この夜が明けるまであと百万の祈り

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です

なぜ人はいつまでたっても「安全ピン」の話をやめないのか

およそ、不幸を伝え得ぬというほどの不幸はない。彼は貧しかったから不幸であった。野心に挫折したから、あるいは女に裏切られたから不幸であった。このような不幸には理由がある。つまり告白すれば他人が耳を傾けてくれるのである。だが理由のない不幸(略)をどうやって伝えられるか。しかもそれが日夜生理的に耐え難いほどに身と心を責めさいなむとすればどうしたらよいか。このようにいえば、人はおそらくそれは狂人の不幸、むしろ単なる狂気にすぎないというであろう。だが、私はそのような不幸の実在を信ずる。信じなければ、夏目漱石の作品にあらわれた仮構の秩序は理解できない、という理由によってである。(江藤淳「漱石像をめぐって」)
「狂人」になりますか?それとも己が不幸であることを諦めますか? - この夜が明けるまであと百万の祈り

ものすごく今更ですが。二週間の動きを見ていて自分なりに思ったことを書きます。あくまで私の感想ですので異論反論はご自由にどうぞです。




まず初めに確認しておくべきことがあります。

「安全ピンの件で騒いでいる人は痴漢をなくしたいと思っていない。少なくともそれを第一義として行動していない。明らかに別のことが一番大事でそっちに気を取られている」


ここを間違えないようにしたいです。こう考えないと、「痴漢をやっつける」って建前の割に安全ピンの是非以外に全く意見が全く出てこないどころか最低限の知識がないことに対して説明ができないです。

さすがにこれを否定する人はいないと思いますが、いろんな人が指摘しているように「安全ピン」という手段は、いろんな手段を考えたら明らかに下の下の下なんです。リスクが大きいし、ほかにもいい手段はたくさん提示されていますよね。現実的に取りうる手段としては愚策です。本気でこれが優れた手段だと思ってるなら、はっきり言いますが頭がクッソ悪いです。それでもあえてこの話に固執するのだとしたら、その理由は「その人が相当バカ」か「その人は痴漢を撲滅したい、を最優先で考えてない」のどちらかしかありません。

ここを間違えて、「痴漢をなくすためにはどうするべきか」などと真面目に考えて発言した人はものすごい徒労感を味わされることになります。


騒いでいる人たちは「自分のつらさ」にもっと耳を傾けてほしいのではないか

もちろんこの問題で「安全ピン」に固執している人が全員バカだとは思えません。何かほかに理由があるわけです。

あくまで私の感想ですが、たぶん固執している人たちは「自分たちの感じてきた辛さを知ってほしい。知らずに済ませようとする人たちに自分たちの感じてきた悲しみを一部でもいいから思い知らせたい。」ということを伝えたい。わかってほしい、という気持ちが強いんじゃないでしょうか。この点が大事すぎるから「自分たちが痴漢によって感じてきた痛みは、安全ピンで刺される痛みなど比較にもならないくらいつらかったんだ」ということを認めてもらうまで、一歩たりとも動く気がないのです。


彼女たちにとって安全ピンというのははあくまで自分たちの辛さをアピールするためのたとえ話に過ぎないのです。この件で騒いでる人たちは誰も本当に刺すつもりなど微塵もありません。だから現実的な細かい問題について考えるつもりもありません。それどころか実際に刺す人がいたら、表面的には応援的なことをいいつつも心の底では馬鹿にするでしょう。「なんで本当に刺してるの?バカなの?」と。この件に限らず、ネットで男の金○を踏み潰したいみたいな過激なタグで連帯してる人がいますが99.9%の人は「ハイエースしたい」と言ってるオタクと一緒です。閉じたサークル内で、ありえない行動やシチュエーションを妄想してつながってるやつです。この手の人たちがやたらとオタクを敵視する傾向が強いのは思考回路がオタクとよく似ているからではないかと私は思っています。一部、ネットの声を真に受けて黄色い安全ピンを本当に作って配るみたいに一線超えちゃってるガチの人がいますが、その人には気の毒なことに、ほとんどの人は本気ではありません。だって「安全ピンそのものはどうでもいい」のだから。そこは本気じゃないのです。

女性だけでなく痴漢をしない大多数の男性にとっても痴漢というのは迷惑な存在です。みんな「痴漢は当然いなくなってほしい。こらしめられたらいいとは思ってる。」その気持ちには嘘はない。でも自分がそのためにリスクのあるアクションを起こすつもりなんて特にありません。少なくともネットの運動なんて得体のしれないものにリアルでも参加するつもりはあまりない。ネットではスカッとした話が楽しめればただそれだけでよかったんです




ここまで考えると、なぜネットで安全ピンの話をするとここまですれ違うかお分かりになると思います。

何度も言いますが、一部のガチ勢大勢の人にとって安全ピンはただのたとえ話です。本当に実行するつもりなどありません。細かい話はどうでも良くて、「そんなことを言い出すくらい痴漢で辛い思いをしてきたんだね」とか「あなたの辛さを理解できてなくてごめんね」と言ってもらいたいために過激なことを言ってるだけなのです。これは悪いことではないし「コミュニケーションのために仲間内で大げさな話をする」のは別に珍しいことではありません。たぶん、目の前で話をしていたら語調とか声のトーンでわかるような話でしょう。

繰り返しになりますが、この件で騒いでる人たちのほとんどは、本当に刺すつもりなど微塵もありません。だから現実的な細かい問題について考えるつもりもありません。話を聞いてほしいだけなのです。この状況で「安全ピンは危険だよ」とか「安全ピンで刺されるのは痛いよ」という返しをするのは最悪です。さらに冤罪の危険性なんて指摘しようものならどうなるか。たとえばこんな感じになります。いやマジで。

①「(自分で話を振っておきながら)私が本当に刺すようなバカだと思っているのか。許せない」 
②「今そんな話してない!私の辛い気持ちよりそんなどうでもいいことを気にするなんて私をバカにしてる。許せない」
③「なんで傷ついた私よりも痴漢のことを心配しているの!?私より痴漢の味方をするなんて許せない」
④「そもそも対策考える必要があるのはあなた達が痴漢をなんとかしないからでしょ!なのに私達のアイデアにケチつけるなんて許せない」

「こんな反応したらバカって言われても仕方ないじゃないか。そんなやついないよ」と思うかもしれませんが、実際にこういう反応をしている人がめちゃくちゃたくさんいました。



でもこれについては、答えるこっち側も気を付けないといけない。怒りを表明してするためにわざと過激なことを言ってるときに、「いや、その怒り方はおかしいよ」ってマジレスを返しても意味がないどころか火に油を注ぐだけです。もともとこういう言葉をものすごく親しい人相手に、限らず、場所も相手を構わずに言ってしまう時点でもうその人は周りを気遣う余裕がありません。自分の気持ちで手一杯ななんです。肯定であれ否定であれ、まずは承認(ちゃんとあなたの気持ちを受け止めてるよと示す)の言葉以外受け入れられない。冷静な思考は今は無理なのです。そこはわかってあげるべきだと思う。

子供が「ぶどうを食べたい」と言った時にどのように受け答えするか。この時に今までは「ぶどうを今日は買ってないよオレンジならあるよこれでいいでしょ」という風に答えたりしていただけです。そうすると子供としては「イヤだ!ぶどうがいいの!食べたい!ぎゃー」というふうに騒いだりするわけですね。
これについて心にアクセスするというのはどういうことかと言うと「ブドウがあるかないか」という状況は一旦置いておく。そしてまず「ぶどうが食べたいんだね。だってぶどう大好きだもんね。なくて残念だね」という風なことを言ってあげる。そうすると、別にブドウがなくても子供は泣き止む。その後で「ぶどうがないからオレンジでいい?」という風に言えば子供は普通におさまったりします。

https://www.tyoshiki.com/entry/2019/05/22/192048

もちろんここまで子ども扱いするのは失礼なので、この通りやれって言ってるわけじゃないですよ。大事なのは「言ってる内容」よりも「気持ち」を考えてあげないといつまでたっても収まらないよってことです。

自分の心が注目してもらえて「やっと話を聞いてくれた」、という風な形で癒されたということなんです。人って、自分の心に注目してもらえるただそれだけのことでこんなに満たされるんだ。普段日常生活での会話ややり取りを見ていると、本当に自分の「心」にではなくて「状況」にしかアクセスしてもらえないんだなということがよくわかります。そのぶん自分で自分の心に注目できていればいつでも自分で満たすことができる。その安心感こそが大事なんですね

https://www.tyoshiki.com/entry/2019/05/22/192048


彼女たちは、ずっと自分の心をわかってほしいと思っていたけれどそれでは耳を傾けてくれなかったという積み重ねがあるのです。だから「安全ピン」という脅迫めいた寓話というかたとえ話を持ち出してきてるわけです。

テロリストの心理に足を踏み入れていますが、そこでナイフとか銃とか言わないのは、物理的に傷つけることが目的ではないからじゃないでしょうか。本当の目的はあくまでも「私はこんなにも傷ついています。怒っています」ってことをわかってほしい。それだけです。

さらに言うと、その際に、ある程度「あいつはおかしい」と言われるのは覚悟しているはずなのです。さすがにいまだに安全ピンの話を続けていて、自分が完全にまともだと思っている人がいたらやばいと思いますが、大抵の人は「あえて」やっている自覚があるはずです。「安全ピン」というたとえ話を持ち出さなければ気が済まないのは、それだけ「痴漢」というものの被害が過小評価されていることを訴えたいからです。

仮構は一切の社会性――つまり他人と共有しうる可能性――を奪われている彼の不幸を、社会的なものにしようとする努力、つまり理解されたいという願望から生じる。願望はもちろん自らを狂人と認めて不幸の実在を撤回することの拒否から生ずるのである。……
……他人に伝えにくい気持ちを伝えようとするときの、あのもどかしさを思えばよい。……このようなとき、人は一瞬沈黙して言葉をさがす。だが、言葉がどれも片々と軽くて、何の役にも立たぬと知ると、今度は一転して何かのたとえ話をはじめる。たとえ話は原始的な仮構で、その故にてあたり次第の言葉を並べるよりも本来の伝え難い気持ちを正確に暗示するのである
「狂人」になりますか?それとも己が不幸であることを諦めますか? - この夜が明けるまであと百万の祈り


まとめますと、「安全ピン」に固執する女性は表面的な部分だけみるととても愚かで、狂人にすら見えますが、表面的な状況みるのではなく、そういう振る舞いをせずにおれないほど「怒っているのだ」 ということがことの本質であり、伝え方は非常に悪いけれど、その気持ちの部分に少し目を向けるべきではないかと思います。
 

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そうしないと多分この人たちはいつまでたっても安全ピンの話をやめられないと思う。

gdgdになっちゃったので最後に私が好きな言葉でも引用してごまかしておく

「All communication is either a loving response or a cry for help」

「人間は、色々なことをしゃべりますけれど、本当は、二つのことしか言ってないんです。

 一つは……。私は、ここにいます。そして、もう一つは……。
 あなたが、そこにいてよかった

 それだけですよ。でも、何度言っても、それを言い尽くせないから、みんな、しゃべるのをやめないんです」(塵骸魔京)
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」 空気を読まない主人公って大好物 - この夜が明けるまであと百万の祈り

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