追記。
岡田総帥がなくなったまさにその年に、岡田総帥の思い入れの強い馬2頭の結晶であるユーバーレーベンがオークスを勝利しました。しかもこのユーバーレーベン、ウマ娘で一番人気のゴールドシップの娘でもあります。
ユーバーレーベンを所有するサラブレッドクラブ・ラフィアンも、この馬が生まれたビッグレッドファームも、今年3月に世を去ったマイネル軍団の総帥・岡田繁幸氏が設立した。そして、父のゴールドシップも、母の父のロージズインメイも、岡田氏が導入した種牡馬である。岡田氏の夢と思いがサラブレッドになったのがユーバーレーベンなのだ。
今まで過去に起きたドラマはいろんな人がまとめてくれていてなるほどなーって思いながら見てきましたがリアルタイムで劇的なドラマを目にしたのはこれが初めてかもしれません……
やっぱり岡田総帥がいないの
— ツジイマコト(suzuriの馬グッズ宜しくです) (@makoto_tsujii) May 23, 2021
悲しいなって思って…
ユーバーレーベン
意味は生き残る
その思いは生きて繋がって
残ってゆく
大丈夫、見にきてるよ!#岡田総帥#ユーバーレーベン#オークス#ゴールドシップ pic.twitter.com/O8maOyPeEE
岡田繁幸さんが亡くなられたということでだいぶ話題になっていました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b5ef272ee91589cf45306b077a0d04c9beea9811
牧場の長男として生まれた岡田繁幸氏は、米英で修行後の1974年(昭49)に独立。ビッグレッドファームを開設し、86年4月にクラブ法人ラフィアン・ターフマンクラブを立ち上げた。同年5月、自分名義のグランパズドリーム(父カブラヤオー)がダービーで2着し、早々と頂点に迫った。
87年にクラブの1期生がデビューすると、88年にはマイネルフリッセ(父リードワンダー)、マイネルグラウベン(父コインドシルバー)、マイネルムート(父ファインポート)が次々に重賞を勝利。いずれの父も主流血統ではなく、一躍競馬界の革命児として名を上げた。
(中略)
ずっと「ダービーを勝ちたい」と公言してはばからなかった。グランパズドリームとダイナガリバーとの半馬身差が、ずっと重くのしかかった。昨年までグループの38頭をダービーに送り込んだが、夢は果たせていなかった。
私はただのニワカなので岡田さんの偉大さはほとんどわからないのですが、twitterでは多くの人が尊敬と哀悼の意を表明されていてとても印象的でした。
https://t.co/yXuig82TUb https://t.co/Q0RZ4xzRrk
— Bokufu_In_Toya(岩崎義久) (@bokufuintoya) March 19, 2021
私がメジロ牧場晩年にマネージャーになった2011年。メジロ牧場の外厩が最大のウィークポイントとわかり、オープン前の鉾田の一部を使わせてくれないか、というダメ元お願いを快諾してくれた繁幸さん。その頃からその温かい人間性に惚れていました。
松岡騎手「馬にかける情熱や知識は会うたびに勉強になった」 岡田繁幸氏が19日に自宅で死去(スポーツ報知)https://t.co/QBrGf8RAQI
— 通りすがり (@a_passer_by) March 19, 2021
「最初に出会った日に『僕は馬を見る目に自信があるから、僕の馬に乗ってくれませんか?』って、
岡田総帥はスーパークリークのエピソードで初めて知った
岡田さんは、スーパークリークの配合を考案した人物であり、幼少の頃からスーパークリークの秘められた素質を最も評価するひとりでもあった。
愛馬を回避させることで、スーパークリークの出走を大きく促した岡田さん。しかし、いくらマイネル軍団の総帥という立場があっても、そう簡単に実行できることではなかったはずだ。マイネルフリッセにとってもG1制覇の可能性があったことはもちろん、中村均調教師を始めとした陣営にとっては、まさに寝耳に水だったのだから。
それもサラブレッドクラブ・ラフィアンは、あくまで会員制馬主クラブ。言い換えればマイネルフリッセの本来の馬主は、当馬に出資した会員であるということだ。岡田さんも「(G1には)強い馬が出るべき」と揺るぎない信念の下に、クラブの会報を通じマイネルフリッセの出資者らを説得。総帥自らが頭を下げることで、事態を収拾しマイネルフリッセの回避を実行。そして、そのあまりにも潔い決断がスーパークリークの菊花賞制覇、武豊騎手のG1初制覇という偉業を実現させた。
さらに生々しい話はこちらに。
ameblo.jp
スーパークリークはどのレースでも飄々と走る馬だった。内面の苦しさを決して表に出さない。この時も痛みを我慢して走って勝った。その無理がたたった。痛がった右とは反対の左前肢を骨折。かばった反対側を故障するのはよくあるケースだ。「この馬でダービーに行こう」と決めた武豊の、「よし、これでダービーに間に合う」と確信した伊藤の夢は一瞬に打ち砕かれる。
ショックを受けた武豊に追い打ちをかける事件が起きた。その頃、関西のスーパースターを迎える関東のファンの目は、どことなくよそよそしかった。敏感な男が感じないはずはない。やはり、関東の騎手もそっけなかった。ジョッキールームが居づらく感じた。そんな雰囲気が手綱の感覚を微妙に狂わせたのか。関東初のクラシック騎乗となった皐月賞のマイネルフリッセで失格。武豊は痛恨の騎乗停止を食らった。デビュー以来初めて味わう苦い体験だった。
前年に、マイネル軍団の馬に騎乗してやらかしてたんですよね。
続く京都新聞杯5着までに入れば本番の優先出走権利が取れる。それは容易なはずだった。だが、予想もしない落とし穴が待ち受けていた。直線に向いて前が壁になる。外に持ち出して追い込みにかかった時、ガクエンツービートの坂井千明が振るった左ステッキが、何発もスーパークリークの顔面を直撃した。どんなに我慢強い馬だってひるむ。再度態勢を立て直したが時すでに遅く6着。今なら考えられないことだが、審議の青ランプすらつかずレースは確定してしまった。
スーパークリークも不運続きだった。
これを救ったのが岡田さんだった。
スーパークリークはステイヤーとしての資質を注目し続けていた馬だ。ましてダービーの1~3着馬が故障でリタイヤしている。それぐらい勝つチャンスがある馬が出られないのは理不尽だと考えた。皐月賞でマイネルフリッセに騎乗した武豊が失格、騎乗停止になった経緯があり、半分は馬に責任があったという後ろめたさも感じていた。
前年にオグリキャップがたぐいまれなる実力を持ちながらクラシックに出走する権利すら与えられなかったことも少し意識の中にあったのかもしれない。
ただ、単なる美談で終わる話ではなくて、ものすごいケンカになったし、この後調教師とは数年間絶縁状態になったと言われている
岡田は中村に電話を入れた。条件や未勝利のレースならいざ知らず、クラシックの出走権を持っている馬を引っ込めてほしいという要請は前代未聞。それも当然だ。もちろん中村は烈火のごとく怒った。スタッフは勝ち負けは別として菊花賞に出走できることに誇りに思っている。使わないというなら、もっと早い段階で話を持ってくるのが常識ではないか、と言い返した。管理者として当然の言い分だった。それでも岡田は説得を諦めない。無理だ、悟った中村はガシャンと受話器を置いた。
翌朝、目を赤くした中村がマスコミに向かって吠えた。「馬主のこんな横暴がまかり通っていいのか!この事実をファンに伝えてくれ!」。普段は温厚な人間のもの凄い剣幕に、誰もがあっけに取られた。言わないことには腹の虫が収まらなかったのだろう。
引用元の記事では、当時の報道をかなり強めに批判している。(※この記事の著者はただの競馬好きのおっさんではないのでかなり詳細である。)
幸いにして、二人の関係は数年後に復活しているようですが、お互いにスーパークリークのことは認めていたみたいですね。
一度は断絶した岡田と中村の関係は、マイネルマックスで復活した。競馬は一面、離散集合の繰り返しで成り立っている摩詞不思議な社会である。中村はのちに、「マイネルフリッセに入着するぐらいの可能性があったら、絶対に引き下がらなかった」と語っている。
実際に、88年菊花賞のスーパークリークは圧倒的な勝利を収めている。直近ではケガ続きで3位以内すらなかったスーパークリークがここまででやれると見抜いていたのだとしたら本当にすごい。
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スーパークリークの存在が武豊を覚醒させたという話はすごく有名な話らしい
菊花賞制覇が武豊の第一黄金期の幕開けとなったのである。なにより、彼の意識を変革させたことが大きかった。
「それまではGIに乗れるというだけで嬉しかった。でも、菊花賞を境にGIを勝つというのはこういうことだったのだ、と思った。出られればいいというのじゃ進歩がない。どうすれば勝てるのかを考えて乗らなければ、と思うようになったんです。スーパークリークに出会わなかったら、そういう意識を持つまでにもっと時間がかかったでしょうね」
「騎手は常に新しい馬との出会いがあるから、思い出ばかりに浸ってはいられない。でも、スーパークリークだけは全然違う思い入れがありました」。単純な強さの比較なら、武豊はその後、もっと強い馬に乗っているだろう。しかし、初恋が人の運命を変えるように、スーパークリークとの出会いが武豊の運命を変えた。初恋の記憶は、死が迎えにくるまで脳裡から離れることはない。
個人的には1989年の秋天皇賞がスーパークリークのベストレースだと思ってる。。ステイヤータイプでありながら2000mという中距離で圧倒的な強さを持っていたオグリキャップた競り勝ったこのレースは「シンデレラグレイ」でどう表現されるのか今から楽しみ。
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アニメでは主人公キャラクターたちが武豊騎乗の馬なのだけれどシンデレラグレイではオグリキャップのライバルが武豊騎乗なのがまた面白いなー。
https://www.tyoshiki.com/entry/2021/02/20/143830www.tyoshiki.com
というわけで、サポートだけでなくぜひ育成の方でスーパークリーク使ってあげてください
上記の理由(サラブレッドクラブ・ラフィアンは、あくまで会員制馬主クラブ。言い換えればマイネルフリッセの本来の馬主は、当馬に出資した会員である)から、マイネル軍団は一切ウマ娘には出てきていないし、スーパークリークのストーリーでも特に登場しない。
だが、上記のエピソードを知っているとストーリーがとても楽しめるとは思う。
アプリの中では「小さなほころび」という半年以上デバフが続くイベントでかなり苦しめられるのだが、その後逆に「大輪の輝き」というイベントが起きると逆にバフがかかる。
これは故障や不運が積もり積もって菊花賞には出走権そのものが得られなかった現実のスーパークリーク陣営の苦しみを表現しており、その窮地を岡田繁幸さんによって救われ、その後覚醒した武豊とともに見事に史上初の春夏天皇賞制覇を達成するという「大輪の輝き」に至るというスーパークリークの競走馬時代を見事に表現したシナリオであると思う。
(正確にいえば、菊花賞あとにももう一度骨折して春シーズン全休というトウカイテイオーみたいな苦しみを味わってますが)
現在ステイヤータイプのウマ娘が勝利するためには「サポートカードとしてのスーパークリーク」が必須とされている。
スーパークリークはステイヤータイプでありながら「サポートカードとしてのスーパークリーク」が使えず、さらに上記のように非常にいやらしいイベントがあり、
さらに史実再現のため、秋天に勝つことが求められるとゲームとしてとてもいやらしい。
そのため、スーパークリークの育成を敬遠している人はすごく多いと思う。
ぜひ頑張ってこのウマ娘でURAクリアまで育成してみてほしい。攻略方法はAQMさんの記事を参考に。
aqm.hatenablog.jp