ベーシックインカム導入国、実施国はないが近い国はある
"ベーシック・インカム"必要最低限の給付をオランダで実験「幸福度が増す」
一部の小さな資源国や観光国以外でのベーシック・インカム以外でははじめてに成るのかな?興味しんしんです。個人的にはどうしても抵抗がある制度なので、問題点に注目しつつ、私の知らない良い面についてもある程度見えてくると良いなと思います。
「ベーシック・インカム」というと、今このテーマを正面から取り扱ってるマンガとして「市場クロガネは稼ぎたい」がありますね。
「市場クロガネは稼ぎたい」はベーシック・インカムを巡る選挙の話になってからは、今までの企業による経済活動ではなく「政治」「社会・福祉政策」の話にステージが移動しました。そのためか一気に登場人物が増え、学園外勢力との関係も出てきて複雑になり、どうしても話がもたつく状態になってしまっています。それでもこのテーマはいろんな面から思考実験して見るに足りる話と思うので、どのように決着するか楽しみです。
(申し訳ないけれどこの漫画は表紙が全然ダメだと思うんだよなぁ……私のセンスが悪いのかもしれないけど)
資本主義=「成果に値する対価を」 vs ベーシックインカム=「正義に値する救済を」
成果至上主義の生徒会長と、BI主唱者であるキースの間での選挙戦が展開される。
ただ、この作品別にどちらかが100%正しくてどちらかが間違ってるという話にはならないだろう。もともとこれはどちらが正しいか、どちらが間違っているか、という話ではない。決まった正解がある話ではない。「ヴィンランド・サガ」において、クヌートとトルフィンのどちらが正しいかとも言えないのと同じだ。
何が重要かというと「明確なビジョン」と「やりとおす信念」だ、とこの作品は主張する。社会をどういうふうに導きたいか、そのための信念を持っているか。そしてどちらが民衆から支持を得るか。つまり「ベーシック・インカム」という旬な話題を使って「選挙」とは「政治」とはどういうことか、を訴えかけたいのかな、って思います。
だからこそ、テンポが悪くなっても泥臭い展開を描いていると思う。そういうのは嫌いではないです。その上で、読者としてちゃんと判断できればな、と思ってます。
経営にしろ政治にしろ、だ。万人が満足行くやりかたなんて有るかよ。あの案だってそうだ。あれじゃあ納得出来ない連中だっていくらでもいるはずだ。それでも大多数があの女についていく。あの女にはあるからだ。明確なビジョンとやり通す信念が。だから批判を前にしてブレない。自分の意見に説得力をもたせられる。かたや、「会長憎し」つー目先の感情のみだ。そんなカスがあの女をどうこうできるかよ。
安倍(晋三首相)さんがなぜ支持されるのかというと、批判されても実行するからだ
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/111200019/?P=3
橋下さんらしい選挙万能主義を体現したあざやかな断言だと思う。
「批判されても実行するから支持される」という橋下さんの言葉を逆方向から読み直すと、
「国民は、自分が反対している政策であれ何であれ、決然と実行するリーダーを待望している」ということになる。
なんと。独裁者待望論そのものだ。
私は1課のやつらの強引なやりかたは嫌いではない。むしろ今の軍の中では好ましいとさえ思える。殺戮が、ではないぞ。「自分たちがどういう機能を果たすのか」を冗長で婉曲な文章ではなく簡潔に言い表しているあり方が、だ。
我々民衆はそれを吟味すべきだ。「こっちは必要」「こっちは不要」とな。国を構成する役職も人財も、そうやって淘汰されるべきなのだ。人望や性格ではなく「何をやろうとしているか」。1課のように政治屋はその目的をむき出しにスべきだ。民におべっかなど使わずに。そして淘汰されるべきだ。政府と民衆は上下の関係である必要はない。互いに真剣であればいい。 (Pumpkin Scissors12巻)
おそらくだけれど、もともと「資本主義」と「ベーシック・インカム」は対立するものではなく、むしろBIは資本主義の補完部分にあたると思います。なので本来の我々の社会では「生活保護」VS「BI」とするのが本来は正しいと思います。どちらにせよ成果主義は止められない。共産主義にでもしないかぎり、資本の動きや働きたい人を止める方法はない。
ところがこの作品には「生活保護」がない。脱落者は即退学という世界観。このために議論がいろいろとちぐはぐになっています。作者がここを整理できているのかが不安になりながら読んでますが大丈夫かな……?
以下はマンガと関係ない余談です。
自分がベーシック・インカムに抵抗感が有るのは、簡単に言うと「支給してくれる国への依存」「自力で生きるチカラが弱くなるのでは」という懸念がどうしても拭えないからですね。 「生活保護ではいかんのか?」という思いも強いです。
貧困者を中心に「その生活保護に問題が多すぎる(手続きが煩雑すぎて必要な人に行き渡らないくせに、悪知恵を働く人間による不正受給やビジネスが横行している)」であるという話も知っています。「最貧困女子」において、発達障害や知的障害を抱える人間は、生活保護を中心に国の救済を受けるための手続きを自力で行うことが不可能であることは詳細に描かれています。
すくいきれないもの 「最貧困女子」 - この夜が明けるまであと百万の祈り
また、ちきりんさんや堀江さんを中心に「生活保護に関する仕組みが利権や非効率の塊であるため、これを効率化するためにも良い」という意見があるのも一応把握はしてます。
堀江さん(ホリエモン)の意見なんて「くだらん奴には金(給与)だけ払って仕事場からは引き離したほうがいい」って感じです。「お金払ってでも、職場から追い出したい人がいる」ってのがベースにある
それでも、私はベーシック・インカム嫌なんですよね。なぜ、って他人に説明できるくらいなら「私が国全体の政策としてベーシック・インカムを導入することに反対である理由」って記事を書いてるんですが、とにかくよくわからないけど感覚的に嫌いとしか言えない。
(1)感覚的な話として ー 支給されることに甘んじていると、支給してくれる存在に刃向かえなく成る気がする
私の主観的な話でしかないのだけれど、ベーシック・インカムって要するに「親」の代わりが「国」になるということになると思う。 だとすると私は親に養われている時の自分が嫌いで嫌いでしょうがなかったのだから、国に同じようなことをされても嫌だ。
ちょっとでも文句があったら親がすぐに「歯向かうなら飯を食うな、出て行け」と言うような人だったから、不満があっても従わざるを得なかった。養われているという事実を常に意識付されてきたから、こういう「一方的に与えられる」関係が嫌いなのだ。親には強く恩を感じているとともに、「何かを無償で与えられ、それに縛られる」ということそれ自体に抵抗を感じずにはいられない。
それに国は、普段は親よりもずっと遠い代わりにそんなに干渉はしないだろうが、血縁がない代わり、いざというときや資金が足りなくなった時に容赦なくその支給を停止するようになるのではないかという危機感が有る。それをどうやって抑止するんだ、と。ある意味マトリクスの夢を見続ける人たちのような状態であると思う。
こういう時に「自分が頑張って支配されるようなところから抜け出せばいいじゃないか」とか言い出す人がいたらますますもって危ないと思う。一度始めたら「依存者」が多く出るためなかなか辞めにくい制度なだけに、今の状態でとても賛成する気にはなれない。
(2)一時的に圧倒的に得する人たちによるポジショントークに聞こえる&BIのほうが遙かに格差が拡大すると思う
BIは「格差是正」ではなく「貧困」「最低限の生活」に注目した制度だ。逆に言えば「貧困」さえなくすのであれば「格差」や「富めるものがより富むこと」は許容するという思想から成り立っていると私は思う。そして、その財源については大体の場合相続税および、政治における無駄の廃止の2つだ。
BIを導入した時に得する人間は2種類だけだと思う。
1つが「相続によらず、一代で自分の力で現時点までに多くを手に入れていたもの」
2つが「生活保護も受けられない最貧困の人間」
BI主張者の多くは、最低限の貧困さえなくせばあとは好き勝手してもいいだろ、というように聞こえる。経営者やもともと人的資源を持っている人間にとって都合が良すぎると思う。彼らからしたらBIが導入されることによって気に入らない奴は気軽に解雇できるようになるし、各種保険料を会社で負担する義務もなくなる。必要なときに必要なやつを読んできて事業をやればいい。いろんな柵から解き放たれるわけだ。
もちろん雇われる側だって自分が気に入られなくなればいつでもやめられるが、こういう立場上対等な関係というのは「今の時点で何も持たない」人間が不利になるのだ。不利な人間が有利な人間と付きあおうとするならば、そこに主従関係が生まれる。その間に法などの保護はなくなるのではないか。
心理的には彼らの主張はとても納得できる。経営者や富裕層は、各種保険料の支払いや累進課税によって高い税負担を負わされる。にもかかわらず、それが大して働かない人々のために費やされる(=資金効率が極めて悪い)ことに我慢できないのだと思う。むかつくやつらの生活のために自分たちが必死に稼いだ金を使わされる、というふうにすら感じているかもしれない。 だったらBIにしてもおそらくすでに高い彼らの税負担は変わらないし、「本当に必要としている人々」に行き渡るほうが気分が良いのだろうと思う。
だから別に間違いじゃないし彼らがそう主張するのはむしろ当然だと思うが、彼らは彼らの立場の最善を述べているだけで、どこまでのことをフォローできているのかというと、どうもあまり信用出来ない。
つまりBIは今のところ、私にとって「正論」としても十分ではないと感じている。枝葉末節を改めればよいというものではない気がする。
正論(コア)とその手段の選択について - この夜が明けるまであと百万の祈り
「正論」に沿った選択肢は、無数にあります。「正論」と思うものが出れば、それが答えです。その答えを実現するためにどうするか、というのが社会人の仕事であって、「それは正しい答えだが、回答はしたくない」みたいな姿勢は、仕事をしているうちには入りません。「社長はいつも、夢みたいなことばかり言う。言ってることは分かるんだけどさ」などと思った時は、その「夢みたいなこと」の中に正解があります。「夢みたいなこと」「理想ばかり」などと切り捨てず、その中に見つけた「正論」を取り出し、その「正論」の実現を考えるべきなのです。
◆支持派・楽観論
「ベーシック・インカム」を支持します - 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
働かなくても最低限のお金がもらえる「ベーシックインカム」構想が実現すると何が起きるか現実の都市でテスト - GIGAZINE
"ベーシック・インカム"必要最低限の給付をオランダで実験「幸福度が増す」
◆否定派・悲観論…いまいちきちんと論拠だてて語ってる記事が少ない
橘玲「ベーシックインカムは奴隷制である」 - モジログ
ベーシックインカム論はなぜ下火になったのか - 原田泰|WEBRONZA - 朝日新聞社
下火の理由の一つに、BIがどうしても必要な層には生活保護があると周知されたからでしょう。
BIは