「ラニーノーズ」の厄介ファン男に対するなちゅさんの感想がとてもよかったのでメモ
読んだ。人間の感情として面白かった。この方は多分自分を晒してサンドバッグにして他人にボコボコにされる事で自分の形を確認するタイプだと思う。こういう人はカウンセリング行くといいよ。自己分析捗るよ。
— なちゅ。 (@itacchiku) 2024年4月8日
推し活を始め、推しに認知され、SNSをブロックされるまでの1年半https://t.co/pf0tPMrFnO
読んだ。人間の感情として面白かった。
この方は多分自分を晒してサンドバッグにして他人にボコボコにされる事で自分の形を確認するタイプだと思う。
こういう人はカウンセリング行くといいよ。自己分析捗るよ。
・自分が他人からどう見えているか
・自分の行動がどう影響を与えるのか
・他人にどう評価されるのか
・それが自分の認知とどれぐらいズレているのか…
ってのを知りたくてたまらん人の書く文章よね。
事実と自分の感情をひたすら淡々と書いている。これをやる気持ち、すごいわかるわ。私も同類(ガチ恋とか推し活の部分ではなく、自分を言語化して晒してサンドバッグにするというとこ)なので思うけどこのやり方は自分の認知と他者の認知の擦り合わせにはとても効率が良く効果的だけど、必要以上に自分を痛めつける行為でもあるので。お大事にしてね、という気持ち。
カウンセリングでこれをやると、プライバシーは守られつつ、必要以上に自分を傷つけなくて済むのでいいですよ。
自分のクソみたいな感情も矛盾も諦めきれないドロドロも言葉にできて、自覚しやすいし。ネットだと一定数混ざってしまうノイズも減るし。
素晴らしい。私は最初読んだ時は「ガチ恋粘獣」に出てきた厄介ファン、くらいの印象しか持たなかったが、このツイートによって少し解像度が上がった気がする
言われてみればぶっちゃけ私はこの「しゅんき」って人とほぼ同じようなことをやってるんですよね。
ただ、その上で、私と「しゅんき」氏はぜんぜん違うとも思う。そのあたりの違いについて考えてみる。
ちなみに元記事に対するスタンスは以下のツイートに近い。(おそらくこのツイートは厄介ファンに対するものではなく同人誌を作って13万円損した人に対するものだと思うが。。。)
インターネットで失敗談を書いて拡散されると、ある閾値を超えたあたりで「お前の失敗はお前の自業自得だ」という意見が大量につき始めるんだけど、失敗談の共有は有益なことなので、公開したのはいいことだし、そうなったことにへこたれないでほしいという願いがある。
— ピエール手塚🍙 (@oskdgkmgkkk) 2024年4月7日
失敗談を最低でも「失敗」として認識してそれを共有しようとしている場合は、あまり責めないようにしたいと思っている。
一方で、どうみても失敗してるのに失敗と認めず自己正当化に走っているような文章は読んでて不快なので厳し目の態度になる・・・。
なちゅさんのツイートを読んだ上であらためて「しゅんき」さんの記事を読んでみよう。
僕は、思ったことは言わずにはいられない。
自分みたいな感想を持ったファンは他にいないのか?
今日のライブ全然面白くなかったの、俺だけ???と不安になってしまう。
ラニーノーズを知りもしない知人に「全然ライブ面白くなかった~」と伝えても
慰めてはくれるかもしれないが
そのライブが本当に面白くなかったのか、僕に笑いのセンスがないだけで本当はめちゃくちゃ面白いライブだったのかどうかはわからないのだ。
困惑した。本当に何がしたいのかわからなかった。迷走していると感じていた。
大好きな人たちが変な活動をしていると、不安になる。
不安が募ると、「ファンの中で不安を感じてるのは、僕だけかしら???」と焦る。そして、Twitterにつぶやく。
すると、案の定ファンの人たちに嫌われていき、Twitterをブロックされていく。嫌われていく。
このあたりの記述を見るに、たしかにこの人の厄介行動の原動力は「自分の感情が正しいのかどうかがわからない不安」に駆動されているように見える。
多分、この人はずっと同じことを繰り返して、その都度毎回周りから否定されているのだろう。
そして重要なことは「案の定」と書いている通り、自分がこういう行動をしたらどういう反応が返ってくることは経験上理解できていることだ。
それでもやめられないのだということが読み取れる。
幼い頃から自分の考えをまともに受け止めてもらえず否定され続けると、「自分自身」がわからなくなってしまう
多くの人は「こいつ他人の心をわからない」っていっててそれはその通りなのだろうが、もう一歩踏み込んで考えてほしい。
すると、案の定ファンの人たちに嫌われていき、Twitterをブロックされていく。嫌われていく。
彼がわからないのは他人の心や反応ではないと思う。これだけ淡々と相手の反応を書き、事前にその反応を予測できているあたり、むしろ他人がどう考えているのかはある程度つかめていると考えるほうが自然だ。
どちらかというと「それに対して自分がどう振る舞うべきなのか」がどうしてもわからないのではないか。
さらに妄想を重ねると、彼は普段の生活における「どうでもいいこと」については自重して、周りのネガティブな反応を予測して避けるように動いているのではないか。
ただ、それは脳内でシミュレーションをして計算で動いているだけで、自分の思考や感情がまともになっているわけではない。
それが推し活という場において自分の感情や思考を優先した途端に周りと大きくズレてしまうのではないだろうか。
このあたりについて、自分の幼少期を踏まえつつ「幼い頃から自分の考えをまともに受け止めてもらえず否定され続けた」のではないかと妄想しそうになる。(妄想部分は読むと不快な人もいそうなのでサブスク部分で)
「失敗して痛い目にあいながらどうすべきなのかを学習していくタイプ(「愚者は経験から学ぶが賢者は歴史から学ぶ」という分類における愚者側の人)」は何事においても自分をもう少し疑うべきだ
ここまでは私としゅんき氏は割と似ていると思う。しかし、ここから先は全く私と似ていない。
しゅんき氏はさんざん間違え続けたはずのに、それでもまだ「自分の経験から学ぼう」としている。自分で
僕は、面白いライブと面白くないライブ両方観て一喜一憂するなかで、「若手芸人を応援する、というのはいったいどういうことだろう」と考えた。
(中略)
若手芸人のライブというのは、「面白いネタを観に行く」ものではなく、「ネタが、芸人が、回を重ねるごとに面白くなっていくのを見守る」というものだったのだ。それに気づかされた。では、なぜその構造に、1年もの間、気づくことができなかったのだろう。
「しゅんき」氏はこんな感じでいちいち失敗しないと学べないタイプなのだろう。
だが、これはそもそも効率が悪いし、経験に対して自己弁護が入ると誤学習が起きる。
「自分の考えたことは本当に正しいのかどうか」をもうちょっと疑うべきだ。「しゅんき」氏は謙虚さが足りないと思う。
僕がさんざん「批判とかしてもいいんだ!大丈夫だよ!」ということをツイートしたりするのは、
先に述べた①のタイプの人たちに押されて、僕のような②タイプの人間が居心地が悪いのを防ぐためである。
その結果として「ファンとアンチみたいな分類」が単純二元論となっているのが本当に残念だ。
どうして「自分と自分以外」みたいな思考に陥るのか。マトリクス図とかベン図とか習ったこと無いのか。自分が考えたこと以外に他の軸があるのではと考えられないのだろうか。その程度のことすら考えられない人間が、自分の頭で考えて正しい結論を導き出せると考えるのは無理でしょ・・・。 どんだけ傲慢なんよ。 青二才二世襲名するか?
まとめ
・「しゅんき」氏はおそらく他人以前に自分自身がよくわかっていないひとなのではないかと思われる。これについては同情の余地があるかも知れない
・自分を理解するために、事実と感情を淡々と表記していくのは非常に良いことであり、こちらについては評価できる。Shrinkでも同様の対処法が示されている。
・ただ、このタイプの人が自己分析を一人でやるのはほぼ不可能でろう。仮にそれが出来たとしても時間がかかりすぎる。
「しゅんき」氏は、自分が大枠として「愚者側の人間」であるという自覚をもっと持ち、「賢者」側の学習を意識するか、それが無理なら他人の力を借りるようにした方が良い。
つまり、私としても、なちゅさんのいうとおり、カウンセラーの助けは必須であろうと考えている。