頭の上にミカンをのせる(&1年かけて整体する)

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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今日は私にとって1年に1度の誕生日です(小泉進次郎構文)

というわけでついに40歳になってしまいました。



いきなりネガティブな話から始めますが、いよいよ己の人生の有限性を嫌でも意識せざるを得ない状況です。だいたいこのくらいの年になると年を取ることについてネガティブな感情を抱きがちなものです。特に私は独身なのでこの後どう生きていけばいいんだろうって途方に暮れる要素が強いです。



一方で、40まで生き延びられたことだけでそれなりに満足感はあります。30歳のころにまじめに信じてた発達障碍者35歳限界説とそこから生じていた「あと5年くらいしたら死ぬかもしれない」という漠然とした不安と投げやりな気持ちは特に根拠ないものだったんだなということがわかったので漠然とした何かに対してざまあみろっていいたい気持でもあります。



30代の自分を思い返すと、特に前半はいまよりずっと情緒不安定でした。とにかく自分が何もなさず無言で消えていくのが嫌で、でもできることが何もなくて、とりあえずどんなことでも自分の意見を述べておきたいっていう気持ちが強かった。能力もなく社会不適合者でも何かを考えて思うところがあったんだというのを残しておきたかった。


自閉ぎみゆえに一度インプットしてしまった情報を何度も自分の中で反芻し自家中毒を起こすことが多かったですが「他の人がなんと言おうが自分はこう思うんだけど」っていうことをとにかく書きなぐる日々でした。


さすがに今は、ブログを書かないと生きていけないみたいな変な衝動はなくなりました。そもそも、ブログはいろんな出会いのきっかけにもなってくれましたがそれによって私の人生に劇的な変化が起きるみたいなサクセスストーリーにはつながりませんでした。私は相変わらずはてなの片隅で時々炎上なんかもしつつダラダラと文章を書き続けてるだけです。数年前にクローズドなSNSでつながってた人は、みんな本業でも頑張って、それからWebで文章を認められてお仕事をもらってたりしてるのであらためてすごい人たちだったんだなと尊敬しつつちょっと嫉妬の念もあります。そういう意味で、私には人の心を動かすような文章を書く才能はぜんぜんなかったなあという気持ち。まぁ動機が動機だからそんなもんだとは思うけど素直に悔しいです。


ブログを書き続けてきた10年近くの時間を振り返ってみると「なぜ俺はこんな無駄な時間を……」という後悔の気持ちと「こうしなければ生きていけなかったんだ。むしろよく頑張った」という納得する気持ちと。相反する二つの気持ちがあったりします。



40代になって、生活面の不安はかなり後退し、生きるだけならまあ何とかなるだろうという状態になりました。

ずっと自分を苦しめていた「会社組織の中でまともに仕事ができないポンコツぶり」「仕事から生じる自己否定感情」は皮肉なことにコロナ禍が解決してくれました。


私はずっと会社で働くというのが嫌で嫌で仕方がなかった。仕事の内容自体は嫌いではないのに、職場で求める働き方ができず、周囲に迷惑をかけてしまう。その結果あいつは不真面目な奴だとレッテルを張られるのがつらかった。他の人と足並みをそろえるだけで疲れ切ってしまう自分が情けなかった


でもコロナ真っ盛りの中、友達や家族とも離れて勇気を出して東京に転職したことが救いになりました。リモート環境で働けるようになったおかげで、ウスノロでポンコツな自分でも時間をかけてもちゃんとやるべきことさえやれば他人に合わせられなくても生きててもよくなった。今までは業務時間中にめまいがしても休むことができず、業務効率が低下した状態で仕事をしてまた叱られる、みたいなこともありました。でもリモートワーク主体になってくれたおかげで集中力が切れたりめまいがするようになったら数分間休んでまた勤務再開する、ということができるようになったのが何よりうれしかった。私はいままでずっと「ちゃんと」働きたかったのにそれができなかったから苦しかった。ようやくそれが楽になった。本当にうれしかったです。
また、生まれて初めて職場でも発達障害をカミングアウトすることもでき、それでも仕事さえちゃんとやってくれれば大丈夫、と受け入れてもらえました。これも初めてのことでした。2つめに転職した会社では、こちらが申告したわけでもないのに会社側から発達障害を疑われ受診をすすめられるという苦痛すらありましたが、その際には仕事にしがみつくため「発達障害ではない」という診断をもらって無理やり否定してました。あの頃と比べるとだいぶ生きやすくなったなと思います。

https://www.tyoshiki.com/entry/2016/03/04/132454

こうして毎日自分で自分を否定したくなるというデバフがなくなっただけで、人生がだいぶ楽になりました。20年近くずっとそういう状態にあったものとして、もし今そういう状態に陥ってる人がいたら、なによりもまず自分を守ってほしいって伝えたいです。




というわけで振り返りはこのくらいにして、これからの自分はどうやって生きていくか。

まず、私としては40歳までいきられた時点でロスタイムみたいな感覚があるので、あとはできる限りそれを引き延ばしつつ、モラトリアムを豊かに過ごしたいなと思います。

配当収入を頼りにして仕事完全にやめられたらいいんですが、まだ完全にやめられるレベルではないです。さっき言った通り今は依然と違って仕事がとにかくつらい、やめたいという状態ではなくなりました。仕事でもらえる給料は高くないですがそれなりに満足しています。日本では会社員の立場がないと不便なこともまだまだ多いですしね。なので以前のようにFIREにあこがれる気持ちはもうないです。株式投資はもう数年間は頑張りたいし、もうちょっと安定した食い扶持をネットから得られるようになりたいと思ってます。同時に「自分は生きていてもいい」とか「この先も生きていける」という自信をちょっとでも積み重ねていきたい。

今後は「他の人と違ってボッチな私は残りの人生でどうやって少しでも人生を楽しんで終えられるか」とか「少子化社会に対して家庭の再生産には貢献できないので、かわりに今まで生きてきた中で得てきたものを使ってちょっとくらい他人の役に立つことはできないか」とかそういうことを考えて生きていきたいなと思います。それによって、自分のことが嫌いな人とか自分が嫌いな人よりも、自分のことを好きって言ってくれる人や自分が好ましい人と付き合うことができるならいいなあと。

というわけで、「良い人との出会いや交流」の可能性がまだ残っていることがこれからの私の希望です。年老いてもVRの世界もあるしまだ人生に希望もっていきたいゾ。