頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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最近まとまった話ができなくなってますねー。やばいねー

実感を持たずに頭のなかだけで考えて語ること

これ、間違いであることはだれでも感覚的にすぐわかると思います。

さすがにこれに同意しちゃう人はいないでしょう。
でも「何が」間違いか「瞬時に」判断できましたか?私は結構考えてしまいました。
実際の所「円の価値」そのものはどのくらい変化してると思いますか?私はぐぐるまでわかりませんでした…。

さすがにこれは極端な例だとしても、普段から両者の関係について実感を持ってないと、なんとなく騙されちゃいそうな話は多い。


①対象への認識をすぐに結論付け②その認識を固定化してしまい③そこからのアップデートを怠っている(興味を持って観察していない)状態で話すこと

話は変わるけど、これと似たような原因の間違いはしょっちゅうやってる。
つまり、自分だけしか見てないと、周囲をある時点で認識した状態から固定してとらえていると、時々大きな勘違いをおかす、ということです。

自分のことだけで手一杯で、相手のことをよくみて考える余裕が無いとほんとによくいろんなものを勘違いしてしまう。ここで踏ん張れないと、自分の都合だけで物事を考えて、相手をその自分に都合の良い考えに合致するように捻じ曲げてしまうことさえある。曲解はこうして生じる。そしてそのことをを指摘してくれるひとがいなかったり、ミスを受け入れることをきょひするようになってしまうと、GAME OVERだ。もうあとは自分の殻に閉じこもり、自分に都合の良い夢を見て、そして自分の閉じこもってる殻が現実によって破られないように、その夢がさめないように祈るしかなくなってしまう。



藁人形論法とか老害とかいろいろネットで問題な感じの対応している人を見かけるけど、一つ一つの目に見える現象より、それらの現象に共通している問題として「語ろうとしている対象に興味を持てないこと。つまり実物に対しての実感を何一つ持たないまま自分の頭のなかだけで考え、それについて検証する前に結論としてしまう事」こそが一番やばいと思う。*1



全然話し変わりますけど、ブロガーとはなんぞや

私はブログシステムを使ってはいるけど自分がブログを書いているという認識は全く無いです。たんなる日記というか、その日のつぶやきのつぎはぎ。

じゃあ、私にとってブログってのはなにかとか、ブロガーって呼ばれる人はどういうことが出来る人かというと

・自分の実感を言葉にすること
・安易に結論を出さず自分でちゃんと対象に興味を持って取り組めること

が出来る人だと思う。

逆に言うと、すぐに結論付けたりとか、他人の結論をそのまま横流ししてるだけじゃブログにならない。結論も大事だし、文脈の積み重ねを理解することも大事だけれど、自分の実感を大事にして、自分で考えて、自分の言葉で語るみたいなことが出来る人が、ブロガーだと思う。

ブロガーは格好いいなと思います。

逆に、記事のタイトルだけ派手だったり煽り気味だったりするけど、それが安易に出された結論であり十分思考されたものでなかったり、実感がこもってないものだという感じを記事を読んで受け取った時はとてもがっかりします。

*1:そういう意味で、青二才さんのユーチューバーの記事、かなりやばい。語ろうとしてしているものの対象の手触りが全く感じられない。空想社会学のような何かだ。そして、あの記事に「なるほど」ってコメントつけちゃう人はさらに怖すぎる