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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「女の体をゆるすまで」  ハラスメントというのは「女性が女性の身体性を許せなくなる」ことがあるほどに凶悪だなという話

yawaspi.com

読みました。

「パワハラ・セクハラ」の合わさった行為によって、一人の女性が
自分が女性であるということそのものを許せなくなるほどの深刻な呪いを受けたということを高い表現力で描いた漫画。

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https://yawaspi.com/yurusumade/comic/002_001.html

ハラスメントは二段階で考えないと理解ができない

私は「ハラスメント」について一時期いろいろと調べていたことがありますが、ハラスメント問題ってかなり難しんですよね。

www.tyoshiki.com

ハラスメントはたいていの場合二段階に分けて考えた方が良いです。

セクハラでもパワハラでもそうですが、ハラスメントには第一段階として「自立性の低下」と「判断基準の喪失」があります。 デバフをかけてから攻撃をしかけてくるわけです。 この第一段階を通過してしまうと正常な判断ができなくなるのですが、この部分が理解されにくく、それゆえに部外者からの発言がとても無遠慮になりがちです。

①第一段階
コミュニケーションについて 「一方だけが学習の努力を続けることを要求され続ける。この非対称の関係が継続することでやがて疲労困憊し、茫然自失の状態に陥る。
それは自尊心の喪失につながり、学習過程をうまく作動させられなくなる

「判断基準の喪失をさせられた」のですよね。ですので、かなり過酷でもこれが当たり前と思ってしまい、前述の景気のこととか「この会社は業界の中ではましだ」という言葉もあわさって、身体が壊れてもなかなか辞める踏ん切りがつかなかったと。しかも当時はネットもなかったので、客観的情報がほとんどない中で辞めるのは、わりと勇気がいりました。

上の漫画でもその様子が描かれています。 第一段階について「魂と自我のインターフェースが乖離する」と表現している本もありました。

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ハラスメント経験した人はこのコマが凄く心当たりあるんじゃないかと思います。自分で自分を制御できなくなるわけですね。

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なので、外野から見た時に「逃げればいいじゃん」とか「なんで抵抗しなかったの」みたいなセカンドレイプ的な発言が出ることがあります。堀江貴文氏なども「嫌ならやめればいいじゃん」という話をしたりします。でも、そういう判断ができないように徹底的に自己判断を否定する行程が先に入ってるんだからそれアドバイスでもなんでもなくて、ただ無知を披露してるだけです。「経験しないとわからないことなのだから黙ってろこういう話を自分の感覚で判断すること自体間違いなんだよクソが」となります。

ずばりハラスメント被害を訴えることの難しさについて旧ブログで過去に記事を書いてたんですが以降に失敗したのでもう残ってません




②第二段階。呪いの段階
「こうなった時にBは、Aに対して、自分にだけ都合の良いメッセージを送り込む。それはお前は私の言うことだけ聞いていれば良いのだ」という趣旨のものである。 これによってAは呪縛を受ける。

第一段階で自己判断能力が死にかかっているので、自分のことでも他人事のように感じる(他人の基準でしか考えられなくなる)し、
他人に言われて初めて自分のことが考えられるみたいな状態になります。

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この作者の場合は「運がいいことに(全然よくはないけれど最悪よりはましという意味で)」つらさを吐き出す相手がいて、異常を指摘してくれる友人がいましが、それでもダメ。
ブラック企業で友達がいなかったり、相談する相手がいない人なんかがターゲットにされたらもっとやばかったでしょう。

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最終的に、ハラスメントが完全に完成する前に身体が先にギブアップをしたことで親元に逃げ帰るという展開になって、一命をとりとめたという形になります。





これでも運が良かった方だと言うのは、本当に完成してしまった場合は、死ぬまで逃げ切ることができなくなるからです。
「ビ・〇イア」の件で自殺した社員や、北九州一家連続殺人事件の被害者などがこの状態に陥っていたといわれています。

X氏はそういう意味で徹底したハラスメント管理を行っていたわけではなく、調子に乗っていじめを楽しんでいたのでしょう。それでも最悪ですが。

③ハラスメントの成立段階。
この呪縛が成立する上で重要な条件は2つ。「AがBとの関係から離脱できないと思い込んでいること」と「自分自身の感覚を裏切り、相手の"学習しているフリ"を本当の学習だと信じること」だ。
その場を離脱することに罪悪感を覚え始めたら、そこから本当の地獄がスタートする

なんとか逃げ切ったけれども、呪いにかかってしまった

それでも呪いを受けてしまうと、解呪するのは極めて困難になります。

その結果、反出生主義の相似形のように「自分が女であること」や「他者の女性の身体性」までが許せない状態に陥ってしまう。
(この作者さんは、1話で描かれているように「もともとトランスジェンダーである」点もかなり影響としては強いと思いますが)


www.tyoshiki.com



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こういう人今ネットでもたくさん見かけます。

自分の女性性も否定したいし、他人の女性性も本当は嫌悪している。

まして、女性性が男性にちょっとでも手出しされているのを見ると発狂してしまう。


この増田について、自他の境界がないんですかって揶揄するコメントが多いですが
anond.hatelabo.jp

たぶん実際に、そのあたりの境界線が壊れてしまってるんだと思います。

親のせいなのか、他の男のせいなのか、フェミのせいなのかは知りませんが、
女性性どころか、自分を守る自我という壁そのものを壊されて、もうまともに思考ができなくなっている。

そのきっかけが女性性だとすると、弱まった思考力の下では、「女性性」そのものが地雷なわけです。

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反出生主義者の少なくない割合の人たちが、親や社会への憎悪を処理しきれなくて、出生すること自体を否定しにかかってしまうように
そういう人たちは、男性であれ女性であれ、女性性そのものにかかわるすべてのものを消し去りたいまでになっていたりするのかもしれません。

「私は〇〇で傷ついた」ということがそもそも言えない。
それが言えないけれど、自分が傷ついたということをいうために、自分を含めて「全体」を否定せずにはおれないんですね。それほどまでに、自我が傷ついて、弱ってしまっている。



特にミサンドリー界隈はそういう人をエサにしてますよね。
シュナムル氏や勝部氏のようなどうかんがえてもダメな奴(ここいらはミソジニー持ちの自称フェミニストですから論外)に限らず。
あまりにもフェミニズムとは言えない素人がフェミニズムを名乗ってるだけで実際はミサンドリストでしたとか。
場当たり的に目につくものを攻撃してるだけで理論的には中身空っぽで本当に言いたいことはオタク氏ねっていってるだけの保守主義者だったりとか。
特に、暴言が許されやすいはてなはもうミサンドリストの方がフェミニストより割合が多くなっててもうさすがに切断不可避なのではと思ってしまいます。


そういう明らかにおかしな感じの人たちに、おとなしめの女性がまるでハーメルンの笛吹きに誘導されるようについていく。
そして、次第にその人たちのいうままろくに思考もせずに過激なことをいうようになったり明らかにおかしな発言をいいねしたりRTしたりするbotと化していく。そんな光景をよく見ます。
あの人たちは私のブログでも何度も暴れまわって不愉快な思いをさせられましたし、言ってることが非論理的でガバガバなのでバカにするのは簡単ですが……本当にそれでいいんだろうかとはよく思います。
最近は、確実に半数くらいは心の病気なんだろうなと思うようになってきました。
こういう人たちを見るにつれてブラック企業でつぶされたり、セクハラで心を病んだりする人が今の世の中にとても多いのだろうなと思わずにはおれません。


自分が嫌いな人ほど、誰かの助けを得てでも自分と向き合わないとダメなんだと思う(めちゃくちゃしんどいだろうけれど)

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これについて、自分が助けになれるわけじゃないので無責任に向き合うべきって押し付けることはできないんだけれど。

なんかネットで「助かった人」「立ち直った人」には必ず隣に伴侶がいるよね。

完全な生存バイアスなんだけれど、逆に言えば「助けを求められる他人」に出会えなければ、高確率で死ぬんだと思ってます。



私が35歳を乗り越えられたのも割とそのあたりだと思ってます。
31歳~32歳くらいのときは体調・経済面・仕事面・交友関係すべてにおいてどん底でかなり厳しかったんですが、
そこからある人と出会ってそこから芋づる式に人とのつながりができ、家でも会社でもない外部に生きる場所を得られたから何とかなったと思ってます。

今東京転勤とコロナのせいでそのあたりのつながりが切れててもろくなってるので私も気を付けないとなあ……。