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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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ネットウォッチとは「誰が言ってるか」を大事にするということ「だった」

つまりは「文脈」を大事にするということだ。


一つのツイートとか、一つの記事だけ読んだだけではわからないことがあるから、その背景を探ることである。

また、何かについて議論をする際に、何も知らずに発言するやつに「ちょっと待て」ということである。

なにより、表面的にはきれいごとをいうが、実際には人を騙して搾取しようとしたり、都合のいい人間を扇動したりする、そういう行為を防ぐということでもある。


これを嫌うのは、そういうことを大事にせず、深く考えずに好き勝手なことを言いたいということであり、自分は他人に対して好き勝手なことをいうが、自分は言われたくないということであり、あるいはそうやって人を騙そうとしたり、都合の悪い部分は考えたくないということである。


そういう人間は決まって「批判をするのはダサい」などの、表面的にはごもっともなことを言ってきた。そして「そういうことをする人間は理不尽な存在で耳を貸すな、そんなことより行動しよう、私を応援しよう、私を疑うな」と言ってきた。

普段から文脈なんて意識しない人間はこれを支持した。ネットウォッチなんて悪だ。そんなものはフヨウラと。



しかし、こういう人が言うとおりにしたらどうなるだろうか。ネットウォッチをして、「怪しい人」についてアーカイブを残す人がいなくなったらどうなるか。人はすべての物事について、自分で一つ一つ調べて考えなければいけなくなる。
そして、大抵の人はそれが出来ない。そうなったときにどうなるか。



ますます表面的にはきれいごとをいう詐欺師のような人が増えるのではないか。ネットの議論は常にゼロからスタートさせられるようになる。みんなが長谷川豊のような浅さで議論を繰り返し、語調が強い極論を言う人間が支持されるようになるのではないか。

はてなでも、sirouto2さんがいなくなり、議論をアーカイブする人がいなくなった後で議論の場としての質が大幅に低下したのは非常に印象深い。あれはほとんど「バベルの塔の崩壊」に近い現象だったのだなといまになって思う。議論に参加するものは最低限の文脈を押さえてからにせよ、という意識やそれを支えるインフラが死んでしまうとそうなってしまうのだ。


ちょっと前にWebゲキというサービスがあったが、今から思うと本当に必要だったのはアレではなく、一つの議題についての関連記事をはてブ数や立場問わずに収集・アーカイブしてくれることで議論参加者全員の前提知識の底上げをしてくれるサービスだったのかもしれない。



そもそもなぜ人がブログをやるかと言うと「自分という文脈を作るため」だったはずだ。例えば、元ライブドアCTOだったdankogaiさんがブログを始めたのは「普段から発言していていれば、過去の発言の蓄積があるためいきなりその文脈を無視した切り取られ方をしてもそれから身を守れるから」というのが一つの理由だったそうだ。文脈というのはとても大事なものだったはずだ。


そう言う最低限の文脈への礼儀すら感じないことが多くなった。
前の記事に書いたアホな高校生は私には同じ人間と思えない。ひとはここまでアホになれるのか。アホなのはいいがそれをさらけ出して平気なのか。恐ろしい恐ろしい。


などなど前置きの部分書いてたところで時間がなくなったしこの先を詳しく書くのは苦痛だから一旦このまま公開。


とはいえ、ネットウォッチに問題がまったくなかったわけではない。

・この行為をやってる人間は基本的にいい人達ではない。というかゲスであることが多い。
はてなのネットウォッチは「トラバによる議論」をベースとしていた。最低限自分でブログ記事を書いて議論できるレベルの人間が前提となっていた。
・ ネットウォッチそのものの位置づけや評価が変質していった過程はraf00さんの記事に詳しい。

やる人がゲスであることと行為の必要性はわけて考えるべきだが難しいだろう。

今はこの「文脈」が軽視されまくっている時代

・そもそも「なぜそう考えるのか」という論理自体が軽視されすぎ。 その部分こそが大事なはずなのに。
・みんながみんな扇動したり仲間を作ることばっかり考えて中身をよく考えてない。
・今はどっちのポジションかとか、わかりやすい悪かどうかとかそういうつまらない話ばかり。
マルクスさんのような雑な論理で大多数の人を殴るような存在は、以前であればボコボコにされる(※追記。これは個人攻撃や誹謗中傷のことではありません。論理的な弱さにきっちり突っ込みを入れられることです)ことで、雑な語りをやめるか、勉強をしてレベルアップするかどちらかが求められるはずだった。しかしもう今はそれがない。
口は悪いけど即退場を出さずやり直しを要求するはてな流は衰退し、好き勝手できる代わりに、運が悪いといきなり即死するような変なネットになった。

偏った人が偏った人同士でつるんで膨れ上がって暴れまわるというのはかつては「ネトウヨ」やゲームハードくらいだったはずだが(だからこそ2ちゃんまとめサイトノエサにされた)、今ではそれが全方面で起きている。


ネットでのサドンデスが、リアルの世界まで押し寄せてきた

もともとネットですらサドンデスになるのはどうかと思っていたのに、物理的に殺されるとかまじでないわ。