頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

「法律は国民のお気持ちの集合体」というお話について

anond.hatelabo.jp


なんだかなー。


こういう雑な人って一番めんどくさいんだよな。



一応説明しておくか。


まず立憲民主主義の原則、特に法がまず憲法の支配下にあるということが理解されていない

1:立憲主義の無理解:基本的人権は多数決の対象外であるという憲法の基本構造を看過している

2:違憲審査制の意義の軽視:民主主義の暴走を防ぐ制度的保障の重要性を理解していない

3:表現の自由の特殊性の無視:民主主義の基盤的権利としての表現の自由の地位を軽視している

4:法の支配の原理への無理解:感情論と法的判断の本質的相違を認識していない

特に基本的人権に関わる事柄において「国民の過半数の感情」は制約する正当化事由とはなり得ないってのがコンセンサスだよ。

むしろ多数決であれば基本的人権も奪うことが可能である、という考え方こそが立憲民主主義にとって最大の脅威だとすら言われてるよ。

www.yokohama-roadlaw.com
ameblo.jp

だからこそ石丸伸二は100%支持してはいけないんですよ。ここについての過去の言及を変えない限り私はなにがあっても絶対に支持しないよ。


プロセスの理解と言う意味でも解像度が低すぎてお話にならない

当たり前だけれど法形成プロセスのは単なる多数決ではない。単なる多数決になるとどうなるかは歴史が証明している

まず、法律が成立する過程は、単に国民の多数が「お気持ち」で賛同すれば直ちに実現するというものではない。

法が社会の要請に応えるために、単なる民意の反映だけでなく、
憲法の基本原理、既存の法体系との整合性、そして実質的な必要性や合理性が厳格に審査されることが求められるため、
実際に日本の法形成は、民主主義的プロセスに則りつつも、様々な制約と熟慮の段階を経て進行する仕組みになっている。

note.com



ネット見てたら分かる通り、国民のお気持ち「だけ」に任せるとろくなことにならないのでいろんなプロセスで専門家が関与する

どんなやばい法律でも複数の段階に専門家が関与し
立法段階でも審査や議論が尽くされるように仕組みが要求し違憲審査もできるようになっている。
訴訟を運用する人もきちんと法体系を理解している専門家を育成している。
「お気持ち」だけで社会が運用されないように
法治主義に基づいた社会運用がされるようにかなりのコストをかけている。

国民のお気持ちは「何段階ものフィルタを通して」「少しでも多くの立場の人との利害を調整できる形で」「ゆっくりと」変更されていく。

もちろん、もちろんそれでも、たとえば自民党が圧倒的多数派になってしまったり

国民が特定の政党を2/3以上以上支持し、全権委任法などで特定の人にすべての権限を預けてしまえば話は別だ。

でも今の日本の話をしているなら、上の増田のような意見は、あまりにも解像度が低いと言わざるを得ない。


以上の前提を理解すれば、もし「2次エロ絵規制」のような法案が提起された場合、立法の段階で多角的な検討に晒されることになる

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