6月中はまもなく本を出す(と本人が言っている)Mさんの話題を集中的に行うことでMさんの本の宣伝とさせていただこうと思います。
Mさんといえば「不快なことがあったらすねてエアリプで野次を飛ばす」という行為がお家芸のようになっています。
今回もやってましたね。
「拗ねる」「いじける」といった表現を行って相手がなだめてくれるのは子どものときだけです
彼のエアリプは、ほうっておくと徐々にエスカレートしていきます。
調子に乗りすぎて怒られるとしゅんとなってしばらく大人しくなります。
しかし、またほとぼりが冷めたらそれを繰り返す、というのを何度もやっています。
これについてあくまで私の感覚では彼の内面はこういうことが繰り返されているのではないかと思っています。
1:ちゃんと自分の怒りの感情と向き合わないから心のモヤモヤがいつまで経っても消化不良で残ってしまう
2:そして消化不良のモヤモヤを何度も自分で取り出して眺めるたびにイライラしてしまう。
3:さらに彼はADHDなのでイライラした時に衝動を抑えきれなくて、未加工のまま発言してしまう。
4:一度吐き出したらその時は気持ちがいいからまたやりたくなってしまう
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10920885
大事なのはこの「いつまで経ってもモヤモヤを解消できない」というところです。
なぜかというと、彼は今まで怒りについて「やり過ごす」「見て見ぬふりをする」という対処法しか学んでこなかったから
根本的に怒りと向き合って解消するということができないっぽいんですよね。
こどもの「いじけ」「拗ねる」は、不快感情に向き合うやり方をしらないことで起きているらしいから「距離を取って放置する」のが本人のためでもある
いじけている子どもが今感じているのは、不快感情です。恐怖、寂しさ、疑い、苛立ち、悔しさなど、さまざまなネガティブ感情を体験しています。現代の日本人は「不快な感情はよくないもの」と考えてしまいがちですが、どんな感情も必要なもので、湧いてくるものを止めることはできません。子どもがいじけてしまったら「今、この子は不快感情を味わっているのだな」と、静かに見守ってみてください。何が気に障ったのかを考えるよりも、どんな感情になっているのかのほうが重要です。感情は、ピークを迎えれば自然におさまっていくものですので、おさまるまでは静かに、変わらぬ姿勢でその場にいてください。イライラするのであれば、距離を取ってお互いにクールダウンしましょう。
子供が拗ねたりいじけたりすると、親がすぐに察してかまってあげる、ということをやっている家庭は多いと思います。
しかし、実際は子どものいじけや拗ねるは「不快な感情と向き合っている過程」「本人がその不快な感情をどう対処するかを一生懸命模索している過程」です。
ここで親が子どもの望み通りの反応をしてしまうと子供は味をしめてしまう。
子供は自分で不快な感情と対処する能力を育てることができないどころか「わがまま」とか「構ってチャン」という怪物になってしまいます。
この問題についてはすでに決定版があるので親の人はとりあえずこれだけは絶対読んでおきましょう
www.tyoshiki.com
今見たらなぜかkindle版が絶版になってしまっているのでこっちで買うしか無いっぽい。めちゃくちゃいい本なのにナンデ・・・
親がかまってくれるからと言って「いじけ」や「拗ねる」行為を、他人を自分の思い通りに動かすための手段にしてしまっている人は、根本的に考え方を改めないと「厄介者」になってしまいます
実際、拗ねたりいじけたりすることで構ってもらえると思って
いじけや拗ねるを「いちいち他人に見せる」のが癖になってしまうとどうなるか。
news.yahoo.co.jp
educ.titech.ac.jp
自己評価が低いと、自尊心がなくなっていきます。脳の計測をすると、自尊心がある人とない人では、脳の海馬のサイズが異なることがわかっています。海馬は記憶を司る部位で、人間の心理状態の影響を受けてそのサイズが変化しやすい、という特徴があります。自己評価が低く、自尊心がなくなると、なんと海馬は小さくなってしまうのです。すると将来、認知症になるリスクが上がります。
脳に直接ダメージが入ります。
その結果「どうせ私なんて・・・」とか待ってもらおうとしていじけ癖をつけると最初は構ってもらうための謙遜とか戦略だったのに本当に駄目な人間になってしまうようです。
本当にだめな人間が「どうせ私なんて・・・」と言ってもただの事実なので誰も相手にしたくありません。
以上のことから、他人に対して「どうせ私なんて・・・」とかいうのが口癖になっている人は今すぐやめたほうが良いです
ツイッターでフェミニズムやってる人にまともな思考ができないアホな人が多いのも、女性というものを過剰に弱者として扱いすぎて脳に深刻なダメージを追ってしまった結果かもしれません。
過ぎた被害者意識や杉田自己卑下は、そのくらい脳に深刻なダメージを与えてしまうということですね。
同様に最近はやりの「弱者男性」ってラベリングありますよね。あれも、ネタでいうのは良いけど本気で自分を弱者男性だと思いこむのはやめたほうが良いと思ってます。
Mさんは、客観的に見て「弱者男性」といって差し支えないと思いますが、つい最近までは自分がむしろすごいやつだと思っている様子でした。
なので、この点は心配していなかったんですが最近は普通に自分を「弱者男性」の立場において下から目線で語ることが増えてしまいました。
こうなると、ただでさえいろいろ残念な思考回路をしているのにますます脳にダメージを受けてしまうのではないかと心配になっています。
私は自己評価は低いので褒められるのは苦手ですが、それでも自己効力感までは捨ててないので「どうせ私なんて」は本当にどうしようもないこと以外ではあまり言いたくないなと思っています。
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ、困難は平穏への道として受け入れさせてください。