家族連れ「まとまって座りたいので指定席の場所を替わって欲しい」私「ではどの席と替われば?」その返答 - Togetterまとめ
何のメリットもないどころか損しかないような頼み事をよく出来るもんだなあ。
読みました。さすがにこれはおかしいですよね。
でも、私は今まで結構コミュニケーションにおいて
ここまでひどいレベルではないにしても、「自分にしかメリットがない話」をして
相手に引かれるということをしてしまったことがあります。
主張をする際には「お互いにとっての必要性・お互いが納得できる根拠・お互いが参加可能な実行方法」が必要とされる
根拠のない主張はもともと同じ意見をもつ人の同意しか得られない
ここまではちゃんと知っている。でも知っているだけではまだ不十分。
この「必要性・根拠・実行方法」について理解していても
①根拠だけを重視して、ほかの必要性・実行方法をないがしろにしてしまう(イデオロギー化)
②自分の立場からしか考えておらず、相手のメリットを考慮できていない(独りよがり)
③自分はよく知っているが、相手が知らない事実や前提を説明せずに根拠として語ってしまう(情報共有不足)
という落とし穴に陥ることがあります。
私自身は必要だと思っていて、
私自身はよく知っている事実や前提を根拠として、
私自身は慣れていたり実行することにためらいがない。
そういうものが対象だと、
ついつい「当たり前」と思って相手に押し付ける形になりがちです。
これほんと気を付けないといけない。
自分がやられたときにすごい嫌な気持ちになるので、その時の気持ちを忘れないようにしたい
例を挙げますね。
この間、相互ブロック関係にある人から「話したいことがあるから捨て垢作った。このアカウントでの話に応じろ」と言われました。私は、言いたい放題言って都合悪くなったら消せばいい捨て垢で喧嘩を売ってきた相手とは会話をしたくないし、会話をするにしても、それをほかのフォロワーの人に見られたくないから断りました。
その際、ブログなら応じてもいいと答えましたし、向こうがDMを提案するなら一時的に相互ブロック解除してもいいと思っていました。
しかしtwitterでの会話を断った瞬間にその人は「議論を放棄した」「当然の責任を果たしていない」と言い出しました。
私も不本意だがしぶしぶ使い捨てのアカウントを用意しTwitterで問いただそうと思うのもおかしなことではない。むしろ議論の形式として主張したらそこに根拠の提示を課されるのは当然のことなのに、あなたはそれを果たさず、放棄した時点でお察しだろう。
いやまぁ、こんな相手にまともに対処する筋合いなどみじんもないのですが……。
それにしてもこの人の表現が興味深い。
「と思うのもおかしなことではない」「のは当然のことなのに」などの部分。
この人は自分の立場からしか考えてないんですね。
この人の中では論拠があるのでしょうし、必然性もあるのでしょう。でも、こちらには全くないわけです。むしろデメリットしかない。
まともな人であれば、自分の提案が受け入れられなかったら「交渉」しますよね。
なぜ嫌なのか。どういうところが問題なのか、ということを考えたり聞いたりして
「その間だけブロック解除しあいましょう」とか「DMでやりましょう」とか「それならこういう方法はどうですか」という。
そういう思考がまったく機能していない。
「自分の提案が受け入れられなかった→自分の意見を無視された→相手は逃げたのだ」
「相手はこうするべきだ(自分の中では根拠あり)→こうしなさい」
という直結型思考なんですね。これヤンデレ活用ではないかと。
ヤンデレ五段活用 - アニヲタWiki(仮) - アットウィキ
Chaos;HEAd WEB体験版 プレイ動画-10 by syn ゲーム/動画 - ニコニコ動画 10分15秒くらいから。
で、結局この人はそのあともこの調子で「自分の中では必然性もあり根拠もあるし実行もできる」ことを、立派な論拠がある立派な主張だと勘違いしたまま、ずっとそれを主張し続け、それに対して応答し続けていたのですが途中で勝利宣言して去っていきました。難癖つけておきながら、すっきりしたり言うことがなくなったら、自分の都合で、一方的に話打ち切る。
今後こういう人に絡まれたときは、この人の例を挙げて断るようにしようと思います。
ここまでひどくはないにせよ、私も似たようなことやってたし、やりかねないという自覚は持ちたい
私も以前、とある人に、自分は正しいと思っていることを押し付けるようなコミュニケーション形をずっと取っていました。
最近のキャラクターでたとえるなら聲の形の「川井みき」みたいなやつですね。
川井みき:キャラクター | 映画『聲の形』公式サイト
私はこのキャラものすごい嫌いなわけですが、でもそれって同属嫌悪だなーって思いながら見てました。
こういうコミュニケーションのやり方をやっていた時期は、その人には嫌われるだけで、まともに取り合ってもらえませんでしたが、自分が同じ目にあって、そりゃこんな態度じゃ相手もうんざりするだけだよなぁってのが痛いほどよくわかります。その人とは、別の形で、相手のメリットも考えながらコミュニケーションするようになって、ようやく少しずつ会話ができるようになってきたと感じます。
私はとにかく人とコミュニケーションを取ることに苦手意識が強く、そのせいでついつい自分のことを考えるので精いっぱいになりがちです。でも、ブログ記事を書くならともかく、他人と会話する際は、自分のことだけではなく相手にとっての必然性を考えたり、相手にとっての論拠、相手の背景も考慮するようにしないと、そもそも議論以前に会話が成立しないということを最近痛感します。
いや、ほんと自分なんていい年をしてまだこんな状態なので「聲の形」の登場人物の未熟さはむしろいとおしいです。
彼ら彼女らに負けないように自分も成長していかないと。