ひとつ前の記事に関連して「ミステリという勿れ」3巻の内容も紹介しておきます。なお、2巻では「モラハラ夫」が出てくる話もあります。
作品知らない人のために簡単に作品を紹介しておくと。
世によくある名探偵のようにいろんな事件に巻き込まれる体質の整くん。巻き込まれた事件を解決したりもするんだけれど、それより、「事件に出てくる登場人物の会話にいちいちおしゃべりな整くんが持論をぶつけていく」というそのおしゃべり部分がメインという、ちょっと奇妙な作品です。
東野圭吾作品にあったメタフィクションなどのように探偵ものにメタをかます作品なんかはよくあるんですが、この作品はそういうところを狙ってるわけじゃなくて、本当にただただ整くんが、事件に関係ないことでもいちいち人の会話に首を突っ込んでいくという感じです。
これって一歩間違えると「クロエの流儀」みたいになっちゃうんですが、本作品の場合、整くんの言いっぱなしで終わったり「さすおに」みたいになるんじゃなくて、登場人物たちもちゃんと言い返したり聞き流したりといろんなリアクションがあってバランスはとれています。
そもそも整くんは自分の考えが正論だと思ってるわけでもないし、むしろ自分が偏見まみれの人間であることはよく自覚しているところがいいですね。さらに途中からガロくんという人物が出てきて相対化されるので、あんまり押しつけがましくなくて、考えるネタとしては面白いのでおススメです。
3巻の「天然パーマ殺人事件」中での会話
よその家の父親が、自分の娘に対して
「お前ももう仕事を辞めたんだから。家にいて、子育てや簡単な家事だけしていいのは楽だろう?
旦那さんに楽させてもらってるんだから。それに胡坐を書いちゃだめだぞ。ちゃんとサポートしてな、娘とのんびりいられるのは幸せだろ?それが女の幸せのはずだよ」
という光景を目にした整くん。
いつもの調子で食ってかかります。
「子育てをする母親たちの毎日」を父親に思い知らせる心理実験※
前にネットでちらっと見た記事で。だから詳細は分からないんですが。
父親たちを集めて、ある実験をしたんだそうです。
簡単な計算問題か何かのペーパーを渡して、一時間以内に解けと。そんなの簡単じゃん、とやり始めたところに。
数分おきに電話を掛けたり話しかけたり、主催者が邪魔をするんだそうです。父親たちはだんだんイライラしてくる。
結局誰も、時間内に全問を解くことができずに父親たちは怒りだした。
「こんなに邪魔されたら何もできない」
そこで主催者が言ったそうです。
「これが、子育てをする母親たちの毎日なんです」
達成感を味わえないその苦しみ。父親たちは黙ったそうです。
面白い実験だなぁと僕は思ったんですが
僕は常々思っているんですが。
もし家にいて、家事と子育てをすることが本当に簡単で楽なことだったら、
もっと男性がやりたがると思う。でも実際はそうじゃない。ということは。
「男性にとってしたくない、できないこと」なんです。
なのに、なんで女性にとって楽なことだと思うんだろう。
これはなんというか、昨日読んだ「コンビニの仕事すら」って記事に通じるものを感じますね。
エッセイ:コンビニバイトすらでまともにできず、やらかし続けた失敗談集|にゃるら|note
いやいや実際コンビニのバイトめっちゃ大変やろがいと。あれができるのはすごいことなんやで。もっと評価したれよって思いますよね。
さて、娘に説教してると思ってたらいきなり見知らぬ若者に説教されてポルナレフ状態の父親。
ここで娘さんは、父親に食って掛かる整くんを一度制止して場所を移動します。
ただ、整くんはまだしゃべり足りない様子。後半戦に突入します。
なぜ世の父親は、母親の仕事を楽なものだということにしておきたがるのか?
「何よ今の、面白いけど」
「すみません、出しゃばって。なんだか腹が立って。
なんですけど付け加えると。
「女の幸せ」とかにも騙されちゃだめです。
それを言い出したのは、たぶんおじさんだと思うから。
女の人から出た言葉じゃあきっとない。
だから真に受けちゃだめです。
女性をある型にはめるために編み出された呪文です。
(問題は、彼らが本当にそれが女性にとって幸せだと思い込んでること)だって「男の幸せ」って言い方はあまりされないでしょ。
片方だけあるのはやはりおかしいんですよ。
ただのおじさんの意見や感想が、自然の摂理や事実みたいに言われてしまっているんです」
「確かに、女は愛嬌とか女の武器は涙とか、女の友情はもろいとか、腹は借り物なんてのも。
どれもこれも男性の感想か願望でしかないもんね。」自分の中から出た言葉を使ってください。
その方が、幸ちゃんは絶対にうれしい。子供は絶対に、うれしいです」
とまぁこんな感じで。この作品は、多分に西尾維新チック(特に戯言シリーズ)なところがあって。一度世間の常識を解体して、再構築しましょうって感じの論理だてが結構多く出てきます。
その上で、西尾維新ほどドライではなく(いーちゃんも実はドライじゃないけど)、主人公の整くんは見ての通りすごいウェットな感じで感情たっぷりこもってるので好きな人はかなり楽しめると思う。その分「親と子供」「男と女」みたいな対立軸で考えてることが多いので「ちょっと主語でかすぎない?」って思うことも結構ありますけどね。
しかしなー。前半は「いい話だな」ってのはわかるんですが。後半はちょっとうーんってなりますね。
今って割と女の人が自分で「自分が思う女の幸せ」以外を否定してまわってるのとかよく見かけますけどね。んで、その傾向は昔からあって、男は女のことが全然わからないから、女の話をうのみにして「これが女性の幸せなんだ」って素直に考えたりしてるところもないわけじゃないと思うんです。
もちろん、どっちがどっちみたいな話はどうでもよくて、「だからこそ世間の言葉なんて気にせず自分の中から出てきた言葉を使おう」って結論は本当にその通りだと思うんですけどね。
※ちなみに、心理実験ですが、なんかちょっと胡散臭いんですよね……。ほんとにこんな実験あったの?
この心理実験ってソースが検索しても見つからなかったんですが! これ作品中だけの創作なのか本当にやった事件なのかどっちなん?
もしこの心理実験についての情報ご存じの方いたら教えてください―> <
関連記事:
女性が「怒る」ことになぜ社会は不寛容なのか、その歴史的経緯(小野寺 拓也) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
「男女の感情史」という研究はすごく面白い。
18世紀以降になってから、怒りとは男性的な特質であり、女性のようなおのれのために力強く行動する能力に欠けたか弱い生き物には、怒りのような活発な感情は(一部の「気高い精神を持つ女性」を除けば)不可能だと考えられていた
怒りは女性には不適切な感情とされるようになっていった。とくに、18世紀以降のジェンダー秩序では男性が能動的な性、女性が受動的な性とされたため、怒りのような活発な感情と女性の受動性は相容れないものとされた。こうして女性が「怒り」を表現することが社会規範と相容れなくなった結果、女性に残されたやり方は、「泣く」という行為であった。
(中略)
女性に政治的な権利を認めることは、自然が定める天分と社会秩序を否定することと同じであり、健全で立派な女性はそうした激しい戦いに参加せず、夫や父親、兄弟に任せるべきであるとされた。
(中略)
「感情表現のルール」は、時代を追うごとに徐々に変化してきている。社会が変化し、人びとがその規範に異議を申し立てることで、感情規範もまた変化する。
これかなり暗い過去の話だけど、逆に言うと希望でもあるよね。
男が弱さを表明してもいいし、女が理性的に怒ってもいい。お互いに自分の中から出てくる言葉を自然に使えるようになるといいなと思う。