頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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うちの祖母は、ものすごくしっかりした人だったのに認知症になってから施設にはいったあと、めちゃくちゃ周囲の方々に迷惑をかけてたことを思い出してつらくなった

あくまで下記の記事は「身体拘束」の話題である。
そして、タイトルに書いたうちの祖母が身体拘束されたという話は聞いたことがない。
というか最初いろいろ書いてたんだけど、下記の記事の迫力の前に私ごときがなにか語ろうとするのもおこがましいなと思って自重する。


東京新聞の記事はさすがにもモヤっとする

www.tokyo-np.co.jp

「きれいごと言って、結局全部他人事なんだよ」「60年、社会は何も変わんねえんだよ」。精神障害者から目を背け、病院へ追いやることを是としてきた社会。

東京新聞さんって、反原発運動など、テーマを決めたら「良い意味で」しつこく取材を重ねる傾向があると思っていて、そこは結構評価してるのだけれど。
ただ、たまに記者の信念みたいなものがかたよりすぎててどれだけ取材をしても全く新しい情報を受け入れず、壊れたラジオみたいに同じ主張を繰り返す傾向がある気がする。
この件も、あまり結論を急がずに、ニュートラルに取材を重ねていってほしいと思う。

記事の途中にあった「精神科病院での実習を通して 「知る」ことから全ては始まる 特別報道部・木原育子」などは結構いいことを書いていると思った。

ただ、この記事は、インタビューする人の力量の問題なのか、印象操作の問題なのか、なんか微妙な印象を持つよね。


そしたら、われらがシロクマ先生が当事者目線で丁寧に記事を書いてくれていてとても助かる。

p-shirokuma.hatenadiary.com

http://ginmu.naramed-u.ac.jp/dspace/bitstream/10564/3930/3/03%E4%B9%991504%E6%9C%AC%E6%96%87.pdf

精神科病院で身体拘束は増えている。だが、その増加の相当な割合を占めるのは高齢者の認知症疾患だ。そして、そのような認知症疾患の患者の身体と安全を守るうえで身体拘束がやむをえず必要とされる場面は少なくない。精神科病院において身体拘束が必要とされるのは、身体や生命の安全がそうしなければ守らないほどの状況だ。

高齢者が転倒し放題・骨折し放題・異食し放題・合併症起こし放題で構わないなら、自由を優先させるという意味でも精神科病院の採算性からいってもなるべく減らしたいと言える。しかし、患者の身体や生命を守るのが病院の役割だから、そんな放置主義が許されるとも思えない。日精協会長は、法律を守って自分たちは身体拘束を行っていると述べているが、実際、身体拘束をはじめとする行動制限にかんする条項が精神保健福祉法に存在するのは、患者の身体や生命を守るためにそうした措置が必要な状況が存在することを踏まえている

心が痛むか、痛まないかと問われたら、そりゃ痛む、と答えるほかない。では、心を痛めて、じくじくと心が血を流していればいいのだろうか? 違うだろう。この場合、患者の身体や生命を守ることが肝心だ。それと法に基づいて決定が行われること。

anond.hatelabo.jp

あの会長みたいに開き直るのもどうかと思うが、
あの新聞みたいに運良く退院できた人を連れてきてみんな退院できるはず!と思わせるのも不誠実
とりあえず身体拘束を減らしたいのであれば、認知症で入院した人が病棟で歩いて転んで亡くなった場合に
医療者に責任があるという判決を下すのをやめてください。まずはそれからだ

そもそもこういった人は本来病院にいるべきではないと自分は思う
なぜなれば治療可能性がほとんどないからだ
病院はあくまでも治療に専念すべき場所であり、施設ではない

www.tyoshiki.com
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yanmaga.jp



介護とか医療の問題って、うかつに口に出すとこういう話につながると思ってるから怖いんだよな……。