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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「ルワンダの涙」(原題:SHOOTING DOGS)  現地にいた白人から見たルワンダの悲劇

ヴィエコスラヴ・チュリッチ - Wikipedia

ヴィエコスラヴ・チュリッチは、同学校からの退去を拒否した唯一の「白人」であった。チュリッチは虐殺が続く中でルワンダに留まり続け、脅迫にあいながらも公然と暴力を非難し続けた。

この作品は、チュリッチそのものを描いた作品ではないので注意。


「去年ボスニアで同じ気持ちに。 最高の仕事をしたけれど、毎日泣いてた。
 それが、ここルワンダでは……涙が出ないの」
「感覚がマヒしたのかも」
「いいえ、違う。もっとひどい。ボスニアの白人女性の死体を見ると連想したの。これが母だったら、と。
 ここの死体は、ただの死んだアフリカ人。結局、私たちは自分勝手な人間なのよ」

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30年間この大陸で過ごして、変わらずにあるのは希望だ。
希望だけ。それしかなかった
今、その希望さえも、消えていく

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ホテル・ルワンダとの違い

この作品は学校が舞台であり、キリスト教神父クリストファーと、ベルギー人教師ジョーの視点から事件を見る形になっている。
つまり大人たち、状況を動かして言える高官たちとのコネなんかないし自分たちでは状況に対してろくな働きかけなどできない。国連軍兵士に頼る以外なにもできない、という絶望的な状況だ。

ある程度マクロな視点が理解でき、相対的な見方ができるホテルルワンダと比べて、よりミクロで一方的な描写となっております、当時の状況の理不尽さが伝わる。


そんな中で神父は無力を受け入れつつただできることをし、若い教師は何かしなければという気持ちで焦り右往左往する。




また、大統領暗殺事件発生前の描写に大きな違いがある。

四つ星ホテルの支配人、というエリート中のエリートだった主人公目線で描かれた「ホテル・ルワンダ」は、大統領暗殺事件発生前は比較的余裕を感じられた。

しかし実際には、前の段階でに頻繁に検問やツチ族虐待、さらにはフツ族によるツチ族虐殺事件を警察が黙認していたことがこちらの映画ではわかる。さらに、事件の前に「ツチ族のリスト作成」を行っている集団の存在や、それに国会議員が直接関与しているなど、虐殺が組織的かつ計画されたものであることをうかがわせる描写がしっかり描かれている。

段階的に虐殺が拡大していったホロコーストより、ある意味ずっと強い悪意を感じる。



この学校にはPKOのための部隊が展開しており、一番安全だと思われていたのだが……

大統領暗殺事件発生直後、訓練を積んだ兵士たちが非常事態に備えて防御網を築いていく姿はとても頼もしい。

しかし、この兵隊たちは、発砲を許されていないんだよね……。彼らが撃つことができたのは、死肉をむさぼる狗だけ。これがそのままタイトルになっている。

そもそも兵士たちは学校に避難民を入れることにも反対だった。

「開けてやれ」
「ここは基地だ。難民キャンプじゃない」
「ここは学校だ」

大統領暗殺が起きてからは「ホテル・ルワンダ」以上にフツ族の恐ろしさを味わうことになる。学校の外に出ようとしても、政府軍が守ってくれたりはしないので不可能。白人であるジョーが外に出ても民兵につかまって殺されそうになる。

そのあとは目と鼻の先の距離で学校が包囲された状況で、ただただベルギー人の国連兵に頼り、さらに外部から救助がくるのを待つしかできない。

最初は神の教えを聞きに、ミサに来ていた人たちもだんだん数が減っていく。
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こんな状況で、学校内で一人の人間が出産する光景はとても悲しい……。


希望をあたえてからどん底に落とす展開

途中でフランス軍が到着する。学校内の被難民たちは希望を持つが、しかし、来たのはたったトラック2台。結局白人だけを連れて去っていく。



そして最後の頼みの綱であったベルギー人国連兵も、別の箇所でベルギー兵10名が殺されたことにより、上が撤収を決めてしまう。

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神父は、国連兵が撤退するのを止めることはできず、最後にできるせめてもの儀式として聖体拝領の儀式を行う。



「私たちを見捨ててフツ族にむごたらしく殺させるならば、せめてその前に私たちを楽に殺してください」

残される人たちはみな運命を悟っていた
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せめて子供だけでも楽に殺してやってくれ、と懇願するしかない親たちの目が辛すぎる……

ベルギー軍の隊長である大尉は、態度こそ硬いが冷たい人間ではなく、むしろ、第二次世界大戦中にユダヤ人をかくまった祖母を誇りに思っていた、ルワンダの人たちも助けたいと思っていた。何度も上の人間に許可を求めていた。
しかし、最後まで大尉は助けたいと思った彼らの願いに答えることはできない。お互いのやるせない表情がとてもつらい。

フランスがそうであったように、諸外国はみんなこの厄介な国から自国民だけ守って手をひこうとした。みんなで見殺しにした。責められるべきは現地にいた彼らではなく、何もするな、と命令した上の人間である。


たった一人だけ残る神父

そうしてすべての外国人がルワンダを見殺しにして去っていく中で、ただ一人、神父だけは最後まで彼らと運命をともにする。

「私は残る。そうすべきなんだ」
「どうしてです」
「君は聞いたね。神はいったいどこにいるのかと。
 私は知っている。神はここに苦しむ人々といる、とね。神の愛を感じるよ。かつてないほどに強く、深く。私の愛も、ここだ。私の魂だ。今、ここを去れば、二度と見つけられないだろう。



 何事にも全力を尽くせ、ジョー。」

神父は言っていたわ。「犠牲は最大の愛」だと

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そのあとの惨劇はさすがに見るに堪えない……

こうした惨劇の描写とともに、介入したくないためにルワンダで起きていることを頑なにジェノサイドと認めず言葉遊びをしているアメリカ政府側の対応が映される。(当時はクリントン政権)。監督の強い怒りを感じる。



結局、2000人以上の人間は一日でほとんど殺され尽くした。本当に何名かだけが生き残った。ゴブリンスレイヤーのように、大量の死体に埋もれながら、家族が皆殺しにされる姿を一日中ずっと息を殺しながら見ていた人もいたという。
その生き残った人たちによる協力のもとでこの映画は作成されている。


ちなみに映画の原題は、上で述べたように、ルワンダを助けるために来たのにできたことは犬を撃つことだけだった状況を作った諸外国への強い批判が込められている。

死者の身体をついばむ(scavenge)野良犬をねらい撃つ際の国連兵士の行動を指す。虐殺の加害者であるフツ(族)に対して発砲を禁止されている国連の兵士による犬の射撃は異常な状況の象徴として描かれている。

ルワンダの涙 - Wikipedia
公立技術学校の虐殺 - Wikipedia



この時のルワンダに神はいたのだろうか…

この作品を見ながら、「あしあと」を思い出しました。
砂の上の足跡

唯一、神父の存在だけが全く救いのない物語の中で、とても小さいけれど、何か大事なものを救ってくれているような気がする。

ペシミストの勇気について

いまにして思えば、鹿野武一という男の存在は私にとってかけがえのないものであった。彼の追憶によって、私のシベリヤの記憶はかろうして救われているのである。このような人間が戦後の荒涼たるシベリヤの風景と、日本人の心のなかを通って行ったということだけで、それらの一切の悲惨が救われていると感ずるのは、おそらく私一人なのかもしれない。