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「マーケティング感覚のあるデブ」と「マーケティング感覚のないデブ」の話

b.hatena.ne.jp

これ読んで最初に思ったこととして「今のご時世、うまくいかなかったとしても黙ってたらコロナが大変だったって言ってもらえるのにあえてこういう話をしてるってことは、
この人は、コロナに負けたっていうのは認めたくなかったんだろうな」ってことでした。


次に思ったのは「やっぱり需要が先で、こだわりとかそういうのは後なんだよな……」ってことですね。

横文字で「マーケティング」っていうとなんか意味が拡散してしまうわけですが、「需要」を軽視すると何もうまくいかない……。

でもまず「需要」ってのは本当にわかりにくいし、わかってても合わせるというか「需要がなければどれだけ思い入れがあってもいったん切り捨てる」ってのが本当に難しい。




せっかくなので、最近書いて没にしたネタを復活させて、「マーケティング感覚」ってなんじゃらほいみたいなことをちょっと書いてみたりします。



マーケティング感覚のあるデブがダイエットについて情報発信したら……


①マーケティング感覚のあるデブは、「なぜ自分がこの体重になるまで太ったか」「100kgのデブはどういう食生活や運動していたか」「ダイエットの途中でどのように挫折したか」「デブはどういう身体になったか」などを情報発信を行った。

www.youtube.com

www.youtube.com


②マーケティング感覚のあるデブは、やせる過程に「ペットのいる光景」を取り入れたりする。上がろうが下がろうが常に情報発信し続けるなどのスタイルを取った。

twitter.com

③マーケティング感覚のあるデブは、「10kgとか20kgではなくて50kgやせる」など普通ではありえない結果を出す。「筋トレ」とセットで成果を出す。
www.youtube.com


④マーケティング感覚のあるデブは、専門家とタッグを組んで知識をセットで販売する。


⑤そもそもダイエットしない。デブを個性として自分自身をコンテンツ化する。
twitter.com



これって、別にデブとかダイエットの限らずブログでの情報発信にも当てはまると思っていて、
例えば骨しゃぶりさんは②と④のハイブリッドタイプで、しんざきさんは①と④とかそういう話もできそうですね。



私はマーケティング感覚のないデブ……

逆にマーケティング感覚のないデブは

「110kgから105kgになった方法を教えます」「もも裏歩きしたら痩せました」「断食してみました」「サウナいってみました」のような情報発信をしたりします。

何がダメって、デブが5kgやせたら本人はうれしいかもしれませんが、それ以外の人には何の価値もない情報なんですね。

元々超過体重なのだから、それが普通付近に戻ってくるまではそれほど情報に価値がない。

本人にしか価値がない情報をいくら大げさに「これは価値ある情報だ!」と言い張っても見向きもされないわけです。





私はがっつり後者ですね……

言い訳をすると、私は他人にそこまで自分がデブであることを知られたくないと思ってて、自分の記録のために書いているのでいいといえばいいのです。

まぁ、ただそういう風に思って書いてるのだから、当然「他人がよみたい内容ではない」のは間違いないなと。




そもそもが、その「デブ」をどういうふうに受け止めるかというスタート地点から大きく差がついている

人気がある人って

①「デブ」であることをプラスにとらえてるのと ②継続的に情報を配信する の2つがしっかりしてるなあと思ってて。

なんか隠したいとか恥ずかしいいものじゃなくて「ネタ」とか「チャンス」ととらえてる。

だから積極的にさらけ出しつつ、どうやってそれを面白くできるかって考えてる。



申し訳ないけど私はデブであるのはすっげえ恥ずかしいと思ってるので、とにかく過程はともかく体重減らすことだけ考えてるんですが

今の世の中は「どうせやるならなんか面白くしていこう」とか「他人も自分のダイエットに巻き込んでいこう」って企画にできる人が

ダイエットだけでなく、いろんなものに成功していく世の中になってきてるよなーと思ったり思わなかったりします。

とにかく、同じダイエットという一言をとってみても、こうまで差がつくのか…というのを感じますね。



人を楽しませたり、人のニーズにこたえられるってのはそういう訓練が必要なのだと思う

同様にアニメとか漫画を読んでその感想を情報発信するにしても全然違うんですよね。


なんかこう、私も長年ブログ書いてると、自分は本当に他人を楽しませる才能みたいなのが全然ないなと思ってて


それ自体は別にいいのですが、せめて自分自身をもうちょっと楽しませることはできへんかなと思ったり思わなかったり。





そう見えないかもしれませんが、私コンテンツ見たり読んでるときは結構テンション上がったりしてるんですよ。

最近読んだ「少年のアビス」でも「ホーキーベカコン」でも、読みながら「まじかー」とか「これすげええ」とか心の中ではリアクションしてるのです。

でも、なんかそれをうまく言葉にできないというか。結局はあらすじを淡々とメモするような書き方になってしまうというか。

逆に、感情を出そうとするととたんに人に嫌われるような書き方になってしまうというか。

昔からずっとやってるマンガ語りでさえ、私はうまくできないのですよね……。



かといって、こういうことができる人たちについて簡単に「才能」って言葉で表現するのはめちゃくちゃ失礼だと思ってます。

自分たちが尊敬してる人たちだって、最初からそれができたわけではなく、

そういうのを意識してちょっとずつ形を作り上げたり、土台となる知識を身に着けたり、その形を続けて地道にファンを獲得してきてる。

なによりも「一定品質以下のものは出さない」っていうところが徹底してるなあと思ってて。



なんか書くごとに悲しい気持ちになってきたゾ。




自分自身はどうしたいんやろうかというと

自分が記事を読んでもらいたいのは「まだその作品を読んでない人」です。

んで、どうなってほしいかというと「面白そう」とか「読んでみたい」と思ってほしいわけですよ。

「実際に読む人」からしたらそこまで情報は要らんし、「読まない人」からしたらその記事読むだけではどんな作品がわからんというか。そんな感じになりがち。

帯に短したすきに長し。

というかそもそも、自分の記事に興味持ってもらおうとか、まず楽しんでもらうという発想があんまりないし工夫もしてない。



本当はね、自分だってそりゃこうやって懲りずにマンガの話してるんだから、

自分の感想とか自分が紹介したマンガ作品で楽しんでほしいって気持ちはあるんですよそりゃ。

だからこそ、そういうことできてる人にめちゃくちゃリスペクトの意識持ってるわけで。




どーしたらいいのかなあってのは昔から全然わからんです。



昔はとりあえず書き続けてたら勝手にブログの評価あがってGoogleさんから検索で来る人も結構いたので

なんとなく数をたくさん書くってやり方で今まで来てしまったけど



2年前に完全に仕組みが変わって、だらだらと文字数だけ多い記事を量産してるだけの私みたいなスタイルは

完全に切り捨てられたんですよ。「スパム」と同じくらい評価が低い扱いになった。

月3~4万あったアドセンスの収入は、いまじゃ月3000円とか4000円です。

小遣いどころかマンガ買う金を賄うことすらできまへん。

さすがに屈辱だったけれど、それが今の「需要」というのだから、これに合わせないといけない。




でもさ。



どーしたらいいのかほんとにわかんないんだよー。



もういい年だしマンガとかアニメなんかやめろというかネット自体やめろって感じなのかなあ。



今のブログってもはやどうしたらいいのかわからん状態で、惰性で続けてるだけになってるよね。



「やめるやめる詐欺」ってよく言われるけど、こっちとしては本当にいつ終わってもおかしくないなって思ってるよ。
今って惰性以外に続けてる理由がないの。ただネット上で死にたくないから続けてるだけなの。

この先このブログを続けていてもどこかに道が続いてる感じがしない。

なんとなくだけど、ほんとに1年か2年くらいブログ休んでその時間を何かの分野の勉強に充ててそのあと戻ってきた方が絶対にいいってのもわかってる。

単純にそうういう踏ん切りがついてないだけ。代わりになるものが何もないのです。終わってるのです。



あれれ?


マーケティングの話しようとしてたはずなのになんでこんな「少年のアビス」みたいな絶望的な話になってしまったんだ。

少年が主人公だから需要があるのに「おっさんのア〇ス」には需要なさ過ぎだし、むしろ「不快なお気持ち」を誘発して表現規制されてしまう……くわばらくわばら。

これ以上考えるとやばそうだから今日はBEATSABERしてお風呂入ってゆっくり寝よう……。