の続き。前の記事をA面として、この記事はB面と表記します。
「普通の人でいいのに!」という作品について、A面では「ワナビ―の失意話」「自己評価を他者に依存しすぎるのは危険だよという話」としてまとめました。
B面では田中さん(33歳。物語開始時点では独身)が仕事・彼氏・趣味という三つの柱についてどれも1つだけで満足できるようなことはないものの、それらをうまくやりくりして自分の人生を成り立たせようとした結果「たまたま」うまくいかなかった姿をややコミカルに描いているブラックなコメディ作品、という側面について感想をまとめたいと思います。
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- 作者:いけだたかし
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客観的に彼女の行動を重視すれば、田中さんは「善良」な人間であるというお話
読みました。
この記事の解釈、とても優しいなと思います。私の記事に相当反発をお感じになられたかと思いますが、さりとて私の受け取り方を否定されるのではなく、「私はこう読んだ」という風に伝えてくださっているのもとてもありがたいなと思います。
私はdeztecさんの記事の解釈は正しいと思います。私の記事については作品のすべてについて語ったものではなく「ある側面」を切り取ったものであると考えており、deztecさんは「別の側面」を見ているという風に受け取っております。
そして、私の記事とdeztecさんとどちらが好きと言われれば私はdeztecさんの記事の方が好きです。
終盤の展開を除き、彼女は他人から責められるようなことはしていない。内面で愚痴っているだけ
田中さんは、いろいろなことに少しずつ傷付くけれど、ちゃんと自分を大切にしている。自分なんかどうでもいい存在だとはみなさない。生活を整え、身だしなみを整え、言動を整える。まさに自己愛を持った人物のふるまいではないか。立派な、自立した人ではないか。
同時に、独善的にはならず、他者の立場・気持ち・判断を理解しよう、尊重しようとし続ける。なかなかできることではない。それでも、ある瞬間には感情に敗れ、愚かなことをしたりもする。それだけの動揺をした理由は、作中に描かれている。相手にとっては理不尽だとしても、田中さんにとっては、理由があった。
こうしたとき、自分の心を守るために、客観的にはそうでないとしても、相手が悪い、誰それが悪い、「ということにしたくなる」ものではないか。しかし田中さんは、心がワーッとなっているさなかであっても、即座に「自分が悪いことをした」と理解し、その認識から逃げない。
正直、これ以上を望む人の感覚が、私にはよくわからない。これだけ善良な人が、実際どれだけいるというのか。聖人君子しか認めない、好きになれない、かのような人が多くて困惑する。
おっしゃる通りだと思います。
「客観的に他の人から見た時には、田中さんはきちんとした生活を送っている立派な人間」なのです。特に必然性も説明もなく作中に「村上春樹」の名前が出てきていますがこれは意図的なものでしょう。まさしく村上春樹的な「日常」が十分に機能しています。
だから、作品についた反応でも、私の記事の感想でも「羨ましいところがないどころか、私は彼女がうらやましい」「自分探しをする余裕を持てる時点で恵まれている」などの感想があります。
彼氏との関係においてもおっしゃる通りかと思います。
映画館の場面にせよ、彼氏の解説図にせよ、別にバカにしてもいなければ、見下してもいない。相性も、悪くない。
周囲に彼氏を紹介した場面も、「見せつけようと」したのではなく、単に「話の流れで、別に隠すことでもないから、自然に紹介した」という解釈が成り立つ描写だ。
他人に羨まれるような彼氏ではない、しかし恥ずかしくなんかない、真面目で温厚な、好感を持てる人物で、だからてらいなく周囲に紹介できる。そう読み取ることに、不自然さがあるだろうか。
ラジオパーソナリティ周辺のコミュニティに顔を出したときに出た「じゃあ交換する?」という言葉に、ひがみや、嫉妬心はあったろう。が、それは、彼氏について、ずっと我慢に我慢を重ねてきたとか、不満に堪えかねていたという話だと考えなくても、成り立つことではないか。
「恥ずかしくなくなんかない、好感がもてる人物である」「てらいなく紹介できる」には同意しません。作品中でこれは明確に否定されていると思っています。ですが大枠としては同意します。
田中さんは自分と彼はちょうどいいくらいの関係であることを理性では理解している。
だから「あのタイミング」での頭ポンポンがなければ田中さんが持ち前の自制心を発揮して案外長続きしていた可能性はありますね。
こちらもおっしゃる通りだと思います。
田中さんは、冒頭からずっと、自分をよく観察している。見えているものから、目を背けずに生きている。自分を偽らず、そのまま周囲に見せてきた。
よそ行きの自分、日常の自分に多少の差があるのは、当たり前。時々だからできることと、毎日できることは違う。田中さんは、よそ行きの時でも、無理も分不相応なこともしない。自分にできること、自分がやりたいことをしている。理想的に自らを律している。
「自分をよく観察している」には同意しますが「目をそらさずに生きている。自分を偽らずに」には同意しません。彼女の多弁は目をそらすために行われていると理解しています。
一方で、確かに彼女は自分を強く律してきたとは思います。きわめて「メタ的な」「再帰的な視点」を自分の中に持っていると思います。
何が問題だったかというと彼女は「自分の市場価値も、彼と自分がお似合いであることもすべて頭ではわかっていながら」全然納得することができていなかったこと
そのうえで、じゃあなんで私はああいう記事を書いたか。ここからが私とdeztecさんの評価が分かれるところですね。
deztecさんは田中さんが他人から見たら善良で理想的な「普通の」ふるまいをしていることを評価し、それで十分偉いじゃないかとおっしゃっています。
私も「田中さんがそれで納得している」という風に感じられたならそれでよかったと思います。「普通」の人生を送ることができて、それに満足できるのであればそれはとても幸せな人生だと思うからです。
でも、あくまで私の解釈ですが、田中さん本人は全くそれに納得も満足もしてなかったと思うんですよね。
彼女はおっしゃる通り社会的に見て極めて「善良」で「普通」な生き方をしている。そして、人生なんてそういうもんでしょっていうのもわかっている。
でも、そのことが腹落ちしているわけではない。
まあ、腹落ちしている人なんてそんなにいないと思いますけどね。
彼女自身が腹落ちしてなくても彼女自身は頑張ってるんだし客観的にはしっかりと生きているのだから評価してあげようよというのはとても優しいとは思いますし、そう読んだほうが気持ち良いと思います。それはわかった上で、私はそちらの読み方を採用しませんでした。
田中さんは、あまりにも理想的に自分を律しすぎてしまった結果再帰性に苦しめられているのではないか?
俺この手の人のことを『学校卒業しても通知表があると思ってるタイプ』と呼んでいて学校の枠から外れたくてサブカル趣味に走っているのに、自他の評価基準が通知表のように普段の行いから上から落ちてくるものだと思ってるから自分の核がない。それ故に教科書的に振舞っちゃうhttps://t.co/fJE7dE7GQL
— 〇〇怪獣 バスコドン (@vasco_1970) July 29, 2020
私はどちらかというとこの視点ですね。善良であり、何もしなければ他人からは否定されることがない立場だからこそ、納得できないなら自分で壊すしかないんじゃね?という考えです。
常に監視と警告を必要とし再帰性が高まると、結果として若者は再帰性に苦しめられ、どの場所にいれば安全か、どの行動をすれば安心かを考えコクーニング(さなぎのように閉じたものに)する。
再帰性の高まりと社会の変化から、若者の心理モデルがトラウマ化、スティグマ化していくというものである。
①トラウマとは、過去の失敗や環境に問題の原因をおき、そのせいで現在の自分は理想とはかけ離れた状態になってしまった、という心理状態を指す。
②スティグマ化とは、ここではもともとの社会からの汚名やレッテルという意味合いとは違い、自分の内面に「その行動をすると他者から異常とみなされてしまう」というモデルを内面化してしまう
彼女は「これが善良で普通である」ということを強く認識しすぎているがゆえにその縛りが非常に強いと感じます。だから
①ちょっとした失敗ですぐに心が折れる(トラウマ化)し、最後のシーンで
②あえて普通から逸脱しようとした時に身近な他人を他人の真似をしようとする。(スティグマ化)
何が言いたいかというと、私は「田中さんは内面ではいろいろ渦巻いている感情を理性的に律しすぎて苦しんでいたんじゃないかな」と受け取ったということです。つまり、deztecさんが良いこととして語っていたこと(そして私も客観的に見たらよいと思っていること)について、私はあえて「田中さんにとっては」悪いことだったという風に受け取ることにしたんです。
よしきさんの感想記事への率直な気持ちは、「大袈裟だな」と。漫画とか映画とか、あるいは現実のニュースでもそうなんだけど、感情を大きく動かしてる人(の一部)って、こんな感じなのかな……とも。単に書き方の問題に過ぎず、実際に考えていることは違うのかもしれないが、いろんなことを悪い方向に決め付き過ぎじゃないか、ということも気になる。
なので、このご指摘はおっしゃる通りですね。
私は、上に述べたような前提を置きつつも、これは「悪いことである」と決め打ちしています。おそらく作者様もそうだと思います。
客観的にとか社会的にという視点ではなく「田中さんにとって」良いこととは何なのか?
自分自身の感想としては「ふーん。まぁこういう人いるよね。しんどいよね」って感じでした。
田中さんは頭の中でいろいろ考えていますが、最後の頭ポンポン以降のシーンを除いては徹底的に自分を律しています。 内面では考えすぎるくらい考えているけれど、それをほとんど表に出しません。 このことはdeztecさんがおっしゃる通り悪でもなんでもありません。めちゃくちゃ善良なふるまいだと思います。
現実ではTwitterで芸能人のあれこれについて理不尽なクソデカ感情をギャースカわめき散らす狂人にいいね!が万単位でついたりしますし、テラスハウスにおいて誹謗中傷で人を殺すような言説で気持ちよくなったり儲けたりしているクソみたいな輩がたくさんいるのと比べたら、彼女がどれだけ自分を律しようと努力しているのかよくわかります。彼女は偽りであっても賢人としてふるまおうと努力している。
www.tyoshiki.com
でもその結果として、実際に、この作品を読んだとき「読みにくい」「何が言いたいのかわからない」という感想が多くみられました。deztecさんのように優しい目線で評価してくれる人がいれば別に良かったんですが、ほとんどの人の評価は「こいつ面倒くさい」「わかりにくい」どまりなんですよ。暇つぶしにマンガ読んでる人は、田中さんがいろいろ考えてて、それを律するのに大量のエネルギー費やして、頑張って淡々と問題を起こさないように日常を送っている、なんてことは評価しないのです。その結果、全体として「わかりにくい」上に、最後のセックスのシーンで冷めてるところとか、彼氏への暴力シーンとかウラジオストクの間抜けなシーンみたいに断片的にわかりやすいところを拾って彼女を否定する人も結構いました。
そういう評価のされ方に対して、一石を投げてみたいなと思って書いたのが前の記事ですね。「悪いって決めつけすぎ」というのはおっしゃる通りなのでそこは不愉快に感じられたのであればご了承ください。*1
ちょっと話が逸れたのでまとめます。私は「客観的に良いか悪いか」でいうと田中さんは善であると言うことは十分了解しつつ、内面をちゃんと吐き出すようにすることが「田中さんにとっての」善であり、いろんな人との衝突を避けて自分の中で抑え込んでしまうことは「田中さんにとっては」悪であると考えました。
これに対してdeztecさんは逆の考えだと理解しています。
結末の感情の爆発も、田中さんがマジメだから心乱れるだけの話で、本来、どうということはない。夢を見るのは、人の精神の自由というものだ。田中さんの苦しみは、虚飾の報いなどではなく、自分自身への潔癖さが原因であって、「今後は心に鎧を着ることを自分に許したらいい」と私は思う。
「田中さんは十分現実と向き合っているし、むしろそこまで現実と向き合わなくてもいいじゃないか」ってことですよね。
これは別にどちらが正しくてどちらが間違いという話ではないと思います。
どちらの考え方もありかなと思いますがいかがでしょうか。
田中さんと彼氏の関係について
「普通の人でいいのに!」 あがけばあがくほど少しずつ沈んでいく自意識のアリ地獄を描いた作品 - 頭の上にミカンをのせるウラジオストクもライブも彼氏を誘ってるし、誰かといると落ち着くと彼をみて考えているコマもある。彼が知り合いに魅力的に映らないことは承知の上で紹介してる。単にステータスのために付き合ったと言い切れるかな
2020/08/01 14:54
こちらもおっしゃる通りかと思います。
付き合い始めたきっかけこそはステータスや妥協のためだったかもしれない。でも、その後田中さんは彼に期待を持って良い関係を築こうと努力していた思わせる描写はたくさんあります。
恋愛結婚と比べたら妥協っといわれるかもしれませんがその後の夫婦の努力で幸せになってるカップルなんて山ほどいますしね。出会った時は普通であっても、いろいろシェアしあっていい関係になることを期待するのは全然おかしくない。
でも、少なくとも作者さんは、彼女のそういう努力や気持ちは全く報われてなかったと描写していますね。(「誰もうらやましいと思わない女」を描きたいのだからそりゃそうだ) この辺りの描かれていないことに私は結構作者様の「悪意」を感じますね
田中さんと経理の仕事について
繰り返しますが「普通の人でいいのに!」は、田中さんが仕事・彼氏・趣味という三つの柱についてどれも1つだけで満足できるようなことはないけれどうまくやりくりして自分の人生を成り立たせようとしたけれど、どれもうまくいかなかった、という姿をコミカルに描いているブラックなコメディ作品です。
このうち、三本柱のうちの1つであるはずの仕事についての描写は非常にあっさりしています。
当たり前だけれど経理の仕事ってめっちゃ大変だし大事な、まさに縁の下の力持ち的なお仕事です。経理の人と一緒に仕事をしている人であればだいたいそれはわかるはずです。本人だって、今の仕事に全く誇りがないというわけではなかったはずです。(たぶん人間関係とかそういうところに不満があったんじゃないかなって感じですね)
でもこの作品では、最初からここが支えになりえないかのように描いている。
経理が客観的に見てしっかりした仕事であっても「田中さんには」それは支えになりえない。
他のことでは必ず心の中で毒づいているのに、宮森から失礼な態度をとられても心の中ですら毒づくことがない。
むしろ「経理っぽく見られた」自分に対して自虐してしまったりする。
そのくらい「経理」であること、あるいは表現者に対してコンプレックスを抱いているように描写されている。
こういう姿を見せられてしまうと、いくら「客観的に見て善良で、経理という仕事もしっかりしていて」って言われても田中さんがそれを喜ぶとはとても思えない。
彼女は中高生時代に何かしら表現の道を目指して挫折した経験があるか、或いは真逆で「スキノウラガワ」という作品のように、大人になってから「一切全く経験したことがない」のか、それはなにも描かれてないから推測するしかないけれど、どちらにしてもまさに他人から見たら尊敬されるような「善良な人間であること」「自己を律することができること」それ自体を嫌悪していると私は感じます。
このあたりも結構作者の「悪意」を感じますね。
このあたりの「悪意」は作品の面白いところだと思うので、そこを否定しちゃうのはもったいないかなって思いました。
「人生なんてこんなもんだよ」って言われるとそうかもしれないけれどあまりそこを落としどころにしたくない
蛇足の話になりますが。
私自身、別に自分の人生に満足してるわけじゃないのに田中さんの人生にあーだーこーだいう資格あるのかといわれたらまぁないですね。客観的に見たら私より田中さんの方がはるかに上等な人間ってことになるのかもしれないです。
ただ、客観的に善良な振る舞いができても主観的に不満を抱えてそれを爆発させてしまう姿を肯定するのはあんまりにもあんまりだと思ってしまう。「これが普通だ」「人生こんなもんだよ」「これでも十分上等だよ」って評価しちゃうのは自分が納得できないです。
「そういうこともある」ならともかくそこを落としどころにはしたくないなって感じですね。
なお、前の記事でも書きましたが、「客観的に見て善良で幸福である」がゆえに他者からは自分のつらさが絶対に理解されない不幸というものがありこの作品で描かれている不幸というのはそういう性質のものだと考えています。私はその感覚を「カルバニア物語」で知り、その後「夏目漱石」に学びました。
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田中さんも幸せになってほしいし、私も幸せになりたい……。
追記 この感想が私の感想よりはるかに優れていると思うのでこちらを読んでほしい
そう、アレックスと違って普通に生きられるのに自ら勝手にジョーカーと同じ心境に落ち込んでるという印象である。
そして、私も大げさではあるが、作中における田中さん自身が大げさなのだ。
あまりにも主人公に対し救いがない物語に思えるが、この物語の肝の一つは「あなた(主人公)の人生は思ってるほどキラキラ(サブカル界)でなければ最悪(日常)でもない」というところにあると思う。
彼女はまだ自分がドラマッチックな人間だと思っているからか「サード・プレイスどころか友達も彼氏もなくした」だのうそぶいているが、描写を見返すと彼氏には理不尽とはいえ一回キレただけだし友達もドン引きはしてるもののあくまで困惑と言った風である。要するに本人が思ってるほどドラマチックなものではない、単に恋人や友人がなんか唐突にキレだした、なんだあれ?って程度なのである。両者ともそんなに心の狭い人間にも見えないし、要は「きちんと謝れば割と許してくれる」ように見える。
ぶっちゃけこの話は33歳になって「わたしがモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」をやっている話なのだよね。高校生のもこっちがやってると「笑える」のだが33歳の人間がやってるから笑えない、というそれだけのことである。
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ちなみに、この作品の作品で描かれている感覚をきちんと「エンタメ」に昇華しつつ、かつもっとえげつない結末も描いてる「MUSICUS!」っていうノベルゲームあるから、この作品の田中さんに本当に共感したと言える人はこのゲームやってください。
*1:もっとぶっちゃけると青二才さんがツイッターであらぶってるのを見て「落ち着け。もうちょっとちゃんと読め」くらいのつもりで書き始めたら思った以上に筆が乗ってしまったという感じです