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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「いじめ探偵」 いじめの報道があったとき、はてブ民はよく「なぜいじめを見抜けなかったのか」と無責任にいうが、考え方が根本的に間違っている


いじめ問題はまず、「いじめのわかりやすいサインなど無い」ということを前提に考えないといけない。

例外はあるだろうが、この前提を共有しない限りいじめ対策およびいじめの調査は全て無意味になる。


今のいじめは極めて高度な形で行われている。
30歳以上のおっさんたちが考えてるような単純なものではない。
まして、学校しか知らない教師がぱっと見で気づいて対応できるようなものはほとんど無い。



外部の人間が調査しただけでいじめに気づくことは困難で、まして立証することなどほぼできない。いじめ問題がおきたとき、調査した人間がいじめと断定できるような証拠はなかったという話になると何も考えず無責任に怒る正義マンがいるのだが・・・そういう人は自分が調査担当になったときのことを想像してみると良い。いじめ問題で「こいつはいじめをやってました」って自分の責任で指差しできるか?それっぽい状況証拠は出せても、証拠不十分でいじめが認定されなかったらどうする?そもそも、何をもって「いじめがあった」というつもりだ?



いじめの発見や対策を簡単なものと考えて、専門の教育を受けたわけでもない教師にその対策を任せたりいじめられてる側が家族や学校に対して声を上げることを求めたりすることは、現実をあまりに無視しすぎている。 無責任な外部者の立場ならいくらでも正義ぶって完璧を求める上司みたいな気分になれてさぞ気持ちが良いのだろう。いつも無力感に苛まれているはてブ民にはそういう時くらいしか万能感を得られる瞬間が無いのかもしれないけれど、それだといじめ自殺問題を自分の娯楽のために消費してるだけなので、正義ぶっててもメンタルがいじめっ子と同じだ。こんな悪趣味なことをやるくらいなら、まだスポーツで日本代表を応援してる人のほうがマシだ。いつ見てもいじめ関連記事のはてブ民のコメントは気持ち悪い。



当然、無責任なはてブ民マインドなんかで現場の物事が解決できることなどなにもない。



「いじめなんか一目見ればわかる」「学校はいじめがあることを知って隠蔽している」なんていう勝手な前提で考えている間は、実際にいじめられた人が助かることはない。

もっと単純に「いじめは普通には発見できないし、いじめられてる側は簡単に声を上げることはできない」「学校は、いじめ加害者を特定し罰するなんてスカッとする対策を取ることはできない」ということを前提に考えなければいけない。




というか、兵庫県の件ではあれだけ内部通報者が声を上げにくい現状に理解を示せるくせにどうしてその想像力を100分の1でいいから学校のいじめ問題に適用できないのか。
いつも何となくその場の雰囲気でそれっぽいことを言ってるだけで、自分の頭で考えてなさすぎではないか。
たいして興味がないなら、デリケートな問題のときくらいその無責任な口を閉じるべきではないか。




そんなことはない。本当に興味があるしいじめをなんとかしたと思ってるなら、最低でもこういうことは考えるべきじゃないか。


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