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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「はねバド!」8巻 競技にリスペクトを持て!

百錬の覇王がつまんない最大の理由を語りたい – 青二才は振り向かない!!

はてなで最も有名なブロガーの一人であるフミコフミオさんはぼくに「(ブログの題材として)知らないことについて語らず、知ってることを語れ。」と、助言してくれたことがある。そのおかげで、ブログを書く時に炎上したり、自分でも説明ができないことを他人から批判されて右往左往することが減った。

すごく雑な言い方をさせてもらえば、作者がバカのくせに、イキった発想で、身の丈に合わないし個人的に伝えたいこともないまま小説なんか書くからつまんないものができあがってんだよ!!

「知らないことについて語らず、知ってることを語れ。」
「知らないことを語らないようにする」


素晴らしいですね。本人が実践できていればだけど
残念ながら、本人はできているつもりで、全くできていないけど。

togetter.com

・スマホ太郎がつまんないつまんない言うけど、俺に言わせるととある魔術の禁書目録と僕は友達が少ないを5倍つまんなくしたらこんな感じやん…的な気持ちで見てるから、そんなに苦痛じゃない。

・00年台アニメを礼賛しがちなぼくだけど、禁書は「つまんないくせにみんなが好きそうなポイント抑えてる」

スマホ太郎のチートっぷりも大概しらけるけど、上条当麻だってチートという点でアレやし、何ら努力してないくせにめっさ努力して能力手に入れてる人にわけわかんない説教する点では、スマホ太郎と大差ない。

ぼくに言わせると、上条当麻が台頭したからスマホ太郎が生まれたってだけ。オタク版衆愚だよ。わっかりやすいものが流行ったらその廉価コピーが量産されてあれよあれよとテンプレだけが独り歩きしたつまんない作品が量産されたという、すごい虚しい感じのことがスマホ太郎という作品だからなぁ…。

00年台もっと面白いアニメしぬほどあったけど、フォーマットとして一番勝ったのが禁書ってだけ 

・ちなみに、00年台のラノベファンというか禁書ファンは上条さんの説教シーンを大喜びしてたけど、スマホ太郎が強気にモノを言った時に「は?」となる点、オタクは10年で進歩したんだなぁーって思いました。アニメは00年台の方が1000倍面白いけど、オタクは2倍ぐらい現代のほうが進歩してるかと

もうすぐデレる、主人公がチートで唐変木なことを理由にハーレムをする的な作品、禁書が最初ってわけじゃないけど、禁書以降ポコポコ生まれすぎて糞アニメというよりも、「ダメなオタク層」という認識で処理してるぐらいには10年間ずっと何らかの同類の作品があったせいでスマホ太郎に驚かないよ

スマホ太郎とか禁書みたいにおっぱいの大きさで、女の子同士の序列が決まる作品を見てる時は、「俺はアニメじゃなくてバラエティ番組を見てるんだ」って思った方が割と納得する。それがあんまり極端な作品苦手なんですよ…昔からあるし、東方の二次創作にもよく持ち込まれる理論だけどね

これはひどい。

三沢さんが禁書について語れば語るほど、三沢さんが禁書のことをいかに全然理解できてないかだけが伝わる。正直、こんなんアニメだけ見てる人が読んでも失笑ものでしょ……こんなん「ブログじゃないから」とか「本気で書いてないから」でごまかせるレベルじゃない。まともな人なら恥ずかしくてつぶやけないし、それを自分でまとめて衆目に晒すとかもうメンタル壊れちゃう…。ぶっちゃけ「俺ガイル」のときにやらかした頃からまるで成長してない。色んな面において、三沢さん以前よりはだいぶ発達してきているとは思っているけど、ことオタク語りについてはあんまり成長がない。相変わらず知らないことを知ったかぶって語っている。


たまたま「百錬の覇王」や「イセスマ」は明らかにダメなところが目立つ作品だから三沢さんのボロがそれほど目立ってないようだけれど、このニ作品についても、実は三沢さんがおかしいと指摘してるところはそれほどおかしくなく、よくよく読むとむしろ三沢さんの読解や知識の不足、誤りなどが目立っている。特に彼が「禁書目録」「ゼロ年代のアニメ」について言及しているところは、まさしく「知らないことを語らない」という上のお題目に真っ向から反している。自分が他人を馬鹿にする根拠がそのまま自分に刺さっており、さすがにこれは馬鹿にされても仕方ないと思う。

・・・ただ、今更三沢さんのこういうところに突っ込むのは無意味だし(もう数年ずっと言われてるけど未だに治らないんだからもうこれは彼の固定装備みたいなもんだと思ってます)。また、これら一連の発言のひどさは誰でもひと目見てわかるでしょう。これに突っ込むことは今回の記事のメインではないので、この記事中ではツッコミは省略します。*1


人はなぜ「知らないことについて語ってしまう」のだろうか

大事なのはいかに三沢さんがこの件について馬鹿なことを言っているか、ではない。なぜ彼がいけないとわかっているはずにも関わらず、「知らないことについて語ってしまった」のかについてだ。

三沢さんは、少なくともこういう記事を書いているのだから「知らないことを語るのはよくない」ということは頭では理解している。にも関わらず、こんなにも自分が知らないことを知ったかぶって語ってしまっているというところが恐ろしいのだ。これは三沢さんに限った話ではない。私も、さすがに三沢さんほどひどくはないにせよ、こういうミスはしょっちゅうやらかしてしまう。私も実際よくブログについてツッコミを受けるからね……。

で、これについてですが、簡単に説明しようと思えば「ダニング・クルーガー効果」という言葉があります。

2、3作品知った程度でしったかぶって語ってる人ならこれで説明ができるでしょう。ただ、これだけだと「三沢さんが何年経ってもこの状態が続いている」「三沢さんは一応禁書アニメを二期まで見たはずなのにここまで的外れな語りができてしまえること」が説明できません。

また、私も特定の分野については同じようなやらかしをずっと繰り返してやってしまいます。もう少し掘り下げが必要そうです。

「特定の相手へのリスペクトを持つことが難しい」問題について

そしてこの件について最近読んでて面白いなと思ったのが「はねバド!」の8巻の会話です。

はねバド!(8) (アフタヌーンコミックス)[Kindle版]

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才能を持つ主人公が、敵のねちっこい立ち回りに苦戦させられて、ふと悩みを感じるシーン。

「私は……驕っているんですか…?」

「どうして、そう思う?」

「今の相手に私が負けると思わないけど、苦戦してる。だから侮らないように、と思っても、相手にリスペクトを持つことが難しい。実際、今でも優位に立ててもいる。……でも、一人だと苦戦してる。私は(どうしたら)……」

これについて、いや「最低限のリスペクトくらい持てよ」っていうのはすごく簡単だし、できるならそうすべきだと思う。私はASDであるため思考と行動を切り離して最適な行動を示してくれる礼儀や形式といったものに大いに助けられてきた人間であり、結構意識的にリスペクトを示すことはやってるつもり。

だけど、それでもやっぱり、時々ポロッと漏れてしまうことがある。 どうしても特定の対象に対しては意識してリスペクトを持とうと思っても難しいところあったりする。

*2

三沢さんは、他の分野ではまともなことも書いてるので、単純に三沢さんの頭が悪いということではない。おそらく三沢さんにとって、ラノベやなろうはリスペクトが持ちにくい、もっと言えば見下しているのだろうと感じる。だからそれにつられて際限なく自分のレベルまで落としてしまうのだ。

これについて、どうすればいいのだろうか。


まずは「競技」についてリスペクトを持つことで、そこから自分の心を知る

この主人公の悩みについて、コーチはこういう話をする。
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バドミントンを通じて自分の人生と向き合うんだ

※この話の前に、長い長い会話や悩みの積み重ねがあるので、ここだけ説明してもピンとこないのはわかってて書いてます。詳細は作品でぜひ確認してもらいたいです。

この記事中で一つだけ伝わったらいいなと思ってるのは「その人個人」に対してリスペクトを持つことが難しくても、「競技」についてリスペクトを持つようになれば、相手がどうであれ自分は恥ずかしい真似はできなくなるだろうし、そうしているうちに「人」に対してもリスペクトを持てるようになるかもしれない、ということ。相手をリスペクトできないからって自分を欠陥人間みたいに考えなくてもいいってこと。

*3

私自身も「リスペクトを持つ」ことを意識したいです

私も日頃、お客さんや会社の人たちに対してついつい敬意を持てなくなりそうになることは度々あります。はてなブックマークやってたらブログの読者とか見下したくなるときもあります。そういう感じで嫌な人や嫌な会話が積み重なると、自分の仕事自体が嫌になってしまいます。そして、その仕事をしてる自分そのものもだんだん見下したくなってくる。そうやっていろんなものを見下し始めてリスペクトを持てなくなると、自分もどんどん堕落していく、そんな底なし沼みたいな感覚に陥ったことは何度もあります。

相手がどうあれ、そういう悪い循環に陥らないように、自分を維持する何かを持っておきたいです。そうすれば、尊敬できる人が近くにいなければ探せばいいじゃんって目の向けどころも変わってくるはずですし。

ということを考えました。

*4

それはそうと「はねバド!」面白いのでみんなもぜひ読んで!

技術もさることながら「心の成長」について真摯に描いてる作品だと思います。
すでに以前一度紹介済みでしたが、語りたいこと、何度も読み返したくなるところがあって本当に好きです。

最初の2巻くらいまでは微妙ですが、6巻くらいまで読んだらもうよむの止まらないと思う。

*1: 一応別途こちらにツッコミポイントをまとめておきます。 https://web.archive.org/web/20180901115154/https://anond.hatelabo.jp/20180901160807

*2:例えば「最低限の勉強や文章の読解、受け答えができない人間」や「真面目が行き過ぎて生産性が極端に低い上にそれをこちらにも押し付けてくる人」、そして「タバコを吸わない人の前で許可を取らずにタバコを吸う人」や「互助会行為をしている人や、自分の記事についた発言をいちいちRTしまくる人」などに対しては、相手にも事情や生まれつきのハンデなどがあるかもしれない、と頭ではわかっているが、どうしてもリスペクトを持つことができない

*3:例えば上の三沢さんの場合だと「オタクであること」とか「何かを語るということ」それ自体へのリスペクトをもつことが必要ということになる。三沢さんの場合、まず「オタク」というものそれ自体にリスペクトを持ってないのかもしれない。つまり「オタクであればこういうことは慎むべき」「オタクとしてプライドを持って発言すべき」という部分が全くできていない。だから「三沢文也はオタクである」というアイデンティティを主張しながら「オタク」として恥ずかしいことができてしまう。 そのうえで「ラノベやなろう作品」という相手を見下し、偏見を持っている。だから自分の発言がどんなにずさんでも「こいつ相手だったら平気だろう」って思ってこんな発言ができてしまうということになる。私は上のまとめを見ていて、三沢さんにはネットでものを書くということについて、あるいはオタクとしての最低限のプライドとかないのかな?って思ってしまった。まぁプライドはむしろ高いほうだと思うのでおそらく何か勘違いしているのだろうけれど。三沢さんは上の記事でこういうことも言っている。「がんばったから認められると思ってるのは小学生までだ。大の大人はがんばっただけじゃ、ダメ。バカも技術不足も糾弾されるべきだ。だから、バカという言葉を慎む気にもなれない」うん、三沢さんは、その厳しさを自分に100分の1でいいから向けたらいいと思う。

*4:というわけで、今回はたまたま三沢さんがものすごく恥ずかしいことをしていたので、こうやって書いてますが、彼の恥ずかしい姿が突き抜けていたため、彼を批判する気持ちなんかは吹き飛んで、自分はどうだろうって考える切っ掛けになりました。