例の漫画については批判されるべき点が無いとは言いません。批判されるべき点がない作品など存在しないと思っています。なので、批判すること自体は全然いいと思います。*1
ただ、例の漫画について「立場が強いクライアントが立場の弱いクリエイターを食い物にしてそれを美談のように語っている」というものを多く見かけました。
これは、私と解釈違いすぎる。
私の解釈が絶対的に正しいとは思いませんが、少なくとも上の理解はちょっと作品を正しく読めているとは感じないので、その旨について書いておきます。
大前提として、作者は両者の関係を「美大生の方が立場が強い」という態で描いていると私は思う
説得力があるかどうかはともかくとして、このことは明確に意図した描写として表れています。
設定について断片的に設置された表現のことを「置き石」と呼ぶらしいですが、この作品にはきちんと置き石が置かれています。その置き石を読み飛ばして上記のような「立場が強いクライアントが立場の弱いクリエイターを食い物にしてそれを美談のように語っている」という感想を述べたり、他人のそういう意見をそのまま鵜呑みにしてしまう人は、本当に自分でマンガを読んで、自分でこの作品について考えたのかな?って思ってしまいます。
本作品における「インディースゲームの製作者」と「東京藝大」の学生の力関係は明確に示されているのに、この部分をスルーしている意見が多い
情報って並べ方によって印象が変わると思うんですよね。このページは肝である(4/6)の後に来ているページです。ここすごく重要な情報が描かれているんですが、皆さん(4/6)の時点ですでにカナメさんへの悪印象が固まってしまっているせいか、このページの情報を多くの人がスルーしています。
現実はどうか知りませんが、少なくとも本作品において本来の「ゲーム制作会社」と「東京藝大」の学生の力関係はこっちだというのを描いているシーンです。
しかも、この神崎さんは、大して価値がないものを描いて軽く5万円をかせぎ「ゲームの仕事なんてチョロい」って言っていたこの学生と比べてもすごいやつだと認識されているってことも示しています。
学内において、こういう風にいって言い返されない立場にいるのだから相当一目置かれているのでしょう。
これを理解したうえで、(2/6)のコマを見てみましょう。
この時点で、明らかに神崎さんは「ゲーム会社の仕事」を「東京藝大で普段自分がやってる取り組み」より下に見ているのがわかります。
なので、Twitterで自分事に当てはめて「わたしならこんなクライアントは切る」とか「トラウマが刺激された」とか言ってる人が多いですが少なくともこの作品においてそういう解釈をすること自体が単純にちゃんとこの漫画を読めてないだけじゃなかろうかと思います。
神崎さんは言われなくても「気に入らなければいつでも切れる」わけです。別に食うに困ってるわけでもなくて、ちょっとした腕試しでやってるだけですからね。
んで。
むしろ、クライアントであるカナメさん側はなんとかしてこの自分たちのことをなんとも思ってなさそうなこの優秀な神崎さんにたいし、ただの通過点としてではない、一筋縄で行かないやつだと思ってもらいたかった。
だから、「日当だけ払って何も得られない」ことになるリスクを負いつつも「いつ神崎さんから切られるかわからない」状況でドキドキしながら彼女に挑みかかってるわけです。(悪い人なら、嫌がらせしてデザイン画に金を払わずに提出されたやつを勝手に使いそうですけどこの作品はそういうのではない)
そのためにわざと生意気に見える態度をとったり、余裕ぶった態度をとってみたり、ミノリさんを神崎さんの目の前でこれみよがしに誉めたりしています。この辺りは完全に「絡め手」であり、いやらしい手口です。恋愛工学のようにdisから入るやり口であり、それこそアイシールドの蛭魔くんのように「お前それ立場が上だったら完全にアウトだろ」って手口です。お世辞にも褒められたものではありません。
そして、こういう態度を取っていたら「相手から切られて当然」ということも作中でもしっかり描かれています。その上で、カナメさんは「立場が上の神崎さんを口説き落としたいから、彼女を狙い撃ちにした戦略としてこういう露骨に挑発的なやり方をした」わけです。
繰り返しますが、作者は「カナメさん側が下の立場で、かつ挑戦者である」というのを明確に作中で示しています。少なくともここまでは国語の読解力問題であり解釈のぶれる余地がないところだと思います。ここまでで異論があるという人はご指摘ください。
なので、この作品について「立場が上のものが下の人間を洗脳して思い通りにする行為を肯定するものであり危険である」みたいな解釈をしている人は、前評判とか他の人の意見を事前に入れすぎて純粋に作品を読めていないんじゃないかと思います。別にそう読みたいなら読んでも構わないんですが、それは作品を丁寧に読んでるとは言えないんじゃないかなと。
さらにいうと、ここから先ははあくまで私の解釈なのですがラストのこのシーンは、カナメさんの一連の行動を肯定しているわけではないと思っています。
私はこれについて、カナメさんが今まで余裕ぶっていたのは演技であり最後に二人のシーンでガッツポーズしているところで「本当は自信も余裕もあったわけではなかったんだな」くらいに受け止めました。
ここは情報量が少ないので作者も読者に解釈の自由を与えている部分だと思います。なので、異論認めるというか、私の解釈は明らかにカナメさん側に寄った考え方になっています。
私が好きな解釈は@lornplum さんのこのコメント。
この漫画のターニングポイントって、「私は何でも描ける」と自信満々な態度ながら、実際には「具体的な指示さえ貰えれば」という、創作者としては受け身な姿勢の(美大で何をするの、という質問の答えにも表れてる)神崎さんが脇坂さんの「聞いていて情景が浮かぶ」ような音楽を聴いたところだと思うんですよね。指示書にある設定がデザインから滲み出るようなキャラクターを創るってのが求められていることだと理解したから、普段はやらない資料漁りまでして「そういうもの」を描き出すことができた、というところが肝なのでは
ただし、「作者がそう描こうとしていた」ということと、「それが読者に届かなかった」ことは全く別問題です
とはいえ、批判的な声がかなり大きいということは間違いありません。
なので、読者側の読解力とか、読者側のトラウマの問題もそうですが、作者様側でも「こうした方がより伝わったのにな」みたいな課題はあるんだろうなと思います。
自分が作品を作ったことがないからわかりませんけど。
①例えば、さっきも引用したラストのシーン。
結局多くの人の批判を見るに、ここで「本当は虚勢貼ってただけで、最初から素晴らしいと思ってたしいつ切られるかひやひやしてた」みたいな描写を2ページくらい描いて最後に神崎さんが逆にマウント取り返すみたいな描写を入れれば、読者は気持ちが良く受けいれられるんでしょう。私は要らないと思いますが、今回文句を言ってる人のレベルにあわせるならそういう工夫も必要になってくるかもしれません。
②それから、「東京藝大」の学生というのがどれほどのエリートであるかが読者に全然伝わってないんだと思います。
こういう描写があるくらいで、この神崎さんがどれほど抜きんでているかがたぶん伝わってない。
www.tyoshiki.com
私は「ブルーピリオド」を読んでたせいか、最初から神崎さんの方が格上だろうと思って読んでたからパワハラという認識が全くありませんでしたが、ここももうちょっとなんかあった方が批判されにくかったのかも。知らんけど。(まぁ、逆にいうと「ブルーピリオド」を読んでたせいで東京藝大の人たち、単に絵がうまいだけでなくて創作意欲がほとばしり、プレゼン能力も高い人たちであるという印象があり「技術がべらぼうに高いが創作に対して受け身的な神崎さん」というのがあまりリアリティを感じなかったという別の問題が生じちゃってるんですけどね。)
③それと、これも多くの人が指摘してましたが絵の「ビフォーアフター」が出てこないので(出そうと思っても難しいでしょうが)、カナメさんがやったこの「試し行為」のような行為がどれほどの意味があったのかも読者に伝わらない。
この辺りは同じくゲーム制作会社で主人公がキャラデザに挑戦した「NEW GAME!」では明確に描かれててよかったですよね。
- 作者:得能正太郎
- 発売日: 2016/07/27
- メディア: Kindle版
とかいろいろあるんだと思います。
そう考えると、私が普段特別意識して丁寧に読もうとせずともひっかかりを感じずに気持ち良いと思える作品というのは、細かいところ一つ一つにまで考えを巡らせてネームが作られている(いわゆる臭み抜きの技術)わけですよね。…それってものすごいことだなって。
例えば「王様達のヴァイキング」では、カナメさんよりはるかに傲慢な社長と神崎さんよりはるかにコミュ障な天才のコンビが肝になっていますがすごく楽しめる作品になっていますし
マンガ「スティーブズ」でジョブズとウォズニアックの関係を描かれたうめ氏の「大東京トイボックス」なんかも面白いですね。
- 作者:うめ(小沢高広・妹尾朝子),松永肇一
- 発売日: 2018/02/16
- メディア: Kindle版
林檎の樹の下で -アップルコンピュータジャパン物語- ×スティーブズ外伝
- 作者:うめ(小沢高広・妹尾朝子)
- 発売日: 2018/05/11
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大東京トイボックス【デジタルリマスター版】(1) (スタジオG3)
- 作者:うめ(小沢高広・妹尾朝子)
- 発売日: 2019/12/27
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改めて面白いと思えるマンガ家さまに尊敬の念しか感じませんね。普段はブログで気軽におもしれーとか面白くねーとかそういう話を書いてますけれど、根っこの部分では作者様への敬意を忘れないようにしたいなと思います。
追記。実際にインディースサークルとして自分で絵を描きながらアシスタントを雇って年3~6本作品を出し、一本当たりの売り上げが最大で5000越えのクリエイターさんから話を聞いてみました。
美大生サイドは絵は上手いけど、要求に答えて絵を描くというスキルがなく、プライドが高くて扱いにくい、よくあるデッサン厨的な美大系キャラなのかなぁと。
一方でプロデューサーサイドも、相手がきちんと要求イメージを理解するまですり合わせるというコミュニケーション能力が欠けてると思う。
インディーズチームだし、お互い駆け出しという点もあるからそういう揉め事も含めて成長していく話なんかなぁと。
超簡潔に要点をまとめてくださっててさすが……私が長々と書いたのは何だったのか……。やっぱりこの作品で問題なのは「特別な存在であるはずの東京藝大の神崎さん」の描き方が「よくあるデッサン厨の美大生」にしか見えなかったところなんでしょうね
蛇足
これ普段から私のブログを読んでくれてる人にはいちいち書く必要ないとは思うのですが、そうでない人に読まれる可能性もあるので一応書いておきます。
この記事はあくまでこれは例の漫画はこういう情報が書いてることを無視しないでほしいと言ってるだけであり、私はカナメさんの行為を肯定してません。
というか、私は今リアルタイムで「会社の上司から」これと同じ仕打ちを受けている真っ最中であり、立場が上の人間がこれをやると下の人間がどれほど消耗するのかを身をもって味わっています。そういう意味でも「神崎さんはめちゃくちゃ余裕あるな」と思いながら読んでました。そういう意味でも、カナメさんの行動は普通に考えたらEVILですし普通に嫌いです。というかこのカナメさんが使った手口については「ドラゴン桜2」の時に明確に批判しています。今回の記事をを読んで「よしきはカナメの手法を擁護している」と読んだ人はまじで作品以前に自分の文章読解力が足りないことを自覚してほしい。そこが自覚できないとなんでも人のせいにする青〇才さんみたいになっちゃうぞ。
前者の経験から得るものもあるが、個人的には後者が好き。#例の漫画 pic.twitter.com/aCwFihzIJp
— 八坂たかのり (@Takanori_Yasaka) October 15, 2020
ただし「カナメさんの行動が嫌いであること」と「嫌いな描写があるからと言って作品の描写を読み飛ばして作品を批判していい」こととは全く別です。私は「批判したいなら、なおさら批判したい対象のことは丁寧に理解せよ。それやらないなら批判じゃなくて相手にする価値のないゴミ発言として扱われても文句言えない。そのゴミ発言しておいて批判を受け入れるべきとかいうのはダメ」というのはブログで何度も書いています。
*1:もちろん自分も雑な批判をしたら反論されたり批判される覚悟があるのならばですが