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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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人の話を聞くという行為を軽視する人は、人の話をちゃんと聞くということの難しさや価値を全然わかっていないのではないか

先日書いた記事に、コメントをしてくれる人がいたのだけれど、これがびっくりするくらい、人の話を聞いてくれない人で大変疲れました。

正直いうと、その人の話には何点かは妥当だと思える指摘がありました。その点だけでも聞いてあげるべきだと思ったんだけれど、あまりにも「こちらの話をまともに聞いてくれない」ので、だんだん話を聞く気にならなくなってしまいました。

また、この人は「聞き手」というポジションをことをものすごいネガティブな意味で捉えていたのですが、人の話を聞けない人に限って、人の話をちゃんと聞くということの難しさや価値を全然わかっていないと思う。


ちゃんと聞くということは、ちゃんと相手の「前提」や「文脈」を理解することが必要不可欠であり、自分の前提や文脈で考えるだけの「わかったつもり」なだけの人には務まらないと私は思うのです。

これについては以前に記事を書いています。

tyoshiki.hatenadiary.com
tyoshiki.hatenadiary.com

読書の内容の理解は下記に左右される。
①読者の仮定と想定
②文脈
③文脈に対する読者の予備知識

この項目の元に不整合がなければ、その解釈は正しいと言える。それが読書であり、たくさんの解釈の仕方があるということ。タイトルにあるわかったつもり、という点は上記の①であり、早期のわかったつもりが仮定と想定を終了させそれ以上に掘り下げた読みは行われない。わかったつもりになっているから。

「わかる」ことと「わかったつもり」の区別もつけられない人に限って、キズナアイの仕事を全く評価していないというのはちょっと面白いです。

※余談ですが、これはキズナアイからみでの「性役割における不平等批判」の話とは関係ありません。性的役割批判の文脈への応答として「いや、聞き役も難しいしスキルも要るよ」というのはただのクソリプだからそこのところは間違えないようにしてください。


「トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する」

読み手が自分の持っている「ステレオタイプスキーマ」を文章に簡単・粗雑に当てはめてしまうことによって、間違った「わかったつもり」や不充分な「わかったつもり」を作り出してしまうことがある のだということを、私たちは、はっきりと確認しておく必要があります。

自分のスキーマを使って他人の主張を理解しようとすることは、誰でも日常的に行っていることで、これ自体はなにもおかしなことではない。しかし、トンデモさんの場合、そのスキーマが他人(主に批判者)から見て特殊なものであるため目立つというわけだ。

他者理解を伴わない(つまり、議論相手用のスキーマを形成する努力をしない)批判をするのならば、懐疑論者だってそうなるのだ。トンデモさんとの違いは目立つか目立たないかといったところである。結果的に、こういったタイプの批判をするときは、自分のスキーマをさらすことになっている。


私はちゃんと人の話を聞ける人というのは、もっともっと高く評価されるべきだと思います。
特にネットにおいては、自分がいいたいことだけ言うけれどちゃんと聞けない人が多いと思うので。