頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
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ジャニーズの件について語る際に「過剰適応」というキーワードを知っておいた方が良いかも

【ホッテントリしてたので宣伝】私がこのテーマに関して思い出す作品の内、もっともおすすめな作品は「聖☆高校生」です。

①性被害者ポジであった自分が加害者ポジになったときの衝撃をどう受け止めるか ②自分の性被害をどう克服するか ③自分の罪とどう向き合うか。④あこがれの人が犯罪行為をおかしていたときにどのように向き合うべきか。だいたいこのテーマについて考えるべき要素が一通り体験できます。そういうの抜きにしてもおすすめしたい超ド級名作。あと、個人的な趣味としては「花やしきの住人たち」も好きなのですが、こちらは暗すぎるので人を選びます。

本当はfont-daさんに解説していただきたいところですが……

https://anond.hatelabo.jp/20230413000017anond.hatelabo.jp

長く付き合っていくうちに分かったのは
他の被害者の人のことを認めると、自分が被害者であることも認めなければいけなくなるから、という考えがあるのだと思った
自分は被害者ではない。だから可哀想ではない。自分は惨めではない。自分は汚くない。あいつがバカなだけ。私はバカではなかった。
そう考えているようだった
同時に、彼女たちは本当は自分は被害者だと気付いていて、でもそれに必死で蓋をしているようだった

これは虐待やハラスメントについて考える際の必須知識だと思います。自分は専門家でもなんでもないですが、一応この問題についてはいろいろ思うところがあるのでもう少し補足しておきたい。

font-daさんこと小松原先生の書籍です。font-daさんはまさにこの分野の専門家であり、今でもはてなにいらっしゃったら、きっともっと丁寧に説明してくれただろうに残念です。


「過剰適応」という言葉を補助線として持っておくと便利だと思います。

心理学的に正しいかどうかは知りませんが私は若いころに中島梓さんの「コミュニケーション不全症候群」や「タナトスの子供たち」とか中島義道の「人を愛することができない」などの本を若い頃に読んでだいぶ救われた気持ちになったことを思い出します。

心理学側の方で補足をすると被虐待児童の行動パターンとしては以下のように分類されておりさらにこれらが組み合わさることが多いので、全ての人が上記のようなパターンではないということは理解しておくべきです。

https://www.my-kokoro.jp/books/research-aid-paper/vol36_2000/pdf/mykokoro_research-aid_paper_36_08.pdf

1:過剰適応(最も割合が高い)
2:萎縮・服従
3:アベレージ型
4:分離・独立型(非常に難しい)
5:逸脱行為型(いわゆる不良・家出)

被害者と加害者は明確に分けられるものではなく、たいていの場合は同時に成り立つというのは常識であってほしい。

そして、過剰適応タイプは、その異常な慣習の中で優等生としてふるまうので「ハラッシーハラッサー(被害者でありながら加害者)」となるという構造も知識として持っておくべきです。
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自分が被害者属性を得たとか、被害者の味方になったと思った瞬間に何言っても良いと勘違いしてしまう人がインターネットには本当にたくさんいるのですが今すぐ認識を改めたほうが良いです。むしろ、己の受けた被害を理由にして加害行動に走るというのは人間の基本なのでどうして被害者ポジを主張したら自分の加害者性を無視できると思ってるのか不思議でしょうがないです。

「かわいそうランキング」という概念で揶揄されている現象は本当にばかげているなとおもっており、「私はかわいそうランキング上位だから自分が加害性を問われることから自由でいられる」と勘違いしてそうな言動をする人がすごく多いなと思ってますね。

むしろ逆で、被害が重い人のほうが普通の人よりも何倍も加害性が高い可能性が高くなりがちです。私自身、実際に支援の現場に立つまではこういうことがわかってなくて無邪気に考えてた時期もあるからこそここは強く感じます。

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こういう意見を言うと差別だとおっしゃる人もいるでしょう。でも、これはむしろ支援するために知っておくべきことです。被害者であるということそれ自体は免罪符にも何にもならないし、むしろそういう風に勘違いしてる人や、そういう風潮を強く煽ってくる人は一番ヤバいです。これについては「パンプキンシザース」でも強く戒める記述がありましたね。

被害者が最優先すべきことは、社会正義よりもまず自分のケア。被害者意識による自家中毒を防ぐことだと私は思います

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被害妄想は、実はちゃんとDSM-5にも記述があり、正式に医学的に認められた症状です。「共感性(観察性)羞恥」とは格が違います。
「妄想性障害においては典型的な症状であり、その訴えは明快で論理的であり体系化されている。怒りの対象に対して行動化をとり、訴訟を起こされるほどのことでも自分が悪いとは思えず、更には敗訴したにもかかわらず自分の悪い部分を認めることが出来ずに逆恨みをし、ときには攻撃・殺害したりすることもある」

LV1:「被害者意識」って本当に怖くて…同情されることでしか自己肯定感を満たせなくなってしまうんですよ。
LV2:そうやって特別扱いしてもらってると、だんだん同情されグセがつくんです。「あっ、被害者的に振舞うと優しくしてもらえるんだ…」と味を占める。
LV3:そのうち、人の優しさに「小さい」とか「大きい」とか思うようになって、「普通サイズの優しさ」じゃ満足できなくなってしまう。
「みんなに自分のことを思って泣いてほしい」とまで思ったこともあったもん。…すごいやろ!?
LV4:そう。いつでも自分が話題の中心でいたいし、相手が自分以外のことを心配しただけでヤキモチを妬いたりもする。
LV5:そのうち、「同情されることでしか、自分は人に見向きしてもらえないんじゃないか」という強迫観念を持つようになる。人に優しさを要求する気持ちがエスカレートしていくと、最終的に「時間泥棒」になって、人が離れていってしまうんです。

被害者が深刻な虐待の事実を受け止めてるにおそろしくつらいプロセスが必要であり、他人が安易にそれを煽るべきではない

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①「許し」のためにはまず真実を明らかにしなければいけない。真実をうやむやにしたままでは許すことも和解することもできない。しかし、そんなことわかっていても、真実に向き合うのは簡単なことではない。

②真実を明かすことは、それを覆い隠すことによって成り立っていた現実に深刻なダメージをもたらす。そのダメージを、誰かが、ほかならぬ自分たちが引き受けなければいけない。 実際、作品中では真実に向きあう過程で、耐え切れず嘔吐するシーンなどある。そこに耐えられるか

③さらに、真実に到達するためには、いろんなものを失う場合がある。許される側だけでなく、許す側が、真実を隠すことで成り立っていた立場を捨てなければいけない。なぜ許す側がここまでしなければいけないのか、あいつが悪いのに、という感情を抑えてそれができるか。

④真実を明らかにしても、すでに取り返しの付かないことはいっぱいある。明らかにされた真実を受け止め、受け入れてもそこには苦痛しか無いように感じられるかもしれない。受け入れるためには「死の受容」のプロセスに近いプロセスを経由する必要がある。

こうして段階を踏んで、自分が受けた被害とちゃんと向き合うだけの余裕を作ったり、支えてくれる人を周りに得ることが大事でその上ではじめて、真実と向き合って戦うことができると思います。この段階をすっ飛ばそうとする人はあまり信用できません。


基本的に被害を告発するためには、その前に自分自身の被害者意識をケアする(被害とちゃんと向き合うだけの余裕を作る)必要があり、そこが上手くいかないと真実を捻じ曲げたり被害告発者が自殺したりといろんな問題が起きる

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私は今でもそうですが、被害者意識が強い方です。特に「特定の項目において自分を軽んじる態度を取ってくる人間に強い警戒心・敵愾心を抱く」ことがあります。私には私の事情がありますが、それでも私の苦しみは世間一般の視点で考えれば性的虐待とかよりはずっと軽いはずです。

それでも私はずっと苦しんできたし今でも受け止めきれない部分もあります。ただ、これでも長い時間をかけて、カウンセリングなども受けつつ被害者意識を少しでも解消していきたいと思ってきました。(できる限り人を傷つけない形で)すこしずつ段階的に吐き出して、被害を自分で受け止めて、自分の人生を前に進めたいとはおもってますが正直とても苦労してます。

まして私より被害が強い人は、より傷も深いでしょう。被害を受けて傷ついている人に一番必要なのは、まず告発ではなく自分自身のケアでしょう。

勇気を出して告発した人を応援するのはその人が求めているならやればいいでしょう。でも、まず傷の回復を優先すべき人に対して外部の人間がとやかく言う資格はないという当たり前のことを忘れないようにしたい。私がブログを続けている一番根本の理由は、死ぬまでには何とかこの感情を克服したいからであり、もう大丈夫だと思ったらブログは自然とやめることになるでしょう。


サバイバーよ、勇気を出すな。「性暴力やセクハラ被害に遭ったら泣き寝入りしないで、勇気を出して裁判を起こして闘いましょう」―そう簡単に言ってしまえるすべての人へ。

おまけ:「アークナイツ」のイベント「ウルサスの子供たち」もぜひ読んでほしい

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アークナイツの世界観やキャラを知らなくても単独で読める作品です(もちろん知っていた方がより楽しめる)
「被害と加害が同じ場所に存在する場所」についてこの上なくえげつない形で描いている作品です。しんどいけど強く印象に残る話でした。アークナイツの魅力?がたっぷり詰まっています。