頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

大貫剛氏の「戦争や核実験をしてる国の大使館へ」行かない反戦デモは、反戦が目的ではなく別のパフォーマンスが目的となっているのではないかという意見は正しいか?

ああ、これが話題になってた奴か…

本人は「考えすぎ」と自認してるけど、実際は「全くロジカルに考えずに、気分の変化を延々と語ってる」だけなんだよな…
「考える」という行為の意味がこうも違う人がいるんだな、と驚く。

この人の言う「考えすぎ」とは、ひたすら自己弁護。自分が変な人、間違った人と言われたくないというところて逡巡している。
こういう人にとって「反戦平和」は、「誰にとっても当たり前で、否定する方が明らかに間違っている」という最強の自己正当化。

だから反戦平和に少しでも疑問や異議を唱える人のことを「安心して、自信を持って」罵倒できる、精神を安定させる棍棒になる。

目的が「今起きている戦争を止める」ではなく「安心して自信を持って棍棒で殴る自分に浸る」だから、「そうだ、反戦デモやろう!」と言って真っ先に向かうのが、ロシアやイスラエルやアメリカの大使館ではなく、日本の国会議事堂になる。

日本は戦争してないし、しようともしてないのに。

高市総理がトランプに媚を売るだけで戦争を止めようとしないから?

だったら自分がアメリカに抗議するデモをすればいいのに、なぜアメリカ大使館ではなく国会議事堂へ行く?「日本国内の叩いて良い相手」を見つけたから叩きに行くだけで、アメリカに戦争をやめさせようと考えてないじゃん。

ちなみに、僕も反戦反核デモに行ったことはあるけど、それは全部「戦争や核実験をしてる国の大使館へ」だった。

日本は戦争をしてない。戦争してない国の政府に反戦デモする暇があったら、戦争してる国の大使館に反戦デモするでしょ。そうでないのは、反戦以外の意図があるでしょ。

日本の「平和教育」って、戦争は悪いもの、嫌なものとしか教えてないから、反戦を考えるのが「戦争ヤダヤダ」になりがち。

なぜ戦争になってしまうのか、なぜ優秀なはずの官僚や軍人までもが戦争を避けられなかったのかを合理的に考えるのを拒絶する。

それは「不合理でなければならない」から。

このツイートがやたらと回ってきたのだけれど、明らかに変だと思ったので、サクッとGeminiにファクトチェックだけさせておいた。

明らかに「それっぽいけどいろんな前提が間違ってる」文章であり、こういう「間違ったことを検証もせずに自信満々にいう」人は本当に警戒しなければいけない。

SNS上手だなと思うけど、信用しづらいね・・・





大貫さんの言ってることは「筋は通っているが」事実に反しているのではないか?

この「戦争していない国の政府に反戦デモをするのはおかしいのではないか」という主張は、一見もっともらしく聞こえるが、よく見るといくつかの前提が飛躍している。


「ちなみに、僕も反戦反核デモに行ったことはあるけど、それは全部「戦争や核実験をしてる国の大使館へ」だった、とあるがこれが正解なのかどうかは検証の必要があるだろう。



「戦争してる国の大使館に行かないのは日本の平和教育が云々」ということで日本の特殊事情ということにしたいようだから、ここで仮定に仮定が二重に積み重なっていて非常に気持ちが悪い。



というわけで、「他国ではどうなのか」という事実認識をきちんと確認したうえで、ツイートのロジックの妥当性を検証してください。


結論から言えば、他国でも「戦争している国の大使館に行かない反戦デモ」は普通に存在するどころか、むしろかなり一般的である。

そして同時に、大使館に行くデモも同じくらい一般的に存在する。

つまり現実は「どちらが正しいか」という話ではなく、「両方のパターンが当たり前に併存している」という状態なのだ。

この点をはっきりさせる上でわかりやすいのが、イラク戦争のケースである。

このとき世界中で起きた反戦デモの主流はどこに向かっていたかというと、アメリカ大使館ではなく「自国政府」だった。

イギリスではロンドンで数十万人規模のデモが起きたが、その矛先はブレア政権の参戦判断に向けられていたし、スペインやイタリアでも同様に、自国政府の対米協力を批判する動きが中心だった。

つまりこのケースに限って言えば、「戦争している国の大使館に行かない反戦デモ」の方が圧倒的に主流だったのである。




では近年のケースはどうか。

ロシアのウクライナ侵攻では確かにロシア大使館前の抗議が各国で広く行われた。ここだけ切り取ると大貫さんの主張は正しいように思う。

しかし実際にはそれだけでは終わっていない。ドイツでは武器供与の是非をめぐって国内で議論が噴出し、アメリカでも関与の範囲をめぐるデモが起きている。

つまり「大使館に行く」行動と並行して、「自国政府に圧力をかける」行動も同時に存在している。

さらに、ガザ地区をめぐる衝突でも同じ構図が繰り返されている。ロンドンやニューヨークではイスラエル大使館前での抗議も確かにあるが

それ以上に規模が大きくなりがちなのは、「自国政府に停戦を働きかけろ」というタイプのデモである。

これも典型的な「大使館に行かない反戦デモ」だが、決して特殊なものではない。

ここから見えてくるのは非常にシンプルな事実である。

つまり、他国でも人々は「どこに行くべきか」を一つに固定しているわけではなく、目的に応じて対象を選んでいるだけだということだ。

相手国に対して抗議の意思を示したいのであれば大使館に行くし、自国の政策を変えたいのであれば自国政府に向かう。この使い分けがされているにすぎない。

したがって、「戦争している国の大使館に行かないのはおかしい」という前提自体が、国際的な実態とは合っていない。

現実には、大使館に行くデモもあれば行かないデモもあり、そのどちらも一般的に行われている。

にもかかわらず片方だけを取り出して「これが本来の姿だ」と見なしてしまうと、どうしても議論は歪んでしまう。

今回の違和感の正体は、まさにその「一つのパターンを全体に拡張してしまっていること」にあると言えるだろう。



デモという行為の目的は多様である。「反戦デモ」ですら対象と目的が1つではない

むしろ、この違和感の正体は「デモという行為が何を目的としているのか」という理解のズレにあると言った方が正確だろう。

まず考えなければならないのは、デモというものは単に「怒りをぶつける対象」を選んでいるわけではないという点だ。

政治的なデモの基本は、「自分が影響を与えられる相手」に働きかけることである。

たとえば、日本に住んでいる人がロシア政府やイスラエル政府に直接圧力をかけることは、現実的にはほとんど不可能だ。しかし自国政府であれば、有権者としての立場や世論形成を通じて、間接的に政策へ影響を与える余地がある。この違いは決定的に大きい。したがって、戦争当事国ではなく自国政府に対してデモを行うのは、「間違っている」というより、むしろ政治行動としてはごく自然な選択である。

さらに言えば、現代の戦争は「当事国だけで完結している」ケースの方がむしろ少ない。多くの場合、同盟関係や経済制裁、軍事支援などを通じて、他国も何らかの形で関与している。日本のように直接戦闘をしていない国であっても、外交的立場や支援のあり方次第で状況に影響を与えうる。そのため、「戦争していない国だから抗議対象ではない」という前提自体が現実に即していないのである。

では、このツイートが言うように「反戦以外の意図」があるのかといえば、これは半分正しく、半分間違っている。

確かに、どんな社会運動にも複数の動機が混ざるのは事実だ。純粋に戦争を止めたいという思いだけでなく、自国の安全保障政策への反対や、特定の政治的立場の表明、あるいは仲間内での連帯感や自己確認といった要素が含まれることもある。しかしそれはデモに限った話ではなく、あらゆる政治行動に共通する性質である。むしろ「動機が単一でなければ不純だ」と考える方が非現実的だろう。



全体の主張まで否定したいわけではないけれど、後半は筆が滑った感じなのかな? わたしもよくやるから痛いほど気持ちはわかる・・・

一方で、このツイートが指摘している「正義の側に立っている安心感」という側面が全く存在しないかと言えば、そうとも言い切れない。

社会運動が自己満足や内輪の承認に傾くリスクは確かにある。ただし、それをもって全体を説明しようとすると、現実の多様性を見誤ることになる。

実際には、政策変更を本気で目指している人もいれば、象徴的な意思表示を重視する人もいるし、その両方を意識している人もいる。

また、「なぜ戦争している国の大使館に行かないのか」という疑問についても、前提が事実と少しずれている。

実際には、ロシアのウクライナ侵攻や中東情勢などをめぐって、多くの国で当事国の大使館前デモは行われてきた。つまり「大使館に行かない」のではなく、「大使館でもやるし、自国政府にもやる」というのが実態に近い。

両者は役割が異なり、大使館前の抗議は象徴的なメッセージとしての意味が強く、自国政府へのデモは具体的な政策への圧力という意味合いが強い。

この違いを無視して「どちらか一方だけが正しい」と考えるのは、やはり単純化しすぎだろう。

結局のところ、この主張の問題は「二択にしてしまっていること」と「動機を単純化しすぎていること」にある。

戦争している国の大使館に行かないなら不純だ、という構図は分かりやすいが、その分だけ現実を切り落としてしまっている。

むしろ現実は、「誰に対して、どのレベルで、どんな影響を与えたいのか」という複数の判断の積み重ねで行動が選ばれていると考えた方が自然だろう。




論理的に見える側が間違ってることなんてザラにある。むしろ論理的にみえるやつはロジックだけだと審議が判断しにくいので、前提をしつこくチェックした方が良い

この種の議論はしばしば、「論理的か感情的か」という対立の形を取るが、実際にはそれほど単純ではない。

感情が動機になっているからといって非合理とは限らないし、論理的に見える主張が前提の取り方によって大きく歪むこともある。

今回のケースはまさに後者で、「もっともらしいロジック」が前提の雑さによって結論を強引に導いている典型例と言えるのではないだろうか。




このようにちゃんと文章をつなげて読むと違和感を感じる話でも、ツイッターで最初に気持ちいい話から始まると、ついつい受け入れてしまうことがある

私も今回のツイートについて、最初の2つ目まではいいじゃんって思いながら読んでたもんね・・・

そしてインフルエンサーの方々は、最初に大衆に受けの良い、同意しやすいツイートからはじめて、だんだんと怪しい話へ誘導することが結構あるように思う。

これはこれで本当は検証しなければいけない話だろうから、今は事実としてではなく私の個人的な印象として述べておくだけに留めておくが。




改めて、SNSにおけるバズってるツイートは危険だ。とくにオピニオン系は見ないほうがよい位に思っておもいました。

とりあえずこの大貫さんは今後あまり信用しないほうが良いなと思いました。