こちらの記事についての感想です。
最初に記事の概要だけ書いておきます。
1️⃣吉田恵里香さんの意図と表現
吉田さんは「裸の描写=ノイズ」と単純に言ったわけではなく
あくまで「覇権を狙う」「より多くの人に届ける」という観点から、作品の主題と関係の薄い要素を“調整”したに過ぎません。
つまり「原作否定」ではなく「ターゲット層に合わせた再構築」です。
しかし「ノイズ」という言葉は強すぎ、結果的に「原作を切り捨てた」と受け取られやすくなりました。
2️⃣誤解を招いた要因
・KAI-YOUの記事構成が「作家性=自己哲学を優先する人」という印象を前面に押し出しており、「原作者との合意形成」プロセスが省略された。
・「ノイズ」という言葉が読者に与えるニュアンスが冷淡・排除的に響いた。
・「セクシー田中さん」という文脈で敏感になっている読者にとって、少しの言葉の選び方が「不信感」を増幅させた。
3️⃣吉田さんが工夫できた伝え方
誤解を防ぐためには、以下のような配慮が望ましかったと考えられます。
・「合意形成」を明示する:「原作サイドと話し合った上で、この描写は水着に変更しました」と具体的に語る。
・「ノイズ」ではなく別の表現を使う:「主題に直接関わらない要素」「より多くの人に届くよう調整した部分」など、柔らかい表現に置き換える。
・「敬意」を言葉にする:「原作が素晴らしいからこそ、どうすれば最大限魅力が広がるかを考えた」など、常に原作へのリスペクトを前置きする。
・「子どもに見せられるか」という個人的基準を補強する:単なる倫理観ではなく「より多様な視聴者層に安心して届くため」という社会的意義として説明する。
注意:ここから先の文章はぼざろのアニメを見てなお吉田さんに原作へのリスペクトがないと感じるような人が読んでも不愉快になるだけだと思うのでそっ閉じ推奨です。
『ぼっち・ざ・ろっく!』のアニメと漫画両方見たうえでなお吉田恵里香の脚本に原作リスペクトを感じられないならフィクション見るのやめたほうがいい。きらら系アニメは原作が4コマ漫画なので原作に忠実につくればよいわけではない中であれほど原作のよさを消さないというのは簡単にはできない。
— 北守さん (@hokusyu1982) 2025年9月16日
ぼざろ原作って不謹慎ネタをやったり星歌さんが後藤ひとりに不気味な性欲を向けてたりしててオタク的に面白いけど毒気の強さで広い層や広い世代には必ずしも向いてなくて、アニメで原作のアツさを損なわずに多くの人に開かれた国民的作品へとアダプテーションされてて器用ですごいと思った記憶がある
— 人間が大好き2 (@hito_horobe2) 2025年9月15日
というわけで本題はここから
吉田さんは『ぼっち・ざ・ろっく!』について、「原作がまず素晴らしく」と高く評価しています。
その上で、アニメ化にあたり、原作にあった一部の描写(水風呂での裸のシーンなど)を変更した理由について、「(『ぼっち・ざ・ろっく!』が)そういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです」と説明しています。
ここでいう「ノイズ」とは、作品のメインテーマや魅力(吉田さん曰く「根暗な子がバンドを通じて社会性を獲得していくことが軸になっていない部分」)とは異なり、むしろ「多くの人に見てもらえなくなってしまいます」と懸念される要素、という意味合いで使われています。
したがって、原作のすべてを否定しているわけではなく、アニメとして「覇権を狙う(=より多くの人に届ける)」という目的や、「自分の子どもに見せられるかどうか」という自身の倫理基準に照らし合わせた結果、作品の主題にとって本質的ではない特定の描写を「ノイズ」と判断し、変更した、ということのようです。
吉田恵里香氏がぼざろ原作をしっかりリスペクトしてるし原作の空気感を損なわないよう作者にも相談してめちゃくちゃ気をつかって脚本を書いている人だってのは言っておきたい pic.twitter.com/HUeHAVNGiU
— ミルヒー (@HELIX_62) 2025年9月15日
・「秒で否定できるようなただの思い込み」を
・検証も確認もせずに
・その間違った思い込みを元にして他人を大声で罵れる
この3点セットは、私がブログでよく言及してる死ぬほど頭が悪いMさんと同レベルのやらかしをしてると思うよ。
本当に問題だったのは、吉田さんの姿勢ではなくKAI-YOUの記事の構成
この記事の構成は、時系列や作品ごとではなく、「吉田恵里香さんの作家性・哲学」をテーマごとに紹介する形になっています。
テーマ「恋愛ドラマの暴力性」 → 事例『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(原作改変) → 発展『恋せぬふたり』(オリジナル作品)
テーマ「理解していることの暴力性」 → 事例『生理のおじさんとその娘』
テーマ「性的消費への抵抗」「ノイズの排除」 → 事例『前橋ウィッチーズ』(オリジナル) → 事例『ぼっち・ざ・ろっく!』(原作改変)
ご指摘の通り、最初に出てくる原作ありの事例である『30歳まで〜』の箇所で、「(おそらく実際は行われたはずの)原作者とのコミュニケーション」に関する記述が省略され、「彼女の哲学(恋愛の暴力性への疑問)」という改変の動機だけが強調されています。
この構成だと、「吉田さんが原作を大事にしない人」という第一印象の刷り込みが起きる可能性がある
読者がこの記事を順に読んだ場合、
まず「吉田恵里香=自らの哲学に基づき、原作にないキャラを追加する作家」という印象が形成されます。
その上で、後の『ぼっち・ざ・ろっく!』の箇所で「覇権のために原作描写を“ノイズ”として削除した」という、一見すると強い言葉を読むことになります。
この時点で読者(特に「セクシー田中さん」の件などで敏感になっている読者)は「やはりこの人は原作よりも自分の哲学や都合(覇権)を優先する人なのだ」という第一印象を補強してしまう可能性があります。たとえ『ぼっち・ざ・ろっく!』のセクションに「原作サイドもとても協力的で」と書かれていたとしても、それは「たまたま『ぼざろ』では上手くいっただけ」と解釈されたり、あるいは『30歳まで〜』の箇所(言及なし)の印象に引きずられて読み飛ばされたりする危険性があります。
その結果、吉田さんご本人は全ての作品で丁寧なコミュニケーションを取っていたとしても、この記事の編集構成(=哲学を先に提示し、コミュニケーションのプロセスを省略したこと)が、結果的に「原作を大事にしない人」という誤解を一部の読者に与えてしまうリスクを生み出している、と言えるでしょう。
「ノイズ調整について丁寧に説明し、合意形成をしていくプロセスが読者に伝わるか」ですが、
1️⃣伝わりにくい部分:
記事は、吉田さんが「なぜノイズだと思ったか」(覇権のため、子どもに見せるため)という吉田さん側の論理は説明していますが、その論理を原作サイドにどのように説明し、原作サイドがどう受け取って合意したのか、という具体的なやり取り(プロセス)は省略されています。
2️⃣推測できる部分
「原作サイドもとても協力的で」あったという事実と、「水着にしてもらった」という結果から、読者は「おそらく、吉田さん(あるいは制作陣)が意図を説明し、原作サイドがそれを理解・許諾したのだろう」と推測することはできます。
結論として、この記事は「合意形成の重要性」を説くというよりも
「吉田恵里香さんという脚本家が、何を『ノイズ』と判断し、何を『核』として守ろうとしているか」という
彼女自身の作家性や哲学に焦点を当てて構成されているようです。
そのため、「プロセス」が重要であることは読み取れますが、その「プロセスの具体的な中身」までは伝わりにくい内容になっていると言えます。
実際に4割くらいのはてブ民がちゃんと読み取れてません。
まぁはてブ民は性根がネジ曲がったカスばかりなので、正しく書いてても曲解してたかもしれないことを考えると、もうちょっとまともな母集団でチェックしたいですね。
KAIーYOUが一番悪いとして、吉田さんはこのようなノイズ(誤解や曲解)を防ぐためにどのように伝え方を工夫すればよかったのか?
「多くの人に見てもらう」ために作品内の「ノイズ」を排除する人が
その「ノイズ」という言葉を使ったがゆえに、「多くの人」の一部から反発を買ってしまっては、本末転倒になりかねません。皮肉な状況ですね。
吉田さんが、ご自身の(おそらくは丁寧であっただろう)仕事を誤解なく伝えるためには
講演においても「ご自身のコミュニケーション」から「ノイズ」を排除する必要があったはずです。
そこに気を遣えなかったことは、彼女の信念の説得力を損ないます。
具体的には、以下のような伝え方が考えられます。
1️⃣原作改変の話は「合意形成」をセットで語る
前の会話でも出た『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』の件が、この記事の構成上の「ノイズ」の発端となっています。
記事の伝え方でノイズになっている部分= 「恋愛ドラマには暴力性がある。だから(原作にない)アロマンティックの人物を描いた」
これでは、読者は「自分の哲学を優先して原作を改変した」と受け取ってしまいます。
伝えるべきだった形(ノイズ排除版)= 「恋愛ドラマの暴力性が気になっていた。その点を『30歳まで〜』の原作者さんにご相談したところ、ご理解をいただき、協力を得た上で(原作にない)アロマンティックの人物を描かせていただいた」
このように、「原作者との合意形成」を動機とセットで必ず語るようにすれば、「原作を大事にしない人」という誤解は生まれなかったはずです。
2️⃣「ノイズ」という言葉を使わない
『ぼっち・ざ・ろっく!』の件で使われた「ノイズ」という言葉自体が、非常に強い「ノイズ」となっています。
記事の伝え方でノイズになってる部分= 「(原作の描写は)覇権を狙う上ではノイズになると思った」 しかしこれは原作者や原作ファンにとっては、原作の一部を「雑音(ノイズ)」と切り捨てられたように聞こえ、非常に攻撃的です。
伝えるべきだった形(ノイズ排除版)= 「『ぼざろ』は性的な描写を『売り』にしている作品ではない。アニメ化にあたり、より広い層(例えば家族)にも楽しんでもらうため、原作サイドと話し合い、水着に変更する『調整』をさせてもらった」「ノイズ」という否定的な言葉を使わず、「調整」や「最適化」といった中立的な言葉を選ぶべきでした。
3️⃣ 「覇権」よりも「基準」を先に語る
「覇権(はけん)」という言葉も、「商業主義的」「ファンを軽視している」という「ノイズ」になり得ます。
記事の伝え方でノイズになってる部分= 「覇権を狙う上ではノイズになる」 これでは、「売れれば原作はどうでもいいのか」と反発されます。
伝えるべきだった形(ノイズ排除版)= 「私には『自分の子どもに見せられるかどうか』という基準がある。あのような描写(裸)があると躊躇してしまう。より多くの人に安心して楽しんでもらうためにも、水着への変更を提案した」 同じ記事の中で、彼女は「自分の子どもに見せられるか」という、より共感を得やすい「基準」を語っています。攻撃的な「覇権」という言葉ではなく、こちらの「基準」を理由として先に提示すべきでした。
まとめ
吉田さんが伝えたかったのは
「作品の『核』を最大化するために、原作者と協力して、媒体(アニメ)に合わせた最適化を行う」という、プロフェッショナルな姿勢だったはずです。
しかし、記事での彼女の言葉(あるいは記事の編集)は
「プロセス(合意形成)」を省略し、「動機(哲学)」と「強い言葉(ノイズ、覇権)」を強調してしまいました。
「原作者へのリスペクトと、丁寧な合意形成のプロセスを、何よりも先に、具体的に語る」
これが、彼女が炎上(ノイズが大きくなって真意が伝わらなくなること)を避けるために最も必要なコミュニケーションだったと言えます。
吉田さんが内輪向けの講演だと思って省略したのか
KAI-YOUのライターが仕事をちゃんとできなかったのかは知りませんが
「言いたいことはわかるがノイズを排除するをテーマにした語りとしてはノイズだらけなので微妙な記事になっちゃったね」という感想です。
このテーマを扱うなら、もっと丁寧にやるべきだったんじゃないですかね。
結果として、KAI-YOUの記事は彼女のプロフェッショナルな仕事ぶりではなくて
彼女自身の作家性や哲学に焦点を当てた記事内容になっています。
それならそれでタイトルが違うだろって事になる。
どうあがいても色んな意味でKAI-YOUのライターへの信頼度はかなり下がりました。
吉田恵里香さんのトークイベントレポートの編集を行った恩田です。
— Yuta Onda (@ondarion) 2025年9月16日
この記事で言う“ノイズ”とは、深夜アニメ等でテンプレート化している表現(女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写等)を指しています。… https://t.co/iAp1JmL3s7
「電ファミ」や「4Gamer」のライターだったら多分こうはならなかったと感じてしまいました。
ゲームと違ってアニメ系のWebメディアでもっと信頼性の高いメディアってどこになるんだろう。
以下はおまけです
・チェンソーマンのアニメの話
・セクシー田中さんの話
・30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしいの話
・前橋ウィッチーズの話
・吉田恵里香さんについての本音
ちなみに私は吉田さんの思想は擁護してません。
というか、彼女は明確に思想が偏っていると思っており、私は彼女の思想があまり好きではありません。
講演においても「加害性」や「性的搾取」のワードなどを気軽に使いすぎてましたよね。
実際にそういう思想性が作品を損ねたのではないかと感じる例として「虎に翼」があり、個人的にはこの作品は後半ダメダメだったと思っています。
恋せぬふたりも自分には合わなかったので、ドラマ作品は結構思想が出やすく、かつその思想が私の好みでないと感じているためあんまり彼女が脚本の作品を見たいとは思いません。
一方でアニメ作品ではどうでしょうか。
彼女の思想性が、作品にどのように影響を与えるかが問題なのであり、彼女がどういう思想を持っていようが作品に悪影響がなければ切り離して考えるべきでしょう。
少なくともぼざろの脚本については思想が強すぎて悪影響が出たとは感じませんでした。むしろ素晴らしい仕事だったということは評価したい。
さらにいうと、ぼざろが良くても以降の作品が全部駄目だったというのであれば、もちろんぼざろ2期への警戒を表明するのは自然なことなのですがその当たりはどうでしょうか。
批判してる人は吉田さんがメインでなかった10年前の作品「タイバニ」のことを取り上げるばかりで2025年の作品である「前橋ウィッチーズ」の話をしてませんよね。
つまり自分のイメージを検証もせず喋ってるだけですよね。
私は「前橋ウィッチーズ」あたりを見ている限り、少なくともアニメ作品については批判派の人が危惧するような己の思想を全面に押し出すようなことはしておらず
原作者や制作陣と協力しながらアニメを見る人が楽しめるように作品を作り上げている、という姿勢を感じています。
この点についての反論があるならともかく、そういう話が出てこない当たり、「話題になってるから雰囲気で喋ってるだけ」の人が多い気がします。
ここがちゃんと切り分けられない人の意見は、意見じゃなくてただのダダっ子の癇癪だと思います。