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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「なにかもちがってますか」 能力はないが自信だけある人間のハッタリには気をつけよう

※旧ブログに書いた記事の再投稿です

ここで重大なお知らせがあります 実は「○○はアホの子です。アホなのに自分が賢いと思っているアホほどアホなものはありません。

とてもおもしろかった。結構怖い話になりそうな要素もあったし、鬼頭作品なのでちょっと怖いかなと思ってたけど、ほんわかした終わり方でだったので、とてもお勧めです。

能力があっても自己評価が低い人は、能力がないが自信だけある人間(中二病)に利用されることがある

主人公は二人。

①一人はシンジくんみたいなヘタレたやつだけど、シンジくんよりずっと普通。別に親に見捨てられたとかいうこともなく、承認欲求ガーみたいなこともない。
普通に友達もいて、幼馴染の女の子もいて、好きな女の子もいるどこまでも普通の高校生。一番重要なのは、自分をどこまでも平凡で、普通の人間だと思い込んでいること。自分に自信がない。


②これに対してもう一人は真性の中二病。頭の回転は早く、一見コミュ力は高く見える。しかしEQ(Emotional Intelligence=こころの知能指数)がゼロに等しい。*1
自分を特別な存在だと思い、周りを見下し、世界が自分の思い通りにならないのが不合理だと考える。「自分は有能でありもっと認められるべきだ」という根拠のない自信と世の中の不満だけが突出しているようなヤツなんですね。*2

今まで何かいつも不安感がつきまとっていた。漠然と自分の周りを構成するものの何かが間違っているんじゃないかと・・・日々野、あいつの力があればその間違いを正していける。まっすぐ歩いていける

能力はあるのに自分に自信が無い人が、根拠の無い自信だけがある人間に食い物にされる構造

本来は①の方が恵まれた状況にあり、本作品では「超能力」まで保有しています。客観的に見れば圧倒的に①の方が優れている。②は特に優れた技能があるわけでもなく、社会(周囲)と常にぶつかってはその思い上がりを叩き潰されるという状況を送っており、本来であれば、①の方が自己評価が高くてしかるべき・・・・・・なのだけれど、本作品では②のほうが圧倒的に自分に自信があるというのが面白い。


②は①の自信の無さ(=コンプレックスを感じている部分)を見抜いてそこをえぐり、逆に自分の自信満々な態度を見せつけ、いろいろ格好いいことを言う。
(実際の②はそんな格好いいことを言えるような立派な人間ではないところがポイント)

・そんなに特別な存在なのかお前は。(略)それでそう思ってしまう自分にまた自己嫌悪して陶酔してるんだろう

・お前はそんな程度だ。お前程度に、自分が間違ってると思ってるやつなんていっぱいいる。お前は思考の点ではただの普通の人間だ。思い悩むだけ無駄だ。そんなお前が特別な力を持ってるんだ。ありがたく有効活用することを考えろ(=俺がお前を有効に使ってやる)

②は基本的に自分の思考と現実のリアリティが繋がっていないから、一見強い覚悟があるような事を言う。自分こそがリアリティを理解していると思わせるような発言をする。


・俺は別に死んでもいいんだ。死は不可避なものでそれはそうあるべきタイミングで訪れるものだと思っているから。そもそもお前のどうしようもなく適当な能力に付き合っていたら、そばにいる折れだっていつ巻き込まれるかわからない。覚悟がなきゃお前のそばにいることなんて出来ない

そうすると、自分に自信がない①としては、何か正しいことを言われてるような気がするし、この人について行こうかな、とフラフラ心が流れてしまう。特にある事件をきっかけに①の心が弱って自信がなくなってしまってからはその傾向が加速する。

①もアホではないから、②の言うことを聞いてすぐに心酔して言いなりになってしまうわけではない。繰り返し繰り返し「②の言うことはなにか間違っている」と違和感を感じ、それを表明する。しかし、①は自分に自信が無いので、「自分で判断できない」。そのため、②との関係を切ることもできず、状況に流されてズルズルと②側に引きずられていく。

このように、何が正しくて何が間違いであるかが明確でなかったり、自分自信に自信がなくて自分で何が正しいかを決められない場合、こういう行動力とか自信だけに満ち溢れたアホに引きずられてしまうということはありうるのかもしれない。


ポイントは、①と②だけの関係では②の能力が問われないということ

本作品では、②が基本的には無能であり、嘘つきであり、口達者ではあるが空論ばかりぶちまけているということが読者にはわかるようになっている。別にアダルトチルドレンでもないし、アスペルガーでもない。②そのものには物語らしい物語は何一つない。 ①以外の人間からすれば痛々しい中二病以外の何物でもないということも示されている。

「それでも」

①は②を否定することができないし、②に引きづられてしまう。

傍目で見ていたら漫才に見えるような構図だが、①はそれでも②に抗うことが難しいのだ。②の言ってることが完全に嘘っぱちのでたらめであっても①が自分に感じているコンプレックスだけは事実だから。そちらに気を取られていると、本作品のように付け入られてしまうこともありうる。


②のような人間は真のカリスマを持つわけではない。あくまで対象限定の魔法、状況限定のカリスマのようなものである。「大勢の衆目」にさらされるとその神通力はとたんに消え去り、滑稽な人間の姿が浮かび上がってくる。

そのあたりは「うみねこのなく頃に」とか「北九州一家連続殺人」などの話を読めば良いと思う。


②のような人間にだまされないために意識しておくべきこと

違いますか?僕が言ってることは何か間違ってますか?○○であろうがなかろうがどうでもいいです。間違いがあるならご指摘ください。俺が一番まともなことを言える自信があるからこの○○やってるんですから

こういうこと言う奴に注意した方が良いと思う。(ちなみにこの発言をした人は、めちゃくちゃ間違ったことを言っており、後でこっそり記事を削除しました)


あまりに自分の正しさを信じて疑わない人というのはとても危険。

(1)まず、すでに間違ってるけどその間違いを認めないでここまで来ている可能性が高いです。
(2)また、今まで間違っていなかったとしても、この先何かを間違った時にその間違いを認めないため、軌道修正ができない・トラブルに間違った対処をして余計に悪化させるリスクが非常に高い。

自信があまりに過剰なタイプは一緒に何かをやるには向かない。最低でも、周りの意見、特に間違いについての指摘をきちんと受け止めることができるかどうかはしっかり確認しておくべきだ。 自分がうまく操縦できるつもりがあるなら別だが、そうでないなら関わらないか、遠間からウォチして楽しむくらいが良い。

どちらかというと、自信がそんなにあるわけではないし、内面では臆病であるけれど、信念のために震えながらも前進してるような人をうまく後押ししたほうが・・・

って、私が②側の人間になりたいという欲望がダダ漏れに!?


もっとも、時には人を盲目的に信じることも大切かもしれない

私は、大学2~3年の時かなりひどい鬱状態になってしまい、メンタルクリニックのお世話になったことがある。

他者への懐疑心が強くなりすぎて、精神科医ですら敵視したりしてた。「みんな②のような自分を食い物にする存在だみんなクズだ」などと根拠もなく拒否の姿勢を取ってしまい、そのため治療が全くといって良いほど進まなかった。今でも人間関係によって自分が何かを得られる、自分が誰かに貢献できるというのを今ひとつ信じられなくて、そのあたりが息苦しさの原因かな、と思っている。

こういう状態から抜け出す際に「この人だったら大丈夫だ」って信じられる人がいるといないではだいぶ違いがあるだろう。誰かに自分の心の一部を預けることで、楽になるということもあると思う。自分の核の部分、大事なことを決定する部分さえ手放さなければ、もう少し人に頼ってもいいのかもしれない。さすがに今は「私は食い物にするほど能力も価値もない」ということを自覚しているが、それでも自分をかまってくれる人がいるという状態が少し嬉しい。


だからこそ、信じる人はよく選ぼう。その状態で人の選択を誤ったら本当に致命傷になりうるから。

こういう人に限って、信じる人を間違ってしまったりするのが見ていて本当につらい。

*1:EQとは、今の自分の感情、あるいは他者の感情を理解し、自己の感情を管理しながら周囲と良好な人間関係を築く能力です。 https://www.kaonavi.jp/dictionary/sq/

*2:「ブログ飯」や「ミニマリスト」界隈にこういう人がおおい印象があります。今の社会を否定することで自分が浮上すると思ってるんでしょうかね