原作は石井光太というルポライターの人のノンフィクションらしいのだが・・・
読んでいて、いろんな描写が引っかかりすぎて
「この人の書く本は絶対に信用してはいけない」と思った。
というわけで、自分がひっかかった点をメモしておく。
たとえばこの部分
「一日14時間勉強!」結局はつぶれてしまった小学生女子の話(8/10) pic.twitter.com/uBSqQ5Mles
— 鈴木マサカズ (@suzukimasakazu) 2024年8月16日
ちょっと何を言ってるのかわからない。
暗殺教室の読みすぎだろwwww
他の人からもツッコミが入ってたけどそりゃ普通にこう思うよね。
学食のおばちゃんが張り出された名前を見て
上位3割の顔と名前を照合して覚えて、本来のメニューにない海苔をサービスするのすごいな
海苔は自費購入なの?おばちゃん、仕事できすぎるので転職した方がいい
食堂は委託だろうし多めに盛るとかある?嘘なのでは?
もっとちゃんと取材したり裏を取ったりする努力をしてほしい。
教育虐待のルポを描いてるくせに、教育現場への解像度があまりにも低い。
非常にデリケートな話題を扱ってる割に、真剣に教育現場を理解しよう、正確に描写しようという真摯さがまるで感じられなかった。
むしろ無知を言い訳にしてとにかく大げさに描こうとしているのではないかという疑念すら抱かされた。
はっきりいってこの時点でむちゃくちゃ印象が悪い。
一応擁護としてこのような意見もあり、これは説得力があるのだが
これ兄は妄想とかの症状が当時から出てたのではないかなーと思う
それならそうと、読者が分かるように書くべきだ。
少なくともマンガでは明らかにこれが実際にあったことであるかのように描かれているとしか読めない。「兄がこう言っているからそのまんま文章にした。そのまんまマンガにした」というのではルポライターの仕事としては下の下だし、マンガ家としてはもっとタチが悪いと思うのだが、ルポライターというのはこの人に限らずこんなものなのか?
作画担当の鈴木マサカズさんって売れっ子マンガ家だと思うのだがさすがにこのシーン描く時に何も思わなかったのだろうか?もしそうだとしたら「マトリズム」とか他の作品の信頼性も大きく低下することになるのだが。
描いていることが嘘だと言いたいわけじゃない。それ以前の問題だ。「こんなことを注釈なしに書く作者のことを信じろというのは絶対に無理」という感じ。
客が言ったことを疑わずそのまま信じて本にしてるのか、自分でかなり脚色しているのか、どっちなんでしょう
まじでこれはちゃんと明示してほしい。
本当に事実なら、もうちょっと信じられる描き方を工夫してほしい。
原作はもうちょっとマシなのかもしれないが、少なくともこのマンガを読んで「原作者や作画担当がこの問題を真摯に考えている」とはとても思えなかった。
他にもいろいろ突っ込みどころがいろいろある。
両親とも学歴高いような描き方してるけど、自分で勉強したことあるように思えない感が強くて・・・
ずっと病院の個室に入れて勉強させているの、一体何科のなんの病名なの?
とか。
全体的に著者の信頼性を落とすような描写が多く、これは原作が悪いのか、作画担当の鈴木マサカズさんが悪いのかどっちなんだろう。
私鈴木マサカズさんの作品結構好きだったので、色んな意味でものすごく悲しいよ・・・。
たくさんの事例を紹介したいあまりとっちらかった印象が強いです。短くまとめた事例の集まりといいましょうか。
事件や事例の紹介途中にも拘わらず、「〜にちがいない」「〜だろう」「〜かもしれない」といった著者による推測の文章が頻出します。事実と主観を混同させる文章の組み立て方であり、著者の読ませたい物語を読ませる手法を感じます。
さらに、どこからどこまでが出典元からの内容なのか明確ではないことがほとんどです。フォントサイズや字体変えなどによる明確化は一切ありません。
とくに事件の紹介中には、前記のような著者の推測文が挟まってきて物語のように読ませるので、非常に危険なものを感じます。
この手の事例を記した本の冒頭にありがちな「本人の許諾を得た上で個人の特定ができないようにした上で掲載しています」という注釈が一切なかったのも恐ろしい点です。
ここまでアレだと他にも疑ってる人いるのでは?と思って検索したら「石井光太論争」というものがあったらしい
石井光太『遺体』について疑義を発したいわゆる「石井光太論争」である。
野村は『遺体』や石井のその他の著作で描かれているものは
事実に基づかない創作なのではないか
そもそも石井は取材を行ってすらいないのではないのか
石井の作品はノンフィクションではなくフィクションなのではないか
というところにまで疑惑の目を向けた
海外ものなら、どんなに作り話を入れてもバレっこないとでも思っているのかなあ。
この手法を認めてしまうと、誰も海外取材はしなくていいという結論になってしまいますよ。
取材困難な箇所は、全部創作で埋めればいいわけだから。
こうした著作を「ノンフィクション」とか「ルポルタージュ」と銘打って売り出してきた出版社の責任も重大です。
この人は、社会的弱者への共感ではなく、むかしの見世物小屋的な指向で題材を選んできたような気がします。
しかも徹底的に取材しているわけでもない。
とりわけ、海外にいて反論できない社会的弱者を晒し者や作り話のネタにしてもいいのかと私は思いますね。第一、題材がこんなに重いのに、内容はなぜこんなに類型的で予定調和的なのでしょうか。
このようなテーマでのノンフィクションの量産は事実上不可能なのに、なぜ次から次へと出せるのか。
ようするに単なるネタ扱いで苦しむ人々に正面から真筆に向き合っていないためではありませんか。
彼らの会話が言語障害や罵詈雑言の類まで詳細に再現され
http://kobe59.blog.fc2.com/blog-entry-360.html
またそれに見合った『いかにも』と言いたくなる仕草や情景の描写が都合よく繰り返されるのも、非常に不自然です
この「教育虐待」も野村進さんの指摘している話と同じ匂いを感じてしまった。
正直、世間の持つ教育虐待のイメージから何一つ離れている描写がない。
掘り下げが弱いのか描写が弱いのかわからないが、エピソード「しか」無いのだ。
登場する父親はテンプレだし母親についても類似の事件のWikipediaから引き写したかのようなエピソードしかない。
エピソードだけははっきりしているのに、細部における解像度が極めて低い。
それでいて、親が子供に向ける罵声や虐待の様子だけはやたらめったら詳細なのだ。
ノンフィクションを読んでいてこんなチグハグな感じを受けたことは一度もない。
実際に受験産業にいた人間としては、現場感覚と整合性が取れない。
おおたとしまささんの本と比べると、レベル差がひどすぎる。
もしこれを本気で取材して書いたのだとしたら、石井さんの取材レベルは相当低いということになってしまう。
こんな杜撰なこと描写を注釈なしに垂れ流しておいて、自分自身をジャーナリズムの体現者であるかのように演出しているのはさすがに薄ら寒く感じる
いろいろ批判したが、いまから指摘する2つの部分さえなければ、それほどは批判するつもり無かった。
ただ、こういうことを書いておきながら自分のアウトプットがひどいのはちょっと擁護しようがない。
1つめ。これ序盤のコマなのだが・・・
まずここの描写の時点で気持ち悪いなっておもった。
こういうことを言い出す人にろくな人がいた例がない。
「利害関係がなければ正直に書く」っていうことをわざわざアピールしてくる事自体がもう臭い。
2つ目。このあたりの自己正当化もすごく嫌だ。
綺麗事をいうつもりはないが、メディアの末端にいる編プロだからこそできることはあると思っている。
そういう問題じゃないでしょ。 この人のジャーナリズム像はちょっと受け入れがたい。
私は教育虐待の問題にとても興味があるからこそ、こういう「誇張された描かれ方」にはすごく抵抗を感じる
正直、このマンガについてはコミックバンチ編集部の倫理観を疑う。
どうせマンガ化するなら、どうしておおたとしまささんの本にしなかったのか。石井光太さんは自己ブランディングのために教育ジャーナリストをバカにしたが、石井光太さんの本より、おおたとしまささんの本のほうが明らかに公正だし、情報量として信頼度が高いと私は感じた。
たしかにディープな「教育虐待」の問題については石井光太さんのほうが切り込みやすいというのはあるかもしれないがそうであるなら、ジャーナリズムを煽るなら、なおさら事実をしっかり確かめて、信頼性の高い情報を伝える努力をしてほしかった。
ただ、今現在の石井光太さんは「スゴ本」でも取り上げられていたことがある著者だし、2005年に書かれた「物乞う仏陀」などは名作だというし、全体的には質が高いノンフィクション作品を書かれる人らしい
お恥ずかしながら、今まで読んだこともないのに、スゴ本で評価されてたのでなんとなくすごい作者さんなのだと思いこんでいたのが迂闊だった。
今度は逆に、この一作品読んだだけで石井さんの評価を決めてしまうのもそれはそれで間違いだと思う。
なんとなくだけれど、真剣に取り組んでるテーマとそうでないテーマで温度差が激しい人というだけかもしれない…。
少なくとも「教育虐待」は石井さんの中でそれほど興味を惹かれない話題だったのだろうか。