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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「惨殺半島赤目村」 僕が見たかったサマーウォーズ(夏の殺し合い)

別に田舎に恨みがあるわけではないのだけれど「サマーウォーズ」を見たときに、どうしても素直に楽しめなくてついついひねくれた態度をとってしまう。

そんな私にはこの作品めちゃくちゃ面白かったです。

武富:かなり早い段階で担当編集の大藤さんから「田舎の暗部を描く」というアイデアを頂きました
大藤:当時観た映画「サマーウォーズ」の田舎描写について、延々と不満を語った記憶があります(笑)もっと嫌な面あるだろう!と。でもなんだかんだDVD買って5回くらいは観てるので、好意の裏返し的なものです、とフォローしておきます。
武富:僕自身は、直接エグい経験はそれほどありませんでしたけど、田舎にかぎらず、美談ぽくまとめすぎるものにはやはり不信を感じていたので、よしそれで行きましょう、と。秘密を抱えた村に外部の者が入り込んで散々な経験をする話、というのはすぐ決まった印象でしたね。

この漫画が面白かったので、他のクローズドサークル作品も読んでみようと思ってます。
田舎を舞台に起こる悲劇…クローズドサークル系マンガ3作 | 三沢勇人(惨殺半島赤目村)の関連記事|アニメキャラクター事典:キャラペディア

というわけで、私のようにサマーウォーズの「きれいさ」に対して斜に構えちゃうようなかまっちゃんな人はこの作品を見てスッキリしましょう。…それってどうなの。


「田舎の嫌なところ詰め込んでみた」作品


http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000056675.html


私の感想 「かまいたちの夜2」(「底蟲村篇」)みたいにゲーム的な感覚で楽しめました

とにかく二巻で終わるマンガ作品とは思えないくらい、舞台となる赤目村の設定はしっかりしており、多数の登場人物の作りこみも非常に丁寧。

舞台は目立った産業もなく存続に限界を迎えつつあるような離島の集落。であるにもかかわらず若い美人が多く、村の男達は全く危機感を覚えずに地元を愛しているという不思議な村。医師として招かれた主人公は、一つの事件をきっかけに空気を読まずに村を引っ掻き回していき、その結果として浮かび上がってくるおぞましい村の暗部。笑顔で取り繕われていた気の良さそうだった村人たちの素顔もだんだん顕になってくる。ここまでは良質なサスペンスもの、という感じ。つい最近「最貧困女子」を読んだばっかりだったので、なんとも言えない気分に。

すくいきれないもの 「最貧困女子」 - この夜が明けるまであと百万の祈り


と、このような考えさせられる設定がいくつもしっかりと作られているためその気になればこの舞台をもとにいろんな展開が紡げそうです。この村ではいくつかの勢力が主導権を巡って争っているため、どの勢力主導権を握るか、その際に主人公がどう賢い立ち回りをできるかどうか、でいくらでも物語は変えられます。「かまいたちの夜2」のように様々な分岐を妄想することが可能だと思います。


この作品の場合、そういう数ある分岐の中でも、取りうる限り最悪のルートをたどっています。終盤の展開は、前半の良質なサスペンス的展開の積み上げは何だったんだ、という超展開に。明らかに「ん?どこかで選択肢ミスったかな?」という感じであり、迫力ある絵面もあって恐怖というよりむしろ笑いすらこみ上げてくるような壮絶なエログロになってしまいました。どうしてこうなった。 当然前半で用意された伏線的要素、村の暗部の数々はほとんど解決などされず、ただ描かれただけで村ごと吹き飛んでしまいます。なんという投げっぱなしジャーマン。これぞB級映画! ……いっそ爽快さすら感じてしまいました。


この前半と後半の落差がめちゃくちゃおもしろかったですが、ひとしきり楽しませてもらった後は、この作品の舞台を元に、どうすればもう少しましな結末を迎えられたか、というフローチャートみたいなものを組んでみたくなりました。1回めであるこの作品は、考えうる限り最悪のルート。「ひぐらしのなく頃に」でいえば、誰も信用できずに疑心暗鬼のまま考えなしに動きまわった挙句気づいた時には手遅れになっているという感じだったし、「かまいたちの夜」でいっても、わざわざ真犯人が動きやすいようにみんなの動きを誘導してしまった、まである。腐った人間もいるけれど、それを踏まえつつどうすればこの惨劇を防げたか。とか考えると面白そうです。

というわけで、この作品もっと沢山の人に読んでもらいたい。そしてみんなで話しあおうではないか。








余談。「サマーウォーズ」を批判すると下のようなことをいう人はいると思う。それはごもっともなんだけれど、さすがに作ることはハードルが高いので、せめて代替として今後はこの作品を推していく方針で。というわけで、この作品の映画化を希望しております!

「批判をすることよりも作ることの方が100億倍難しい」この言葉が出ると、その評論家は押し黙るしかありません。紀里谷氏も実際に、まだミュージックビデオしか撮っていない頃に「日本の映画界はおかしい」ということをインタビューで発言して、総スカンを食ってました。でも、紀里谷氏に説得力があるのは、そこからきちんと映画を自分で撮っており、きちんと実績を作っていることです。さらに、その回には生徒役の一人として元プロ野球選手の長嶋一茂氏もいたのですが、長島一茂氏も実は映画の製作総指揮を経験しており、実際に映画を作った経験を持っているから、評論家よりも話に説得力がありました。作った経験のない人の批判・批評は、説得力がありません。「じゃあ、あなたやってみたら?どういうものが正解か、見せてよ」と言われても、見せるものがないのです。逆に、説得力のある意見を出したければ、自分で作ってみればいいのです。失敗作でもいい、大したことがなくてもいいから、一度最後まで作ってみることで、批判や批評にスジが通ってくるのです。一度作る経験をして、世間の評価にさらされる経験を持つと、何が大変なことなのか、何が凄いことなのか、それが語れるようになるからです。
そして、常にモノを作り続けようとする人は、自分に降りかかってくる批判や批評を、スジが通っているものと通っていないものにきちんと振り分けているため、スジが通っていないものはスルーします。つまり、スジの通っていない批判や批評は、全く誰のためにもなっていない、ほとんど存在価値のないものなのです。批判や批評をするのはいいですが、そんな存在価値のない批判や批評をしていないか、きちんと意識しなければなりません。そう、私が作っている『○○○○○○』にいちいち「今日の内容は微妙でした」「今日はあまり面白くありませんでした」と批判や批評を送ってきて下さるあなた。じゃあ微妙ではない、面白いものを、今そこで書いてみてくれませんか?それがたとえ微妙で面白くなかったとしても、最後まできちんと書いた人の批評ならば、甘んじて受けます。批判や批評は、どんなものでもいいからまず一度、最後までそれをやり遂げてみてから。そんな習慣をつけてみたいですね。

http://news.aol.jp/2015/08/03/kiriyakazuaki/

個人的には妖怪ダイタイアンガーとか、ダッタオマエガヤッテミローというのは、本人が言ったらダメだと思うんですよ。批判って、やるだけだったらハードルが低すぎるので、こういいたくなる気持はすごく分かるんですが、だからといって自分で作ってない奴は黙れってのは違うと思う。まあでも、自分でやってみたほうが「説得力」があるのは間違いないし、自分のためにもなりますから、こういう意識を持ってたほうがいいのは間違いないですね。「自分より上の人間のいう批判以外は聞かない」って人は世の中に沢山いますし。