なんで表現の自由戦士は、下表現の自由だけのヤツが多いんかなあ……
— 井上純一(希有馬屋)『逆資本論』発売中 (@KEUMAYA) 2026年5月6日
ここに「エロが真っ先に弾圧されるからだ」というドグマをぶつけてるやつが多いが、現実にエロ(というか公共広告における性的表現)以外の表現がどんな圧力に晒されていても知らん顔してるからこう言われるんだよ。「俺たちは嫌がる女にエロ広告を見せつけたいのだ」と正直に言えばいいのに。 https://t.co/CgscFrQ8Tz
— ワッシュ(鷲羽大介) (@washburn1975) 2026年5月6日
私も中年おじさんになったので
おじさんが女性に対してスケベな目線をちょっとでも持っていると思われると社会的に危険であるということはよくわかります。
ただ、それならそれで、少なくともネットでエロ擁護するような発言をせず黙ってればいいだけじゃないですか。
でも、希有馬屋さんもワッシュさんも、自分自身はエロ同人誌をかいたり、エロ動画を積極的に好んでらっしゃいますよね。
そして、そういうものが規制されたくないと主張はされている。
そういう発言を繰り返ししておきながら「自分が表現の自由を求めるのはエロのためだけではない!」みたいに格好つけようとするのは・・・
なんでそんな恥知らずなことができるのか理解に苦しむレベルなのですが・・・そんな分裂症みたいな行動をしておきながらどうして自分のほうがまともだと思ってるんですか?
本心かもしれないけど、いい年こいたおっさんが、もちづきさんのスカトロ同人描いて金を稼ごうとしたり、エロい動画をネット上に拡散してチヤホヤされたいんだったら
どうあがいても「普通の人の感覚だったらキモいおっさんである」ということは受け入れたほうが良いと思うんですよね。
それとも
「いや、別にキモいおっさん扱いされることはわかっている。それでも俺の主張する表現の自由は、他のエロだけが目的の表現の自由戦士とは違うんだ!」
みたいな主張をしたいんでしょうか?
もしそうだとしたら、より気持ち悪いとしか言いようがないですよ。
表現の自由戦士を見下すお二人には「他の表現の自由戦士と一線を画するほどの主張があるのか」と過去発言をAIに分析してもらいました
結果としては、「エロ擁護+他者批判+自己高尚化」で自分は他の表現の自由戦士とは違うというポーズを取っているけど、少なくともAIはこのように認識していますね。
Washburnさん(@washburn1975)の場合
主な関心はエロ表現の擁護(エロ漫画の歴史、性器モザイクの呼称批判、性的コンテンツを「芸術的意図」と位置づけ、性犯罪代替物ではないとする主張)。
エロ以外では:政治茶番や生活保護関連のヘイト風潮を批判する投稿はあるが、「表現の自由」として体系的に結びつけているわけではない。
テレビの自主規制(過去の芸人出演減少)や、取材出禁を「表現の自由」の侵害として触れる程度。
特定秘密保護法、BPO、CERO、名誉毀損などの具体的な規制批判は検索範囲では目立たず。
全体として、「表現の自由戦士がエロばかり守って他を無視」と他者を批判する一方で自分自身はエロを主戦場に据え、他の領域を深く掘り下げて主張している様子はありません。
KEUMAYAさん(@KEUMAYA / 井上純一さん)の場合
エロ同人誌の擁護が圧倒的に多い(紙の本の特性、文字量、スマホ vs 紙の議論など創作実践寄り)。
エロ以外では:中国共産党の表現規制を強く批判(「狂気の表現規制」「三体レベルじゃない、本格的な創作萎縮」など)。
これは外国の権威主義規制に対する「日本優位」の文脈で、日本国内の規制とは別軸。
国内では政治家(おぎの議員)のデモ規制発言を「表現の自由」のダブルスタンダードとして突くが、これは「エロ規制との比較」で出てくるもの。
京都精華大学マンガ学部での表現の自由言及はあるが、学内での自身の立場擁護が主。
中国規制批判は明確ですが、日本国内の政治的・社会的表現規制(ヘイト条例、秘密保護法、放送倫理など)を自発的に守る運動としては展開されていません。
両者とも「表現の自由戦士」という他者ラベルに対するカウンターとして発言が多く「自分たちは高尚な表現を守っている」という序列意識が強いようです。
しかしエロ以外の具体例として挙がるのは中国の検閲くらいで、日本国内ではエロ vs デモ・政治表現の「違い」を問う形で議論を振る程度。
「他にどういう表現の自由を求めているか」を明確に体系化・発信しているわけではなく
むしろエロ表現の正当性を強調しつつ、他者のエロ偏重を批判する構造が目立ちます。
エロ表現の自由こそが彼らの主戦場であり、他の領域は副次的なかたちでしか語られていないと言えます。
表現の自由を本気で広範に守るなら、中国規制だけでなく国内の秘密保護法や自主規制、ヘイト条例の運用などもバランスよく扱うべきですが、現状はそこまで考えが至っていないようです。
そもそも、表現の規制について「エロ」が最も目立つのは当然なので、「エロ」をメインに語ることは構造的には全くおかしなことではない。
お二人共「表現規制の話になると、なぜか真っ先にエロが話題に上る」ということを持ってオタクたちを見下すような発言をしていますよね。
それを「なぜ?」みたいなとぼけたツイートをする(自分は違うぞというポーズを取る)のは、まじでカスの所業だと思うんですよ。
構造をよく考えてみれば、特に不思議なことではないんですよ。
日本における表現規制を見渡すと、
・政治的表現への圧力は主に特定秘密保護法やSLAPP訴訟、自己検閲といった「間接的で見えにくい」形を取ります。
報道の自由度ランキングで日本の順位が低迷する要因も、多くは目に見えない萎縮効果によるものです。
一方でヘイトスピーチ規制は刑事罰のない条例ベース、放送倫理はBPOによる勧告止まり、広告規制も薬機法や景品表示法という専門的な法域の中で進行します。
これらはどれも、当事者やその業界の外にいる一般の人がリアルタイムで「規制されている」と肌で感じる場面が少ない領域です。
対照的に、エロ系の規制は可視性が桁違いなんですよね。
刑法175条によるわいせつ物頒布等罪は、令和5年だけで検挙849件、起訴233件という具体的な数字が出てきます。
検挙率約97%、起訴されればほぼ確実に有罪。これだけ「測定可能」で「目に見える」形で動いている表現規制の領域は、他にほとんどありません。
電車内広告、ネット広告、ゲームのレーティング——日常的な摩擦が絶えず可視化されている。
つまり、「表現の自由」を語るときにエロの話が比率として多くなるのは、関心の偏りというより、規制の現れ方そのものの非対称性に起因する、極めて自然な結果なのです。
ここで指摘したいのは単純な事実です。
なにか上のツイートでふたりともすっとぼけたような発言をしていますが、
ワッシュさん、けうまやさんご自身の発言を振り返っても、エロ表現に関する言及が圧倒的多数を占めています。
もちろん、これは何ら不思議でも、責められるべきことでもありません。
先述の通り、それが表現規制というテーマにおいて最も可視化されやすい領域である以上、自然な結果だからです。
つまりお二人は、ご自身も同じ構造の中で、同じように「エロを主に語る人間」として振る舞っている。何ならお二人が表現の自由戦士といって蔑んでいる人たちよりもエロへの言及比率は高いです
ただ、くり返しいいますが、ここまでは構造を考えたら自然なことです。
不自然なのはただ一点です。
「ふたりとも言及してるのはエロの話題ばっかり」であるという事実があるのに、自分だけは違うと主張するのであれば、異常なのは「表現の自由戦士」の側ではなくお二人の方なのでは?
自分たちも他の人たちと何も変わらない。
同じ構造の中で同じように行動してる有象無象の一人にすぎないのに、
なぜお二人は自分と同じ行動をしてる人を見下す振る舞いをアピールしてるのかな?と。
自分自身が同じ比率でエロを語っているにもかかわらず、
同じようにエロを主に語る他者を「下品な連中」「エロだけのヤツら」と切り捨てる。
これは、自分の行動の自然な帰結を、他人に対してだけ異常なものとして扱っていることになります。
可視性の高さゆえにエロの話題が多くなるのが構造的に自然なことだと理解しているなら
あるいは理解していなくても、自分自身がその構造の中で同じ振る舞いをしているなら、
他人が同じ振る舞いをしていることを見下す理由はどこにもないはずです。
それでもなお見下す発言をするのだとすれば。
不自然なのは「エロを主に語る人々」の側ではないですよね。
自分も同じことをしていながら他人にだけそれを欠点として押しつけるお二人の側ですよね。
自分の発言比率を顧みず、他者の発言比率だけを「お前はエロにしか興味がない」と問題視する。
これは構造の理解を欠いているか、あるいは理解した上で都合よく使い分けているか、いずれにしても整合性のない態度です。
というわけで、結局このお二人から漂ってくる「自分たちは高尚な存在である」という意識はどこからくるのかよくわからない。
単純に二人が頭が悪過ぎてそういうこともわかってないというならそれでも結構ですが、そうじゃないですよね。