お笑いというのはバカにはわからないものだ。
その一方でお笑いはより精緻化している。M1なんか「ながら見」では何一つ面白さがわからない。
「やす子は正しいから好き」という解像度で世界が見えている野蛮人に、千万言かけても何かを伝えられる気がしない。
昔から、こういう連中が嫌いだった。
こういう連中というのは「お笑いを分析している(出来ているとは言っていない)というだけでなんだか自分が上等な人間になったと勘違いしてる人間」のことだ。
別にお笑い芸人は嫌いじゃない。(ナインティナインやダウンタウンは嫌い)
お笑い芸人がただ好きな人も嫌いじゃない。
ただ、関西には昔からこの手の「お笑いを評論してるオレ賢い」みたいな態度をとる馬鹿がいて私はそういう連中のことが心底嫌いだった。
何より救いようがないのは、本人はすごく面白い話をしているつもりなのだろうが、この手の奴らの話が面白かったことは1%くらいしかなかったということだ。
99%の人間は、「お笑いという面白い話を題材にしているのに場の空気を冷えさせるやつら」ばかりだった。
面白いと思っているのは自分だけなのに、そのことに気付けないくらいに鈍感で、にも関わらず自分は他の人より優れていると勘違いしている救いのない連中だった。
ちなみに私はお笑い語りをしている人すべてを否定しているわけじゃない。
上でも書いた通り、99%のお笑い好きのお笑い語りはゴミだと思っているが1%はすごい人もいる。
人との出会いがやたら少ない私の人生の中でも「お笑い好きなのに面白い話ができる人」は一人いた。
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