頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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海外ではいわゆる「繊細ヤクザ」のことをcrybullingっていうらしい

ちゃんとWikiquotoにも載ってるからある程度共有されたワードと思う。

 

私繊細ヤクザとか繊細チンピラっていうフレーズがめちゃくちゃ嫌いだった。なんでかというと、言葉の時点で「繊細」「チンピラ」という価値判断による攻撃がすでに含まれてるから。

 

確かこれほりでぃ氏による命名だったと思うけど、この言葉のセンスがすっげーーー嫌いだった。それを喜んで使う人も好きじゃない。前ブログではわざわざ、この言葉使うの好きじゃないから私は使いませんって記事書いた。

 

これと比べるとcrybullingって意味することがほとんど同じなのにすごくいいなと思う。何が良いかというと、言葉の成り立ちが「行為+行為」になってること。

 

つまりこれその人の属性ではなくて行為を表現しようとしてるんですよね。言葉自体の中立性が繊細ヤクザと比べて高い。

 

 

日本語って罪を憎んで人を憎マスって言葉があるじゃないですか。でも実際は言葉の段階でもう完全にマウント入ってる。話をする前から人を裁いていて、自分が正しくて相手が間違ってるというところがスタート地点になってる。そういう単語使って発言した瞬間に、もうその後で何を言っても方向性は固定されて会話など成立しないなと。

 

 

言葉による縛りは結構怖いなと思っていて、例えば私もフェミニズムに関して言うとネトフェミって言葉をよく使ってた。

でも、ネトフェミって言葉を使った段階で多分もうだめなんだわ。その時点で「こちらが」相手との対話を拒否してるようなものなのだなと。この言葉にたどり着いた時点で議論が陳腐化してしまうというか。

萌えヲタとかアニメアイコンはーみたいな言葉を使う人が軒並みくっそ頭悪いのと同じようなものかと。

 

 

別にその属性そのものが嫌いでわかり合う余地がないと思ってるならこの言葉を使えばいい。でも少なくとも私は一応最近までは特定の行為を行ってる層の人たちに対して呼びかけるつもりで書いてた。初手から自分で台無しにしてることに気づかずに頑張って文章書いてたのだから我ながら間抜けやなと思う。

 

この件に限らず、ネットで多用される日本語は行為よりも人物の属性をダイレクトに攻撃するような言い回しが多いような気がしている。逆に行為についての語彙はとても乏しく、いきなり差別か差別でないか、という極論を持ち出す人もいる。このダイレクトな属性攻撃と極論と無神経さが全て合わさった表現が「フェミニストでないならレイシストだ」という表現ですね。自分はこういう表現を使わないようにしたいと思います。

 

まあ、行為を指摘してれば何でもいいってもんではないけどね。マンスプレイニングとかトーンポリシングみたいな言葉とかも好きじゃない。それでも、少なくとも行為と人を一回切り離して考えることはできます。

 

とにかく人間、ダイレクトに人格や属性攻撃をされたりしたら冷静に会話などできるわけがないし、大雑把にその属性を持つというだけで否定したり肯定したりという雑な政治ごっこにはうんざりします。

 

そういうのは思考リソースほとんど使わなくて楽かもしれないけど、対話を考えるのであればなんの成果も得られないどころか分断を煽るだけなので、面倒でももうちょっと丁寧に言葉を考えたいなと