メンタルの問題を考える際、言葉を適切に用いなければ、自己都合の良い解釈で解決したつもりになり、事態は泥沼化する。
特に「コンプレックス」という言葉については、その意味を正確に理解しておく必要がある。
誤った向き合い方をすると、問題は解決しないどころか泥沼にハマってしまうからだ。
その中でも特に誤解が多いのが「コンプレックス」と言う言葉。
自分で勝手に「コンプレックスはこういうものだ」と定義し、「自分はコンプレックスを克服した」と主張したところで、それは現実から目を背けているに過ぎず、何ら問題は解決していない。
精神医学用語を独自に定義する行為は、「おまじないで病気が治る」と言い張るのと同義である。
要するに、自分が安心したいがために、否定したいものにレッテルを貼り、それを否定したからもう恐れることはなくなったと主張しているだけ。
事実を軽視し、自己の解釈次第で現実が変わると考える態度は、いわば「呪術的」であり、客観的な問題解決からは遠ざかる。
コンプレックスに関する一般的な誤解
コンプレックスに関するよくある勘違いとして、外部から与えられた否定的な評価そのものを「コンプレックス」だと捉える考え方がある。
たとえばこんな感じだ。
学校教育「お前は勉強ができない」
私「あれ?大人になっても本を読み続けてたら、人に読んでもらえるほどの文章が書けたぞ。(Amazonの評価はほとんどが☆1)」高学歴「キミはコミュニケーションの職場で生きていけない」
私「今の職場、会社同士の関係性がフクザツすぎてコミュニケーションだらけなのに、それなりに信頼関係を勝ち取れてますけど(実際はそう思っているのは本人だけで2ヶ月で仕事をクビになっている)」コンプレックスってつまり誰かが決めた権威や判断の類なんです。
そんなもの本気で信じるほど権威にも、他人からの判断にも正しく評価してもらえてないので…
「あー…コンプレックスを持つこと自体が他人の決めた権威・判断に振り回されすぎてるんだな」
で、おしまいです。
https://note.com/tm2501/n/ncf824387752e
これはコンプレックスの作用機序を全く理解していないものだ。
ストレスの構造と「認知」の重要性
コンプレックスを考える前に、まずストレスの構造を理解しておくとよい。

ストレスの元とストレス反応の間には「認知」がある。この「認知」の部分が非常に重要となる。
他の人にとってはストレスにならないような事柄でも、認知が歪んでいるとストレスになることがある。
ストレッサーが過剰でない限りは、認知の改善やコーピングの技術を持つことによって、一定限度までは「ストレス反応」を軽減でき、ストレスを感じなくなる。
このために「認知行動療法」などが存在するのだ。
ここの認知が歪んでいる限り、「気に入らない上司がいるから仕事を辞める」「うるさいことを言ってくる友人との縁を切る」「親がうるさいから家を出る」など
頑張ってストレスの元を減らそうとしても、ストレスがなくなることはない。
なぜなら、自分自身の歪んだ認知がいくらでもストレスを生み出してしまうからである。
この根幹部分が病んでいると、「病まないメンタル」には一生なれないのだ。
認知が健全であれば、ちょっとしたことで不幸になることも少なくなる。

そして、この認知の部分に影響を与えるのがコンプレックスだ。
コンプレックスと無意識、そしてその解消

コンプレックスは無意識と顕在意識の接する部分にあり、認知(顕在的意識)に影響を与える。
ただ、基本的に「コンプレックス」は「無意識」に潜んでいるため、可視化されない。
そのため理解が難しくなるのだ。
コンプレックスには良いものも悪いものもあり、問題となるのは、ストレッサーに対する認知に悪影響を与える場合のみである。
心理学者C.G.ユングは、「われわれの自我が問題に直面し、あらゆる意識的な努力を続けても解決できず、絶望に陥りそうなときに、自己の働きが起こり、われわれは今までの段階とは異なった高次の解決を得ることを経験する」と述べている。
むしろこのように、コンプレックスは正しく向き合えば、自己の成長を後押ししてくれるものとなるのだ。実際に、コンプレックスと正しく向き合ったことで偉業を成し遂げた天才たちも多い。
そのため、コンプレックスはすべて悪いものだと考えて全部否定するのではなく、「正しく向き合う」ことが非常に重要なのである。
心には「相補性」の働きがある。「コンプレックス」によって「意識の私」(自我)が否定的な状態になっても、「無意識」は何とかして肯定的な状態になることを目指して動こうとする。「コンプレックス」を解消しようとする働きが、「無意識」にはあるのだ。
では自己に悪影響を与える「悪玉」のコンプレックスは、どういう状況で生まれるのか。
これは嫌な感情や記憶が発生した時に、それを押し殺して認めない場合に発生する。
例えば、Aさんが幼稚園生の時に劇でセリフを忘れ、みんなの前で「笑い者」になり、恥ずかしくて泣いてしまった嫌な経験があったとする。
この経験をできるだけ早く忘れようとして、「無意識の領域」に記憶を押し込めることで、普段は気にならなくなる。
しかし、「押し込める」ことは「消える」ことではなく、心の中で「小さな傷」として残ることがある。この無意識にある「小さな傷」が、「コンプレックス」の元になるのだ。
もっと分かりやすく言うと、自分の劣っているところを素直に「受け入れたり」「認めたりしない」こと。
つまり自分自身が自分の劣っているところを否定している時に悪玉のコンプレックスとなる。
例えば、アイドルになろうとして何度もオーディションを受けたものの、最終的に「アイドルになる夢」を諦めたBさんとCさんがいたとする。
Bさんは、テレビでアイドルを見ると、急にイライラして感情的になり、遠くにあるリモコンを走って取り、チャンネルを変えるほどである。
Bさんには、アイドルに対する「劣等感コンプレックス」があるといえる。Bさんは夢を諦めきれず、「私だってアイドルになれる」と、心のどこかで思っている可能性があるのだ。
一方でCさんは「あんなアイドルみたいに、私はなれない」と、その「劣等性」を認めている。
アイドルを見ても、別にイライラもせず感情的にもならない。であれば、「劣等感」はあるが「劣等感コンプレックス」があるとはいえないのである。
先の例に戻ろう。
上のnoteの人は
・親から否定的な評価をされたり、
・高学歴の人間から頭の悪さを指摘されたり、
・陽気な人物から「キモオタ」と言われたり、
・女性にマウントを取ろうとして全力で拒絶され、「消えてください」などと言われたりした時に
コンプレックスを感じたりしたそうだが
この時に、まず「そうか、今の自分はこういう点で劣っているんだな。ちゃんと頑張って改善しよう」と思っている人は
劣等感は感じても悪玉のコンプレックスを抱えることはない。
ところが、ここで以下のような反応をしてしまうとただの劣等感が「劣等コンプレックス」となる。
・劣等感そのものの否定
「親は俺のことが嫌いだから嫌がらせしてるんだ」
「高学歴のやつは俺の才能に嫉妬しているんだ」
「女性は頭が悪いから俺の素晴らしさが分からないんだ」
などと考えて劣等感を感じること自体を拒否する。
・劣等感からの逃走・開き直り
「これは生まれつきだから変えられない」
「どうせ俺はバカですよ。インテリぶっていけ好かないやつだな」
「なんで俺ばっかり。あいつにも言えよ」
というように、劣等感自体は認めつつも向き合って解消することを避ける。
このように、自分が「自分のある側面」を否定したり、見て見ぬふりをして切り捨てようとした時に、悪玉のコンプレックスが生まれるのだ。
このような時に「悪玉」のコンプレックスが生まれ、育っていくのである。
つまり、コンプレックスは、他人から押し付けられた評価ではなく
「他人からの評価を受けて自分が切り捨てた自分」なのであり、他人をいくら遠ざけても解決しない。
悪性のコンプレックスはいろんな形を取って自分を否定しようとするが、実際に自分を否定しているのは自分だけ
それどころか、自分の弱い面や汚い面だからといって、自身のことから目を背け、自分で否定しようとすると、コンプレックスはどんどん育っていく。
過剰に自分を飾ったり、綺麗に見せようとしたり、自分の汚いところをなかったことにしようとすればするほど、このコンプレックスは「無意識領域で」育っていくのだ。
無意識領域で育った自分の中の悪性のコンプレックスは、ことあるごとに様々な形を取って自己を否定してくる。
ゲーム『ペルソナ4』のシャドウは分かりやすい例だ。
明らかに自分を否定しているのは、自分自身であることが可視化されている。

しかし現実のコンプレックスはここまで分かりやすくないのでたちが悪い。
無意識からの働きかけなので、様々な形を取る。むしろ自分で自分を否定していると思いたくないから他者の姿を取ることが多い。
・親から否定的な評価をされた記憶
・高学歴の人間から頭の悪さを指摘された記憶
・陽気な人物から太っているだとか臭いと言われた記憶
・女性に『消えてください』と言われた記憶」となって自分を否定してくる。
そうやって、本人は「親が自分を否定している」「高学歴の人間が俺を馬鹿にしてくる」「女性は俺を迫害してくる」とどんどん被害感情を募らせていくのだ。
もちろん実際は違う。
親は言うほどあなたのことを否定していないし、高学歴の人も言うほどあなたに興味がない。
女性も、とっくにあなたのことなどどうでもよくなっている。
自分を否定しているのは、自分が否定して無意識の領域に追いやってしまった自分の負の側面なのである。
そのことから目を逸らして他人のせいにしようとすればするほど、ますますコンプレックスは育っていく。
さらに厄介なことに、人間心理には「投影」という機能がある。
これは、自分が認めたくない自分自身の欲求や感情を、まるで相手が持っているかのように感じてしまう心の働きである。
つまり自己嫌悪が強くなると、周りの人間が皆敵に見えるようになる。
例えば、自分自身の中に「もっと評価されたい」「自分の努力を認めてほしい」という強い欲求があり、
それが満たされない時にどうなるかというと、
相手が自分を不当に貶めている(=嫉妬している)と感じてしまう。
こうなると、自分の身を守っているという意識で、自分から色々な人に嫌がらせをするようになる。
最初は自分の気のせいであって、
親も高学歴の人も、女性もそこまであなたのことを嫌っていなかったのに、自分の行為がきっかけで本当に皆から嫌われるようになってしまうのだ。
コンプレックス解消のために絶対にやってはいけないこと
つまり、コンプレックスを否定しようとするのは、ますますコンプレックスを悪化させる最悪の手段なのだ。
冒頭で引用したnoteのような考え方はペルソナ4で
「お前なんか、俺じゃない!!」
っていう選択肢を選ぶようなものである。その結果がどうなるかはゲームをやった人ならご存知だろう。
ただ、コンプレックスのことをよく知らないと、コンプレックスそのものが悪いと考えて否定しようとして、ドツボにはまってしまう。
とはいえ、自分のコンプレックス=自分を否定しようとする自分の負の感情と向き合うのはしんどいものだ。
だからついつい向き合うことを避けてしまう。
痛みを感じたくないから「他人からの否定的な評価を無視したり、自分のことを妬んでいる人間からの攻撃だというレッテルを貼ってなかったことにする」といった対処療法に走る。
不用意な発言などをして炎上した人が、「私を叩いているやつは皆私に嫉妬しているのだ」ということにしたがるケースは、SNSで誰もが何度も目にしてきたはずである。
しかしこのやり方は危険であり、悪性のコンプレックス以外まで排除してしまい、最後まで残ったコンプレックスがより自己を蝕んでいくのだ。
この間違った考え方に基づいて「病まないメンタルの作り方」って本を出してる人がいたのだけれど、
ただの駄作なら良いのだけれど2章・5章あたりはガチで有害な内容になっているので真に受けないように気をつけた方が良い。
私の中では
— 三沢文也@病まないメンタルの作り方 (@tm2501) 2025年7月14日
「ドン底に病んでたところからでも哲学的に復活できる本を作る」
というつもりで作った。
少なくとも私と友人にはちゃんと効いたから、その時点で満足してる。
売れる売れないはオマケです。
自分が想像できてない方向に成功できて、大変な友人も助けた。
この時点で大成功だよ
ここでいう友人がイマジナリーフレンドであり、実際には被害者がいないことを祈る・・・。
コンプレックス解消の道筋:自己受容と他者の助け
というわけで、長々と書いた割に結論はあっさりめになる。というか「やってはいけないこと」ははっきりしているが「こうすればコンプレックス解消!」っていうわかりやすい答えがあるわけじゃないと思ってる。
僕はわかってなんかいませんよ。ただ、僕もその感じ方をよく知っているだけです。僕は知っていることを言っているだけです。それはわかるってこととは違う。僕は知っているんです。その先には行き止まりしかないんだ。
— 尼子司 (@tsukasa_a_bot) 2015年8月17日
あなたを脅かしているのは自分自身なんです。あなたを嗤ってるのも自分自身だ。僕たちじゃない。あなたは、自分の思考に怯えているんだ 。
— 尼子司 (@tsukasa_a_bot) 2015年7月20日
コンプレックスを解消するためには、自分が認めたくない自分とどうしても向き合う必要がある。
しかし、それができれば苦労はしないだろう。
一人でコンプレックスに向き合うのは大変であり、それが無理だからこそコンプレックスをこじらせてしまっているはずだ。
だから、結局は友人やプロの精神科医の助けが必要だというありきたりな話になる。
そういう人が現時点でいない人はどうするか。
いきなり自分で考えるのはほぼ不可能であるため、例えばウェブ上の診断などから始めるのも良いだろう。
コンプレックスについて勘違いし、自分の嫌なところから目を背け続けている人がいたら、何とかして弱くて汚い自分を打ち明けられる相手を見つけるか、あるいはそうした感情を吐き出す場所を見つけるしかないと思っている
(※Twitterやはてなブックマークはそういう場所じゃないぞ。Twitterやはてブで汚い感情をむき出しに吐き出してるやつはみんな◯んだほうが良い)
自分が苦しいからといって他人を傷つけたりしない限りにおいて、勇気を出して、自分が隠したいと思っていることをそっと語ってみるのも良いだろう。
以下はおまけ。冒頭で引用したnote書いたMさんについて語ってます。
(今後Mさんに関する話題は望んでない人の目に入らないようにサブスク対象外とします。読みたい人は個別にTiwtterのDMなどでリクエストしてくれれば無料でプレゼントします。メールアドレスが必要です)
