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についてさっきのは意識的にクソリプしたのだけれど、せっかくなので前向きにマンガ紹介のほうも。
先に結論から言うと、
「オタクって作品をとっかえひっかえ楽しんではすぐに忘れているように思うかもしれないけれど。本当にガチで楽しんだ作品、特に作品をきっかけに友達と話したり行動した思い出とかはブームが過ぎ去って、しばらく忘れていたとしても折に触れて思い返して懐かしんだりはよくやるよね」
「別に今でも、そういうところはそんなに変わらないんじゃないかな」
「だから、上みたいなことを言う人がいたとしても全然気にする必要ないと思う。自分のペースで自分の好きと向き合えばそれでええやん」
みたいなお話です。
トクサツガガガ50話 「たとえ忘れてしまっても、好きという気持ちはなくなるわけじゃないんだよ」
何度か紹介してる「トクサツガガガ」について。
この作品は特撮好きなOLを主人公としたお話ですが、50話はそんな主人公の過去編。
子供のころ自分が好きな特撮の本を母親に目の前で燃やされ、心が折れて9年間特撮を見ることもなく過ごしていた主人公が、
通学路途中のビデオ屋の閉店の際に、昔見ていた特撮ドラマの最終話のビデオをプレゼントされるというお話。
テレビくん焼き芋(焚書)事件から、隠れて観ることすらやめて9年。いろいろ忘れるには十分な時間でした。
兄が家を出てからは、母の「まともな女の子」教育は静かに加速。
私は、特撮や、母が気にくわないこといろいろを、無意識のうちに忘れようと努めていたのかもしれません。
その最終話では、「役目が終わり、あとは立ち去って忘れ去られる運命」の特撮ヒーローに対して
「忘れないよ」と誓う子供たちとヒーローとの会話が描かれる。
このシーンにクロスするように、
「トクサツガガガ」の主人公と9年前に見ていた特撮ドラマのヒーローとの内的世界での再会が果たされる。
「現実的ではない。何年後になるかわからんことだ。人の、何より子供の記憶はバグや消失が多い。
少しの間でも記憶の更新がなければ、自動的に削除していく。それが人間の記憶だ」「そうだね、機械である僕らだって完ぺきとは言えない。忘れてしまうかもしれないな。
でも、忘れても。 みんなを好きな気持ちは、なくなるわけじゃないんだよ。人の記憶は不安定だけど、とても不思議だ。
何かのきっかけがあれば、何度だって思い出せる。」(ああ、そうだ。このセリフだ。
どんなに怒られて、取り上げられて、ずっと離れて、忘れてしまっても……)
「だからまた、きっと、僕らは会おう」
(「べつにもう好きじゃないし」
「好きってなくなっちゃうものなの?」
違う。忘れてただけで。
あのころから、好きな気持ちは、ずーっと、変わらない。
また、会えてよかった)
この時に、「トクサツガガガ」の主人公が
ずっと忘れようとしていた「特撮が好き」という気持ちを思い出して
気持ちがあふれて涙を流すシーンは、他人事なのにちょっと涙腺を刺激してくれました。
なんかね、忘れてしまうことを皮肉ったりとか、
すぐ次の作品に行くことに罪悪感をあおるようなことを言う人がいるかもしれない。
まじめな人はちょっと悩んじゃうかもしれない。
でも、そんなん気にするな。
本当に心から楽しんだんだったら、絶対にその好きって気持ちはなくなったりはしない。
むしろ、そういう周りの声に心を揺さぶられて、
本当は好きだったのに「私、そんなに好きじゃなかったのかな?」みたいに勝手に認識を塗り替えられないように気を付けたい。
ほかの人がなんと言おうが、
忘れてしまったり、あとで嫌いになったとしても、
その時好きだった気持ちは嘘じゃないのだから。
だいいちさー。そんなこと言ったら現実の男女関係とかもっと悲惨やろ……。
いつまでも熱烈な恋のような気持ちを持てないとダメ、みたいなあほなこと言ってる人がいたら引くでしょ。
「早すぎ」とか「遅すぎ」とかも他人に勝手にジャッジされるものでもないし。
そんなん自分で決めたらええねんって。
例えば私の場合だったら、もうエロゲーやってないし、ランスシリーズとかもわざわざ旧作をやり直すようなことはもうないだろうけれど。
でも折に触れてランスシリーズの話を耳にしたらその都度思い出すだろうし、その都度好きだった時の気持ち思い出すと思う。
別にそれでええやんと思いますけども。
先のこととか、過去のこととか余計なこと気にせず、都度面白いと思ったものを全力で楽しんで、
ついでに、その熱い気持ちをtwitterとかブログでぶちまけれてほしいと思いまする。
それにしてもこの作品、本当に何でもポジティブだなー。
「障害に負けずに特撮好きを貫きつつ、世界と折り合いをつけて前向きに生きる」って部分がブレないから、しんどい時に読んでるととても励まされます。
このあたり比較して読むと本当に面白いよね