※毒親の問題は人によって全然考え方が違うと思います、ここで書いているのは自分の考えです。なお、意見が違うのは当たり前なので他人の考えを否定する意図はありません。
自分にとっては、20%%大学を卒業して自分で生計を立てられるようになった後は毒親というのは自分の問題だ。自分自身で解決しようと思わない限り一生解決しないという認識だ。
親が変わることが期待できない以上自分が変わるしかない問題だ。自分が変わろうと思わない人は一生毒親に依存・執着する人生を送ることになる。
毒親をもった人は、その親に対しては被害者であるが、被害者意識を違う人に向けたり、自分が嫌な人間であることのいいわけにする場合はただの加害者だ。どういう事情であれ、他人にとってはただの嫌な人である。
私はそういう人間が嫌いだし、自分はそうはなりたくないと思う。傷の慰め合いが必要なときは絶対にあるがそれはちゃんと相手を選ぶべきだと思う。興味がない人に対して共感をゴリ押しする人間は毒親だろうがポリコレだろうが全部ただのゴミにすぎないという原則を大事にしたい。
他人は自分のことにそれほど興味がない。
自分を棚に上げていうと、毒親に執着しまくっていたり毒親の話をする人って、他人からは心の底からうんざりする存在なのだなって思う
最近親しく付き合っている人がいるのだが、この人と話をするとことあるごとに「毒親の元で育って認知が歪んでしまった」という話になる。
会話ですれ違いが発生した時に、よくよく話を聞いてみると高い確率で毒親の話になる
それだけならいいのだけれど、その人はだいたい「毒親」を理由にして自分の問題点を全く改善しようとしない。
私が一方的に問題点だと思っているわけではなく、本人も自分のいろんな振る舞いについてそれが問題だというところまでは認識できる。
しかし、「それは毒親由来の認知の歪みである」という納得をしてしまうとなぜかそこで止まってしまうのだ。
なぜか、「毒親由来でおかしいのだ」と結論付けるとすごく安心してしまうのだ。
「毒親由来の認知の歪み」をアイデンティティとしているのかどうかわからないが、この理解までくると自分を変えようとしなくなる。
こういうことがしょっちゅうある。
これが、思った以上にうんざりする。
目の前にいる私よりその毒親との関係の方が大事なのかなって思うととても残念な気持ちになる。
「毒親」という概念をそういう風に使う人ほかにもいるのかもしれないが、これってどう考えても毒親に「依存」しすぎてるんじゃないかと私は思う。
緊急回避的には良いと思うよ。この本みたいに、自分で自分を否定しまくるくらいなら、誰かのせいにして自己肯定感を維持した方がいいとは思う。
- 作者:山田 玲司
- 発売日: 2015/10/30
- メディア: Kindle版
見下すことからはじめよう ~「中2」でなければ生き残れない~ (ワニの本)
- 作者:山田玲司
- 発売日: 2016/07/01
- メディア: Kindle版
でも、ずっとそればっかりだとさすがに「自分から毒親の奴隷になりに行ってるじゃん」って思う。私こういう態度にはめちゃくちゃ抵抗があります。
「毒親」の問題は、心や魂の問題というよりは脳の損傷の問題と考えた方が良いのかもしれない
毒親についてはアリス・ミラーの「魂の殺人」やトリイ・ヘイデンの「シーラという子」などの話が有名だ。
そこでは愛情の不足とか魂に傷がついたみたいな「情緒的な概念」として説明されるのだが、私はこれがあまり好きではない。
そういう風に考えると、奇跡のように優しい人との出会いがなければ回復しないからだ。自分ではどうしようもないということになってしまうからだ。
本当にそうなら、出会いに恵まれない毒親経験者には希望もなにもないし、みんな死ぬしかないじゃない。
と思っていたら、こういう本があった。
- 作者:信子, 中野
- 発売日: 2020/03/27
- メディア: 新書
中野信子さんは賛否両論あると思うし全面的に肯定するというわけではないが私は彼女が語っている内容は割と好きだ。
実は、成熟してから後の脳でも、大きなストレスがかかると海馬が萎縮したりするなど、脳は物理的に傷を負います。成長をしている途中の段階ではなおさら、その影響は大きくなってしまいます。子ども時代に虐待などによる大きなストレスがかかり続けると、あたかも交通事故に遭って脳を損傷したかのような傷ができてしまうほどだと表現する人もいます
毒親によって傷つけられてしまうのは、目に見えない絆だけではなかったのです。実際に、脳も傷ついてしまっていることが、現在では明らかになってきたのです。そして、できてしまった脳の傷は、学習意欲の低下やうつ病等の原因になることがあります。脳内で傷を受けてしまう場所としてわかっている具体的な領域は、幾つかありますが、そのうちでも線条体(せんじょうたい)と呼ばれる脳の領域に与える影響は重要なものです。この部分の働きが弱くなると、やる気や意欲など、前向きな気持ちがなくなっていってしまいます。
私たちは、何か行動を起こすとき、線条体の働きに大きく頼っています。この部分が活性化することで、その行動に対する報酬が脳内で得られるわけです。その働きが弱くなってしまうということは、何をしても喜びや快楽を感じられなくなり、やる気や意欲をもつことができなくなってしまうということです。例えば、様々なことに無気力になる、他人に対して無関心になる、相手を信じられず疑り深くなる、イライラしやすくなるなど、心当たりはないでしょうか。また、他人との安定した関係が築けなくなるということも起こってきます。
場合によっては多動になる、友だちとのトラブルが増えてケンカが絶えなくなるなど、コミュニケーションに問題が起こることもあります。
親がケンカしているのは6ヵ月未満の乳児でもわかるという説もあります。赤ちゃんの 24時間蓄尿検査を実施すれば、親の夫婦ゲンカの程度を推定できるというのです。もちろん言語を理解することはできませんから、その内容までは赤ちゃんにはわからないでしょう。しかし、なにかがおかしいことには気づくということです。
また、感情的に不安定な家庭で育てられている赤ちゃんは、新たな刺激に対 して好奇心をあらわにするような積極的な反応を示さなくなったり、自分自身の気持ちを落ち着けられなくなったり、ストレスを感じたあとに立ちなおるのが苦手になったりします。これは、感情をコントロールすることが苦手になるために起こる症状です。
さらに、ストレスホルモンは骨の形成も妨げます。子どもが4歳の時点で、そのストレスホルモンの量は、感情的に安定した家庭で育てられた子どもの2倍近くに達する場合もある
(中略)
研究によれば、子どもの目の前で夫婦ゲンカをすることそのものよりも、夫婦が仲直りをするシーンを見せないでいることのほうが、子どもに大きいダメージを与えることがわかりました
内容が正しいかどうかはともかくとして姿勢が好ましい。情緒面を強調しすぎないで本人の中で何が起こっているのかを客観寄りで解説してくれる話が読みたかった。
毒親問題の解決で「愛情が大事」みたいな話ならエロゲと少女漫画で間に合ってるのでそういうのは要らないのだ。
自分がその気になれば変えられるという希望はちゃんと残されている、というのが大事
毒親という種類の親がいるわけではないんですよ。この本では、「子どもの成長にとって『毒』となるふるまいをする親」としていますが、それは親子の関係性を子どもの側からどう捉えるかによって決まってきます。幼い子どもは世界を全部知っているわけではないので、たとえば「なぜ自分を大事に扱ってくれないのか」という不満が生じたとき、それを身近な対象である親に投影し、すべてを親のせいと認知してしまいやすい。そのように、子ども側の受け止め方によって毒親かどうかが決まってくる
https://www.vogue.co.jp/lifestyle/article/toxic-parent-nobuko-nakano-interview
親をやっつけることを目的とするのではなく、自分をどれだけ大事にできるか。いい人との関係を少しずつ築いていままでできなかったコミュニケーションができるように自分を育てていけるといいですね。大人になったら、自分を育てるのは自分なのです
「毒親」という言葉に引きずられて、いま現在の自分の心の重さや生きづらさを、親をバッシングすることで解消しようとするような心の動きを、読者に誘導してしまうのではないかという危惧がありました。また、親を責めることが一時の頓服薬として効いてしまって、向き合うべき本質的な課題を回避してしまう、という行動を後押ししてしまうのではないか、と悩みました。そうして心の傷を放置したままでは、逆にいつまでも毒親育ちであることから抜け出すことが難しくなってしまう
毒親育ちである自分を解放できるのは、親ではなく、自分自身であるということを私は言いたいのです。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71534?page=2
私はこの概念を支持する。
正しいかどうかは知らない。そう思わないとあまりにもしんどいからだ。
毒親に負けて一生終わるのってめちゃくちゃ悔しいじゃん。
私の親も毒親に分類できる要素は多分にあると思うし、今でも認知の歪みはたくさんあると思う。
でも、私は大人になってもいまだにすべて自分の問題点をすべて毒親のせいにしてる人でいるのは嫌だ。
それって自分に主体性がないのを認めるような気がするからだ。
ひどいのになると「間違いなく自分の意志でひどい暴言や行動をとるのに、批判されたらなんでも毒親のせいにして自分は悪くないという思考回路になっている人」や「毒親の話を持ち出せば相手は黙るという計算を感じる人」がいるけれど私はそういう人間をものすごく嫌悪しています。
その人たちはその人たちで苦労しているんだろうなとは、少なくとも私はその人たちと同じになりたくない。「毒親を持った子供たち」同士の傷を慰めあう互助グループはクローズドな場所でやってほしいと思う。「毒親」という概念をところかまわず振りかざす人間は、もう被害者じゃなくて加害者だと思っています。「アンドリュー・フォーク准将」並みに害だとはっきりと認識します。 特にツイッターのプロフィールに「毒親」っていうワードがある人はその時点で無条件でブロックします。
冒頭で述べた人にも、できれば何でも毒親のせいにしてそこで立ち止まってしまうというところからなんとか進んでほしいなとは思う。
とはいえ、どうしたらいいのかはよくわからない。
1年くらいは頑張って付き合ってみようとは思うけれどそれでほんとうにどうしてもこの人にとって「毒親が自分にとってナンバーワンなのだ」ということが変わらないのであれば、すっぱりあきらめようと思う。
自分の毒親(との関係による認知の歪み)ですら精一杯なので、他人の毒親までは背負いきれないし、たぶん毒親をなんとかできるのは自分だけなのだと思う。
人が人を助けることはできない。人はひとりで勝手に助かるだけさ