ってそこから立ち上がってまた歩き出せる若い人の力強さを描いた作品はとても気持ちが良い。
こういう「自分には困難な行動や選択をした人の姿」が読めると、いいマンガを読んだなぁって思う。