偽りのない正直な気持ちとして
私はAV女優が着た服と同じ服を着たくないし
AV女優が食べたものと同じものを食べたくないし
AV女優が利用した施設には足を踏み入れたくないし
AV女優と同じ空気を吸いたくないだけど三上悠亜は
そういう私達のような気持ちを踏みにじるかのように
先回りして私達の着たかった服を着て、食べたかったものを食べて、行きたかった場所へ行く
私達がそれで苦しむのを楽しんでいるかのように
この問題、一番スマートな解決方法って三上悠亜がこの世から消えていなくなる事なんだと思う
車にでも轢かれてしまえばいいのに
なるべく強く
これ黒死牟だろ・・・
おそらくこの増田は釣りで、上弦の鬼筆頭をイメージして書いた文章なんだろうと思う。
でも、三上悠亜を一生懸命叩いているの中にはガチで鬼滅の刃の黒死牟になり果ててしまった人が結構いるんじゃないだろうか。
こうなってしまったら終わりなんだよね。
「あなたが「着たかった服」は、彼女が着たから価値がなくなるのでしょうか」
”If you don’t take control of your life, someone or something else will” (ジャック・ウェルチ)
拝読いたしました。
あなたの、魂の叫びのような、偽りのない、正直な気持ちを綴った文章。
その一行一行から、あなたの心がどれほど深く、そして強く揺さぶられているのかが、痛いほどに伝わってまいりました。
その言葉の激しさ、切実さの裏側にある、あなたの心の有り様について、少しだけお話をさせていただけないでしょうか。
これは、あなたを断罪したり、批判したりするためのお話ではありません。
ただ、あなたのその深く、重い苦しみが、少しでも軽くなる日が来ることを心から願い、あなたの心の奥底にある本当の感情を、一緒に、丁寧に、紐解いていきたいのです。
まず、あなたが綴られた「嫌悪感」について考えてみたいと思います。
「AV女優が着た服を着たくない」「同じものを食べたくない」「同じ空気を吸いたくない」。
これは、非常に強い拒絶の感情です。
一般的に、私たちは生理的に受け付けないものや、衛生的に問題があると感じるものに対して、このような感覚を抱きます。
あるいは、倫理的に、道徳的に、到底受け入れられないと考える対象に対しても、同様の感情を抱くことがあります。
あなたは、ご自身のこの感情を、三上悠亜さんという一人の女性、そして彼女がかつて携わった「AV女優」という職業への、正当な「嫌悪感」なのだと捉えていらっしゃるのかもしれません。
しかし、私は、あなたのその感情の正体は、純粋な「嫌悪」や「見下し」とは、少し違うのではないかと感じています。
もし、本当にただ見下しているだけであれば、人はそこまで強く心を乱されることはありません。
道端の石ころを見て、いちいち「この石と同じ空気を吸いたくない」と心をかき乱される人がいないように、心の底から「自分より下の存在だ」と確信している相手に対して、人は良くも悪くも「無関心」になるものです。
その存在が何をしようと、どこへ行こうと、自分の世界とは無関係なこととして、気にも留めないでしょう。
しかし、あなたは違う。
あなたは、三上悠亜さんの一挙手一投足から目が離せないでいる。
彼女が「先回りして」、あなたの欲しかったものを手に入れていく、と表現されていますね。
その言葉は、まるで彼女があなたの心を正確に読み取り、意地悪くあなたの望みを奪っていくかのように聞こえます。
それは、あなたが常に彼女の存在を意識し、彼女が手にするものと、ご自身が望むものとを、無意識のうちに重ね合わせて見ているからではないでしょうか。
ここに、あなたの苦しみの、本当の源があるように思えてなりません。
あなたの心の中にあるのは、彼女を見下す気持ち、つまり「優越感」ではなく、その正反対の感情。
誰よりも、何よりも強い「劣等感」なのではないでしょうか。
あなたにとって、三上悠亜さんという存在は、単なる「AV女優」ではない。
それは、あなたが心の奥底で焦がれ、手に入れたいと願いながらも、自分にはないと感じている「何か」を、すべて持っている象徴的な存在なのではないでしょうか。

それは、多くの人が羨むような美しい容姿かもしれません。
あるいは、自分の力で富を築き、経済的に自立している強さかもしれません。
自由に、華やかに、世界中を飛び回るライフスタイルかもしれません。
多くの人々から注目され、称賛される、その輝きそのものかもしれません。
あなたが「私達の着たかった服」「食べたかったもの」「行きたかった場所」と書いたそれらは、一つ一つのアイテムや場所というよりも
むしろ、それらを手に入れることができる「彼女の人生」そのものを象徴しているのではないでしょうか。

あなたは、彼女の中に、ご自身の「理想の姿」や「ありたかった自分」の姿を見ている。
しかし、その輝きが強ければ強いほど、光に照らし出された自分自身の影が、より一層濃く、惨めに思えてしまう。
その残酷なコントラストに、心が引き裂かれるような痛みを感じている。
その痛みに耐えきれず、あなたは「嫉妬」という、最も原始的で、強力な感情に心を支配されてしまっているのです。
「嫉妬」とは、本来、自分と相手との間に、何かしらの共通点や、越えられるかもしれないという可能性を感じるからこそ生まれる感情です。
全く手の届かない、例えば歴史上の偉人や、異次元の存在に、人は本気で嫉妬したりはしません。

あなたは、三上悠亜さんに対して、どこかで「同じ女性として」、自分もそうであったかもしれない、そうあるべきだったかもしれない、という意識があるからこそ、これほどまでに苦しんでいるのではないでしょうか。
そして、この「劣等感」と「嫉妬」という、あまりにも痛々しく、プライドが傷つく感情を、自分自身で認めることは、大変な苦痛を伴います。
「私は、あの人が羨ましくて、妬ましくて、たまらないのです」と認めることは、自分の敗北を認めることのように感じられるからです。

だから、あなたの心は、無意識のうちに、自分自身を守るための「防衛機制」を働かせます。
その痛ましい本心を見なくて済むように、もっともらしい「理由」を作り出すのです。
それが、「彼女がAV女優だから」という、あなたにとっての「大義名分」なのではないでしょうか。
「私は、彼女が綺麗だから、成功しているから嫉妬しているのではない。そうではなく、彼女が倫理的に問題のある『AV女優』だから、軽蔑しているのだ」と。
そう考えることができれば、あなたの心は一時的に平穏を取り戻せます。
自分の抱く黒い感情は、個人的な嫉妬心などというみっともないものではなく、「社会的な正義感」や「道徳心」に基づいた、正当なものであると信じ込むことができる。
そうやって、あなたは、かろうじて心のバランスを保っている。
彼女を「叩かれるべき存在」に仕立て上げなければ、憧れと嫉妬の対象である彼女と、そうではない自分とを比較する苦しみから、逃れることができない。
あなたは、本当は、とても心が繊細で、傷つきやすい、弱い心を持った方なのではないでしょうか。
「私達がそれで苦しむのを楽しんでいるかのように」という一文は、特にあなたの心の状態を象徴しているように感じます。


あなたは、彼女があなたを個人的に意識し、あなたを苦しめるために行動しているとまで感じてしまっている。
しかし、悲しいかな、おそらく彼女は、あなたの存在を知りません。
彼女はただ、彼女自身の人生を、彼女の価値観に従って、懸命に生きているだけなのです。
あなたが感じているその「悪意」は、彼女が放っているものではなく、あなたの心の中にある「嫉妬」という感情が、彼女の姿に投影されて見えている、「幻」なのです。
そして、あなたは、その苦しみから逃れるための、最も安易で、究極的な解決方法として、「三上悠亜がこの世から消えていなくなる事」を望んでしまっている。


お気持ちは、痛いほどわかります。
目の前の苦しみの原因だと信じているものがなくなれば、この苦しみも消えるはずだ、と。
そう考えてしまうのは、人間として、ある意味で自然な思考の流れなのかもしれません。
しかし、残念ながら、それは根本的な解決にはなりません。
仮に、万が一、あなたの望む通りに、彼女の存在がこの世から消えたとしましょう。
あなたは、その瞬間、一瞬だけ、安堵するかもしれません。
目の上のたんこぶがなくなったような、解放感を味わうかもしれません。

ですが、その心の平穏は、長くは続かないでしょう。
なぜなら、あなたの苦しみの本当の原因は、「三上悠亜」という一人の個人ではないからです。
本当の原因は、あなたの心の中にある、「自分には価値がない」という感覚、「他人と自分を比較しては落ち込む」という思考の癖、そして「自分にないものを嘆き、他人の幸福を妬む」という心の在り方そのものにあるからです。

三上悠亜さんがいなくなっても、あなたの心は、必ずや、次の「三上悠亜」を見つけ出します。
あなたより少しだけ美しく見える同僚、幸せそうな家庭を築いている友人、SNSで輝いて見える見ず知らずの誰か。
あなたの「劣等感」と「嫉妬」の心は、次なるターゲットを見つけ、再び同じ苦しみを、あなたに味わわせるのです。
それは、まるで底の抜けた桶で、水を汲み続けようとするような、終わりのない、不毛な行為です。

外側の世界から、あなたの心を乱すものを一つ一つ取り除こうとしても、あなたの心がそのままである限り、あなたの苦しみは決してなくなりません。
あなたが本当に心の平穏を得るために、消し去らなければならないのは、三上悠亜さんという一人の人間ではありません。
消し去らなければならないのは、あなたを内側から蝕んでいく、「嫉妬」と「劣等感」という名の、あなた自身の心の影なのです。
あなたが望む現実は、残念ながら、あなたの思う通りにはならないでしょう。

世界は、あなた一人の苦しみを和らげるために、その姿を変えてはくれません。
三上悠亜さんは、明日もきっと、彼女の人生を生き続けるでしょう。
しかし、一つだけ、確かなことがあります。あなたは、あなた自身の考え方を変える力を持っている、ということです。
他人と自分を比べることを、少しだけやめてみませんか。
SNSで他人のきらびやかな生活を覗き見る時間を、少しだけ、ご自身の好きなことに使う時間に変えてみませんか。
あなたが「着たかった服」は、彼女が着たから価値がなくなるのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。あなたがそれを素敵だと感じ、それを着てみたいと心から思うのなら、その気持ちを大切にしてください。
あなたが「食べたかったもの」は、彼女が食べたから汚れてしまうのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。あなたがそれを美味しそうだと感じ、味わってみたいと思うのなら、その好奇心を大切にしてください。
誰かが手にしたからといって、そのものの価値が損なわれるわけではないのです。
あなたが本当に大切にすべきなのは、他人の評価や行動ではなく、あなた自身の心の中に芽生える「好き」や「やってみたい」という、ささやかで、尊い感情です。
あなたの人生の主役は、あなた自身です。
三上悠亜さんではありません。
あなたの物語の脚本を、他人の存在に振り回される形で書いてしまうのは、あまりにもったいないことです。
あなたの考え方が変わらない限り、あなたの幸せは、永遠に他人の手に握られたままになってしまいます。
他人が成功すればあなたは不幸になり、他人が失敗すればあなたは少しだけ幸せになる。
そんな、不安定で、誰かに依存した幸せは、本当の幸せとは呼べません。

あなたの幸せは、あなた自身の心の中にしか、見つけることはできないのです。
あなたの書いた文章を読んで、私はあなたに対して、怒りも、軽蔑も感じませんでした。
ただ、ひたすらに、胸が締め付けられるような、深い哀れみと、切なさを感じています。
毎日、誰かの存在に心をかき乱され、憎しみと嫉妬の炎で、ご自身の心を焼き焦がし続ける。
それは、どれほど辛く、苦しく、孤独なことでしょう。誰かの不幸を願わなければ、自分の心の平穏が保てない。そんな人生は、あまりにも悲しい。
本当にかわいそうなのは、あなたが憎んでいる彼女ではなく、憎むことによってしか自分を保てない、あなた自身のその心の状態なのです。
どうか、気づいてください。あなたの苦しみの本当の正体に。そして、他人を呪うそのエネルギーを、ほんの少しでも、ご自身を慈しむために使ってあげてください。
あなたは、誰かと比べなくとも、そのままで、十分に価値のある人間です。
あなたの心が、いつか、憎しみという重い鎖から解き放たれ、誰かの存在に左右されない、穏やかで、あたたかい光を取り戻す日が来ることを、心の底から願っています。
あなたの人生が、あなただけのものであることを、どうか忘れないでください。
もっとも黒死牟は、弟さえいなければ幸せになれたかもしれないけどね・・・。
黒死牟ですらこの地獄から逃れられなかったのだから
三上さんに対して「AV女優は下のものであってほしい」などという薄っぺらい理屈でマウント取っているような人たちが
何かを残せるとは、私にはどうしても思えないのですよね・・・
