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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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インターネットにおける自由とは何だったのか

美しいものを美しいと言う。それが出来ないのが人の悲しみである。素敵なものを素敵と言う。それを口に出せないのが人の苦しみである。好きな人を好きと言えない。それこそが全ての絶望の元なのだ。「美しいね」と言いたいのだ。「素敵だね」と告げたいのだ。僕らがインターネットをするのはザッカーバーグの為ではなく、インターネットの為でもなく、ましてや自分自身の為でもない。愛の為だ。真実の為だ。確かに存在したはずの、小さな真実の為なんだ。

私はこの一節がものすごく好きです。



スタート地点を自分で選ぶことができるという、リアルではありえない自由がネットにはある

リアルの自分からいったん離れて、自分がそうなりたいと思う振る舞いを選択することができること。

自分の意思で自分の行動を選択していると、少なくとも錯覚出来ること。

それがインターネットにおける最大の自由だと思う。

インターネットに登場するまさにその時に、自分の有り様を自分で決定できる。

「どう生まれるか」を自分で選ぶことができる。それが大事。




生まれた後どんどん不自由になってくるのはリアルでもネットでも同じで、そこに「ネットの特別さ」を求めると失望する

①もちろん一度インターネットに生まれてしまえば、その後は

人の視線による影響や、インターネットで出来た関係性によって縛られる。

これはリアルと同じだ。

生まれた後は、少しずつ不自由になっていく代わりにいろんなモノを得ていく。それは変わらない。



②そして、いくら自分がすばらしいイメージで生まれることを選択しても、

「実際に素晴らしい人間であったとしても、それを表現できる力がなければ、その表現を維持し続ける努力を怠れば」

そのイメージはどんどん崩れていく。

他人に知らせる努力しなくても、ありのままに振る舞っていればある程度認めてもらえるリアルとは違う。

これはリアルよりむしろマイナスだと言える。




良くも悪くも自分次第な部分がリアルより圧倒的に大きい

でも、少なくとも最初は、自分のありようは自分で決めることが出来る。

良き人間になろうとする意思さえあれば、良き人間としてスタートすることができる。

自分がこうあろうと目指す姿に対して、良い条件を自分で設定することができる。

②も、逆に言えば実際にはクズのような人間でも努力しだいで、インターネットの中でだけは認められるチャンスが与えられるということだ。


自分を縛る物理的制約はリアルよりずっと少ない。

「自分の心がけや努力次第」の割合が、リアルよりずっと大きい。

リアルだったら覆らないことでも、「自分次第」でなんとかなることが多い。


「本当の自分」なんかより、「こうありたい自分への意思」こそが重要

押しつけられたレッテルでも、偽りの役割でしかなくても、本質が邪悪そのものであっても、その行いが英雄のそれであるならば。
きっと、私たちのような醜悪な存在が英雄になれるとしたら、そこにしか道は無い。
意思すること。本質に、その性さがに、その起源に抗うこと。
「貴方の本質じゃない。貴方が意思するその姿が私は好き」

ネットでは、リアルの自分がどうだ、ってことよりも
ネットの中でどういう発言をしてきたか、ということが重視される。
つまり、その人が、普段どういう振る舞いを志しているか、その人の意思の方が重要だ。

ネットでは、肩書が立派でも、いい加減な発言をしてそれを反省しない人はバカにされやすい。
逆に、社会的な立場が低くても、読ませる文章や、しっかりした考え方をしている人は一目置かれやすい。

意思の持ちようで、自分の言葉や行動を制御することができれば、
リアルでは癇癪持ちで大酒飲みのデブでも理知的な人間として振る舞うことができる。

別にそれはごまかしやなりすましとは違う。承認欲求とか意識高い系とかいって揶揄されるべきことではない。 

ネットで本当にそういう人間になりたいと思って努力することはとても価値が有ることだ。
「他人に対して罵倒的なことでも、本音だから言ってもいい」「それを許容するのがネットだ」と勘違いしてるやつより100倍ましだ。
本人がそう願い、努力し続けるなら、ネットではちゃんとそういう人間として認知されることも可能だ。

(承認欲求wとか意識高い系とか豚まんじゅうと言ってバカにされるのは
 自分の都合のよい所だけ格好つけて、そうでないところでだらしなかったり、無礼だったりするからだ。
 自分が取り組みたい部分以外でも、しっかり努力できるか、周りに配慮できるかどうかが大事やろ。
 全面だけスーツ姿で、後ろ半分は全裸、みたいな格好してるやついたら誰だって笑うやろ)


インターネットでもっとも大事にしたいのは自分にとっての「小さな真実」「小さな物語」

それを胸を張って言える自分になるために、その資格を得るために
せめてインターネットの中だけでも普段から格好つけていたいと思ってる人が多いんじゃないかな。

インターネットでは、あんまり「ヤンキーが雨の日に…」みたいなことをしたくない。
普段から自分を作り上げていくことができるんだから。

自分が格好良いと思う発言や、心から思ってることをいざというときにまっすぐ発言できること。
これが、インターネットで得られる最大の自由でありご褒美だと思う。



そして、せっかくそういう言葉が言えるなら、
「この人がいうなら、それは本心から言ってるんだな」って思ってもらえるようにしたいよね。

「いつも全然逆のこと言ってるのに」とか「お前が言うな」って言われたくはないよね。
何もしらない一般人がヤジ飛ばしてきても、普段見てる人はわかってくれるほうが嬉しいよね。

そのために、普段の自分をきっちり鍛えておきたいなと思う。