この増田は読んでて面白かった。
あらかじめ書いておくと、私はADHDではないです。*1
上の増田はADHDの話なので、私は関係ないといえば関係ないのですが、でも大事なこと書いてるなと思ったのでメモ。
まずは増田の話の整理
①ADHDの課題点 =「とにかくテンパってミスをしやすい」
・まず、ADHDはワーキングメモリが足りない(一次障害)
・そもそもストレスへの耐久力が低く、ごまかしや単純化をする癖がつきがち(これは二次障害)
→高ストレス状況にさらされるたびに、正常な思考ができなくなる。
複雑さに耐え切れずに問題を過度に単純化しようとしてドツボにハマる
これについて、借金玉さんは「短期における過度の悲観と、長期における過度の楽観」みたいな表現をされていたと思う。
ものすごく的確な表現だと思ったので印象に残っている。正確な表現と場所を覚えている方がいたら教えてほしい。
7つの習慣における「第一象限の部分(重要性・緊急性が高い部分)」だけでいっぱいいっぱいになってしまって常に車輪を回してるハムスターみたいな状態になってしまう。そしてギリギリまで頑張って、電池が切れたらしばらく使い物にならなくなる。
②解決策 =「余裕をもってテンパりにくくする」「テンパってもだ丈夫なように保険をかける」しかない
これに対して、基本は薬に頼ることが前提だろうが、この増田では心がけとして以下のような話をしている。
・生活習慣などのレベルから疲弊を防ぐ工夫をする。バッファーを設定する。
・できる限り勝手に脳が反応するのを止める。「型」を活用してリソースを節約する
・さらに「自分で判断せず信頼できる人や専門家に頼る」ことで「自分の思考リソース」を節約する
のようなことが書かれている。大分意訳になってるから正確ではない、などのご指摘は勘弁してほしい。
ちょうど最近読んだ「ヒマチの嬢王」の6巻でも「集中力の節約」というテーマで同じような話をしていた。
note.com
そして、個人的に今回メモしておきたいと思ったのはここだ。
③周りの人からの理解があればかなり助かる
文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
私は文章だとたくさん語れるが、リアルではあんまり上手に話をすることができない。それでも生きることを許されるような環境が周りにあれば本当に言いなと思う。
過去記事では、定型の方からの理解はすっかりあきらめているようなことを書いたが、こういうことを書かれるとちょっと希望を持ってしまうからつらい。
私は「アスペル・カノジョ」の二人にすら嫉妬してしまうくらい、発達障害は理解者が得にくいと思ってて諦めがちだけれど
もうちょっと理解してもらえるように頑張るべきだったのかもしれない。
www.tyoshiki.com
www.tyoshiki.com
www.tyoshiki.com
www.tyoshiki.com
余談:ここからは自分の話
「うまくいってるADHDの人」と、「うまくいってないADHDの人」の違いについて思い返すなど
2年前に、「うまくいってるADHDの人」と「うまくいってないADHDの人」に挟まれる形で3人でとある取り組みをしていた。
①うまくいってる側のADHDの人
その時思ったのが、「うまくいってるADHDの人」は、とにかく「先手先手で行動する」「やる前に宣言する」という2点が徹底しているということ。
何かお願いしたら、できるかできないかはともかくすぐ手を付けてフィードバックを返してくれる。そして、着手前にわからないことがあればとにかく「このままだとできません」「ここがわかりません」ってはっきり言う。とにかく自分の所にボールを抱えない、ボールを受け取ったらすぐに返すということが徹底してた。そもそもが、「私これやりましょうか」って感じで先回りして仕事を取りに来てくれる。
で、なんでそんなにテキパキできるんですかって聞いたら「自分がADHDで、いろいろ抱えるとすぐにつぶれるから、抱えないように意識してやってる」「やりたくないorやれない作業を渡されてからやれませんっていうと白い目で見られるので、その前にこれだったらやれますってのをアピールしてる」ということを教えてくれた。
健常者の人でもこういう気の使い方をできる人はほとんどいない。一緒に作業をしててストレスが全くなくて「もうこの人抜きで仕事するのつらい」って思えるほどだった。やはり実際のお仕事の方でもすごい結果を出されてて、そりゃそうだよなあってなった。「ガチでできる人はADHDに全然負けてない。暴れ馬のような障害を完全に乗りこなしてる」「この人だったらよほどのことがない限りどんな人とでも合わせられるのだろう」と感動した。実際、その後もいろんな環境にチャレンジして、新しい環境でも楽しんでいる様子を教えてくれる。自分にはないものを持っているので心から尊敬している。
②うまくいってない側のADHDの人
一方で、もう一人の人は、上の増田で言われてるような感じの人だった。
とにかく指示待ちする。かといって、指示を受けてもなかなか着手できない。そして作業を抱え込んで落ちる。会話をしていても、話を聞いているようだけどすぐ投げやりになってしまうところがあった。明らかにチーム作業がストレスになるようで機嫌取りをしないと作業が滞ってしまうことが何度もあった。しかし結局、「自分ひとりで好きなようにやった方がいい」と言って去って行ってしまった。
今思えば、もうちょっとこの人のワーキングメモリーの少なさや、自分の脳がいろんなことに反応してしまうことへの対処を一緒に考えるべきだったのかもしれない。
普通の人と同じように接し続けていると、どんどん関係が悪化していった。結局最後はこの人の中では完全に私たちは悪者になっていて(ADHD特有の単純化傾向)、事実に反するストーリーを作り出して告発文みたいあブログ記事を書かれるまでに関係がこじれてしまった(ADHD特有の嘘つき傾向)。私は仕事の性質上、それまで何人ものADHDの人とやり取りをしてきており、他の人よりADHDの人との接し方を理解しているつもりだったが、全然うまくいかなかった。 その時は自分なんて全然ADHDのことを理解できてないんだって凹んだよね……。
③この時の経験から思うのは、とにかく「ADHDの人」はキャパシティの考え方が自分と違うということだった。うまくやれば私なんかよりはるかい高いパフォーマンスをあげられる。一方で接し方を間違えるとひたすらストレスをかかえ、パフォーマンスも上げられず、卑屈になるか周囲を怨んで攻撃するようになる。天国と地獄のような差がある。 「周囲を不幸にして自分も不幸になる」パターンを一回でも引いたらつらくて心折れてしまうよね。なので、ADHDの人と接するときはどうすれば、「うまくいってる人」のパターンに持ち込めるかを一生懸命考えないといけないなあと思った。
というか、自分はADHDではないけれど、ガッツリ「うまくいってない人」寄りの行動パターンを続けてる。まずは他人のことより自分を何とかしなければいけない。
*1:診断を受けているのはASDです。自分では最近どんどんとADHDの傾向が強くなってきてると思ってますが、こちらは診断はもらってません(むしろ一回否定されてます)