頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「ただ否定して自分だけ気持ちよくなる」のではなく「人に伝わるような形できちんと批判する」のは本来とても難しいし手間もかかる

「誰かに対する批判や悪口」が自分のメインコンテンツになってはいけない - 頭の上にミカンをのせるの続き。

私はよくはてなブログで記事内容を批判されることがあるのですが

・事実や補足情報の指摘(これはものすごくありがたいです)
・自分の基準を満たす有効な批判(こちらについては尊敬すら感じます)

以外はあまり価値がないと考えており、なんというか、批判的なコメントを書くのは構わないんですが「もったいないなぁ」とは思います。


自分も一時期そういうブコメを書いてた時期があったので、そのころの反省も込めて「そもそも批判って難しいよね」という話をします。
(※私がブコメやってた時の評価は散々でした。私には批判的なコメントを書くスキルが全くない)


「有効な批判」「批判的な読み方」についての私の基準

私は「発声練習」ブログや「ズイショ」ブログを尊敬しているので、基本的な思考や基準はそういう人たちから影響を受けています。

たとえば以下のようなことを意識しています

①相手に伝える意思があるかどうか
next49.hatenadiary.jp

そもそも、他人に説明したり、理解してもらう必要がないならば論理的に思考する必要はない。直観や霊感にしたがって何でもやれば良い。でも、他人に理解してもらうため、あるいは納得してもらうためには、自分がどういう理由で、何を、どう考えたのかを相手にわかる形で示さなければならない。

②「批判したいために批判している」だけなのか、それとも批判的読書を心掛けているのか
批判こそが最も正確な自己開示である - 頭の上にミカンをのせる

学生たちは、私達から「なるべく批判的に読みなさい」とか「批判的なコメントをつけなさい」と言われると、どうも相手の欠点や欠陥を探すことを「批判」だと思いがちです。そのような態度で本や報告書に接する場合、ちょっとした欠点を見つけると、「しめしめ、ここを指摘してやろう」と、自分のことを棚上げして、その発見に喜んでしまったりします。そして、「あいまいだ」とか「こじつけだ」といった辛辣な批判をして満足するのです。

問題点を探しだすことで止まってしまっては、「批判的読書」は思考力を鍛える半分までの仕事しかできません。考える力をつけるためには、もう一歩進んで、「代案を出す」ところまで行く必要が有るのです。

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③批判の要件をどの程度満たしているか。どの程度のレベルか
d.hatena.ne.jp

DH0. 罵倒(Name-calling): 発言者に対する罵倒。
DH1. 人格・属性批判(Ad Hominem): 誰が言っているか(Who to say)に対する文句。
DH2. 言い方批判(Responding to Tone): 言い方(How to say)に対する文句。
DH3. 論拠なき反論(Contradiction): 言っていること(What to say)根拠や理屈を述べず否定する。
DH4. 局所的反論(Counterargument): 根拠、理屈+否定。ただし、議論の主題とつながっているかどうか、反論が成り立っているかどうかは考慮外。
DH5. 局所的論破(Refutation): 論破できているが、もとの発言の主眼点は論破できていない。
DH6. 主眼論破(Refuting the Central Point): もとの発言の主眼点を論破できている。

ブックマークは自分の記録用として使うことが建前上は赦されているので、別にみんながこうしなければいけない、とは思っていません。ただ、書き手としてはブックマークコメントの評価はします。実際にたった100字でも以下の3つの基準ではかると大分明確にレベル差が出ます。ちゃんと見られているということは意識したほうがいいと思う。 

※私は完全に私的な記録用として使っているのでブックマークコメントは非表示にしています。はてなブックマークへのはてなスター機能が消えるまでは表示することはないと思います。



はてなブックマークで批判的なコメントを受けたらこのように対応します

たとえばこういうコメントを受けた時、なんの基準もないと、あまり反応をもらい慣れてない人にとっては心がしんどくなるかもしれません。

さらに言うと、はてなブックマークは「はてなスター」によって人気コメントを決めてしまう悪い仕組みがありますが、仲間内でスターを付けあう人間によって批判的なコメントが上位に来ることがあります。こういう時に自分の判断基準がないと人が傷つくこともあります。

「誰かに対する批判や悪口」が自分のメインコンテンツになってはいけない - 頭の上にミカンをのせる

おっ意識高い系か?

2019/08/16 08:49


しかし、上のような基準があればこういうコメントをする人にいちいちおびえなくて済むようになります。

私の場合、普段はいちいちここまで具体的に意識はしませんし、ましてや指摘もよほどひどいもの以外はわざわざしませんがそれでも漠然と上の3つの基準に従って評価はしています。たとえばquick_pastさんのコメントについては「①自分以外の誰かに自分の考えを説明する意思がない。文章をちゃんと読むこともせずただ瞬間的に思ったことを書いてるだけ②批判したいために批判しているだけでなんの情報もない ③レベルがDH0~DH1のことしか書けていない」みたいな感じで。
こういう風にして評価が低いものは、コメントの重要度を下げます。重要度の低いコメントは無視してかまわないです。あまりにこういう重要度の低いコメントばかりが上位に来るようならまとめてぶった切ったりもします。 徒党を組んで自分の仲間たちのコメントを人気コメントにしたら勝ったつもりになる、サル山の住人がはてなブックマークには結構いますからね。。。

逆に、たとえ口調が悪かったり自分の意見に反するなと思っても、ちゃんとDH5~DH6に相当する意見を述べているような人はむしろ「お気に入り」に入れます。口調が悪くてもDH0ではなくDH5~6になる人もいます。この違いはサル山の住人には理解できないと思いますが、私が彼らの基準に従う必要はないと思うので、私は私の基準で考えます。



自分が気に入らないものを「ただ否定して自分だけ気持ちよくなる」のではなく「人に伝わるような形できちんと批判する」のは本来とても難しいし手間もかかる

私がほかの人に「何かの批判をメインコンテンツにするべきでない」と考えるのは上のような基準があるからです。

一言で言って「難しい」のです。きちんとやろうとするとすごい手間がかかります。

先ほども引用したような、部分的な瑕疵をみつけて、これで批判できた、と思うような人ははっきり言って怖くないです。
むしろ誤字脱字チェックと同じような感じでありがたいとすら思う。

学生たちは、私達から「なるべく批判的に読みなさい」とか「批判的なコメントをつけなさい」と言われると、どうも相手の欠点や欠陥を探すことを「批判」だと思いがちです。そのような態度で本や報告書に接する場合、ちょっとした欠点を見つけると、「しめしめ、ここを指摘してやろう」と、自分のことを棚上げして、その発見に喜んでしまったりします。そして、「あいまいだ」とか「こじつけだ」といった辛辣な批判をして満足するのです。

でも、本当に批判しようと思ったら、相手の文脈まで理解して、主眼をつきとめて論破しなければいけない。ところが、そういうことを丁寧にやろうとすると「アンチ」と冷笑的な声を浴びせてくるのがネットの悪いところです。

批判は手間がかかるし、その上あんまり評価されない。それでは自分自身にはなんの成長もありません。表現力も伸びません。むしろどんどん駄サイクルに陥っていって、タコツボ宇宙にドはまりしてしまう危険性が高い。

「嫌いよりも好きを語れよ」というのは道徳的観点ではなく、効率的・経済的な観点からおススメです

異常のことを考えるとそんなことをするよりは、自分が面白いと思ったこと、自分が今まで経験したことがないことを発信していく方がずっとお手軽だし、自分の世界が開けて楽しいのではないでしょうか。

そういう意味で「嫌いや批判をメインコンテンツにした方が効率が良い」と思ってしまっている人は、「批判って長期的に見たら割に合わないかもよ?」っていうのをちょっと考えてみてほしいです。

ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)

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昨日読んだ本ですが、ちょうどそういう話が書いてありました。この本についても来週のどこかで紹介しようと思います。