の続き。

- 作者:やまさき 拓味
- 発売日: 2017/05/26
- メディア: Kindle版
1話 ナイスネイチャを語る際に欠かせない馬場厩務員とのエピソード。
ナイスネイチャに蹴られて5針縫うけがをしても、馬場さんは決してナイスネイチャに怒ったりしなかった。
2年6か月の間勝てない期間が続くも、馬場さんはその間も一切手を抜かず
毎日足を触って様子を見たし、自腹でマムシを買ってきて食わせたりしていた。
高松宮記念で久々の勝利を手にするも、ジャパンカップの時は絶対に負けないと思っていたマーベラスクラウン(レガシーワールドと同じくセン馬)に惨敗。
4度目の有馬記念では5着、5度目の有馬記念では9着……。
とうとう8歳馬になっていた。
厩舎では1日も欠かさずナイスネイチャの足に触って様子を確かめていた馬場さんは通常であればレースに出ても支障のない小さなヒビを見つける。
常に強気だった馬場だが、同年に起きたライスシャワーの事故を見ていたこともあり調教師たちの意向に逆らう形で、有馬記念出走を取りやめるよう嘆願。
なお、このときはリアルタイムでナイスネイチャ引退を扱っていたため
3年後、馬場厩務員の持つ引手には、どんなネイチャの子が引かれているのだろうか
と書かれているのがすごく悲しい……。
2話 引退後のツインターボ
鳴子・斎藤牧場にて種牡馬生活入りする。元々臆病で馬群を嫌うため逃げ馬になったツインターボだが、移転当初は人も嫌ってなつこうとしなかった。
半年後には打ち解けて、幸せそうに暮らしていた。
この描写も、ツインターボがこの後ですぐなくなってしまうとう現実を考えると悲しみが深い……。
3話 有馬記念を制した名牝馬・トウメイの死
1971年に天皇賞秋・有馬記念の両方を制覇した。
牝馬による有馬記念勝利はこのあとダイワスカーレットまで待たなければいけなかった。
トウメイの馬主・近藤克夫は、北海道幕別町に「トウメイのための牧場」を新設した。
トウメイは繁殖牝馬としても優秀で、息子テンメイも天皇賞秋を勝利するなど馬主を喜ばせた。
馬主が死んだ後牧場は整理されたが、馬主の意向でトウメイ1頭だけが幕別牧場に残り最後まで余生を過ごした。
トウメイのためだけの牧場は、トウメイの死とともに役割を終え閉鎖されることとなった。
4話 引退名馬の繋養施設にて・アイフルとハッピープログレスの会話
ハードバージの悲劇に批判が殺到したことにより、1983年に9大競争に勝利した馬だけはJRAが功労馬として終生世話をするルールができた。
しかし、実際には軽種馬協会の馬は9大競争に限らずこの繋養制度で保護される例があったのに対し、民間馬はほとんど制度を利用していない。
アイフルも種牡馬として活躍できず、家畜商に売られそうなところをたまたまファンが直訴したことでJRA側から動いてくれた幸運な例だった。
関係者が知らなかったのか、JRAに遠慮したのか、結局この制度ができても助からない馬はたくさんいた。
「那須種馬場」ができてから状況がどう変わったかは私にはよくわからない……。
5話 ハッピープログレス
ハッピープログレスもアイフル同様良い繁殖牝馬に巡り合えなかったため活躍する産駒を出せず、繋養施設の世話に。
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アイフルの動画はなかったけどハッピープログレスの動画はあるのね……。
6話 シーホーク
・サンクルー大賞典などを勝利したフランスの馬。10歳の時に日本に輸入され、名馬たちを多く生み出した。
lunameiba.blog.enjoy.jp
・モテプリンス・モンテファスト、アイネスフウジン、ウィナーズサークルなどの親。
7話
日本で唯一の鞭職人・鈴木高志さん(自身が3代目)を中心に、鞭の材質の変遷について語っている。
1993年ウイニングチケットがダービーで勝利した時の鞭は、東京競馬場内にあるJRA競馬博物館に展示されている。
この鞭を作ったのが鈴木高志さん。 父親の臨終の床にあった時に制作していたらしい。