頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
アークナイツ
kindleセールの紹介
新NISA解説ブログ
発達障害

「謝ったら負け」という言葉を無批判に口にする人は、自分が「謝ったら許してもらえるのが当たり前」という誤解をしていると思う。そんなわけ無いでしょ

韓国のやべー連中の理不尽クレームに対して雷句先生が行った対応が話題になっている。

理不尽クレーム




雷句先生の対応

最初にお伝えすることは、この年賀状のイラストは日本の読者に向けて、おめでたい雰囲気の年賀状を届けたくて描いた。ということです。
韓国の方々に不快感を与えるために描いたのではありません。ハッキリと言っておきます。
もし、韓国の方に対しての攻撃の意味を持ったイラストならば、ちゃんとした赤白の旭日旗と、韓国語でのメッセージを書くのではないでしょうか?
それで、この声明文に対する答えですが、もちろん旭日旗に関する表現はこれからも注意いたしますが、
今回の謝罪や絵の削除といった要求には応じられません。という結論です。

理由はいくつかありますので、長くなりますが書いていきます。

(中略)

どうか、このような意見を出される方が要求を思いとどまってくれることを願います。


これ、雷句誠先生の対応ですごい大事なポイントがあって
「今後、気を付けるが謝罪や削除には応じない(その後理由をロジカルに続ける)」としたことね

炎上したらさ、本意を説明した上で相手の心を慮ってお詫びするよね、ほぼ。

でも海外向けの対応で、簡単にお詫びするのまじでダメだから

理由は

・謝った時点でパワーバランスが決定する
・(特定の国家では)一度謝ったら未来永劫謝り続けなければならない
・悪くないのに謝ると意志が弱いと見做され信頼を失う


謝ることの意味が全然違う。
まじで違う。
天と地の差がある



日本は「謝ったし許そう」
ある国は「謝ったら(非を認めたので)罰そう」

今回、特に表現への攻撃であれば、個人間の問題では済まなくなるとまで考えてのあの説明よね
(正直個人間の問題で済むなら、当初の雷句先生の対応でよかったと思う)


コロナで体調崩してるにも拘わらず、この対応するのすごいんよ。

先生はよ元気になあれ

いやまじ新年早々すごいもん見たわ

最後に、「だから○○国は~」とかが言いたいんじゃないってことは付け加えとくわ

これ純粋な文化の違いだから
そんで、どっちかっていうと世界の中では日本のが特殊らしいよ

誰しもがSNSを使う以上全世界に発信してるわけだし、こういう鮮やかな対応は読み込んどいたらいいわなって話な



自分が不利な状況で頭を下げるのは下策だよ。頭は優位に立ったときこそ下げるもんだ!

ここまで極端である必要はないけれど考え方の基本としては非常に重要だ。

不利な状態の時に何も考えずに頭を下げるのは非常に危険だ。

そりゃただの無条件降伏なのだから、ケツの毛までむしられたって防げなくなる。

誰もがマッカーサーのように格好つけて寛容に接してくれることを期待するのは無防備過ぎる。

そんな謝り方をしてひどい目にあって「謝ったら負け」って言っちゃうのはいくらなんでもひどい。

この表現には重要な言葉が足りていない。

「(負けてる状態で何も考えずに)謝ったら負け」って言葉のかっこ部分を省略してるから意味のないことを言ってしまう。


そもそも「謝ったら許してもらえるのが当たり前」って考えはさすがに甘えが過ぎると思う

「どうして謝ってるのに許してくれないのか?」というのは
「謝ったら許してくれるのが当然」「謝ったらチャラになるんだよね」という発想がベースとなってますよね。

謝罪の「押し付け」になってしまっている。

人間基本的に、怒り続けるのって大変だから
「この人は悪気なかったんだろうな」とか「次から気をつけてくれそうだな」って思ったら
さっさと許してギスギスした状況を解消したいとは思うのだけれど

「謝罪の押しつけをしている」とか「なにが悪いかわかってないな」と思ったり
「まだ許せる心境じゃないのにそっちの都合だけ押し付けてくるな」と感じたら
そういう人だけは許しちゃダメだなって意地を張るのは当たり前だと思うんですよ。


自覚してかせずしてかはともかく
「許すことで楽になりたい」「怒り続けるのはしんどい」という人の気持に漬け込むようなことをしておいて
その思惑が外れたからと言って「謝ったら負け!」とかいうやつがいたら

「ほら、やっぱりこの人だけは安易に許してはいけない人だ」って相手がますます確信を深めちゃうだけでしょう。



謝罪は「大事な相手とのコミュニケーションや人間関係の綻びを修復するための技術」である。どうでもいい相手に安易に謝ってはいけないし、悪くないのにわざと謝ることはリスクが大きい

というわけでここまでは

「謝りたい」「謝るべき」と思うなら相手がすぐに許してくれようがくれまいが関係ないだろ。
許してくれる保証がないなら謝らないとかいってるのはただのわがままだよ

という話をしました。

逆に言えば

「謝りたい」と思わないとか「謝るべきではない」と感じた事柄については
謝る必要はないどころかむしろ謝ってはいけないということも言えます。


そもそも、謝るというのは「客観的に自分が悪だから」やるべきものではないからです。
「謝ったということはこいつは悪なんだ!」みたいな発想をする輩の思考に合わせるつもりは在りません。自分を批判している人がこういう「謝罪に追い込みさえすれば自分が正義になる」と勘違いしている輩しかいないなら、そのときに関しては無視すればよいでしょう。


大事なのは「この人(たち)に見捨てられたくない」という相手がいるかどうか、です。
たとえ周りの人からどう思われようが、その人たちに受けいられれる場合は謝罪は成功しています。

なのでBtoC企業の謝罪をしたり顔で評価していいね稼ごうとする人いますが、そういうのは無視すればよろしいでしょう。

この続きはcodocで購入