この中で「中川翔子がスイカのアイコンを使っているから無神経」とかいって殴られたのだけはちょっと意味がわからなかった。
どうやら、このスイカの絵文字はパレスチナ連帯の意味ではなく、スイカ大好き連盟への参加意思表明みたいだな。笑
— 如月 (@kisaraginigatsu) 2025年6月13日
バイト先に「かわいい〜」が口癖で、おいしいスイーツとか店とかの話ばっかするオバサンがいたけど、いい歳こいて物知らず過ぎて軽蔑してた…。 https://t.co/zBkFukNjvi
『この方の名前にある🍉は、単にスイカが好きだから付けているらしい』
— ハモン (@amnesiac0511) 2025年6月13日
と先ほど知り、二重に衝撃を受けた。
何度も「無関心が悲劇を産む」という歴史的教訓を見せつけられてきた。様々な過去の事実を想起させられる。
引リツで映画『関心領域』のポスターを貼った投稿があったがほんと言い得て妙。 https://t.co/W2UkthFzEB
この手の正義中毒のガンギマリ連中にとって、
スイカというのはすべてパレスチナへの奉仕を意味するものでなくてはならず、純粋にスイカが好きだからアイコンにする、ということは許されないらしい。
「関心領域」で取り上げられた無関心の罪って、そういうことじゃねえだろ・・・こういう風に関心領域を持ち出すの、もはやあの映画に対するアンチ行為だろ。
むしろお前らがやってるのはナチス側の行為なんだが・・・「国防婦人会」による村八分行為なのだが・・・
スイカのことについて認知を広げてパートナーを広げたいと思うならこの行為は最悪なのだが・・・
どうしてそういうことがわからないんだろ。
- 起源:1967年の第三次中東戦争
- 1993年以降の継続的使用
- 現代での復活とSNSでの使用
- 日本でのスイカシンボルの認知拡大
- これ自体は素晴らしいんだけれど、冒頭のツイートのように、リベラル勢はなぜかこれを「パレスチナの連帯のため」ではなく「気に入らない政治家を殴るため」に使うんだよね・・・
- なぜこの手のポリコレを主張する方々は「知らない人に認知を広めていこう」とするのではなく「知らないやつは罪だからボコボコにしろ」みたいなマウントを取る道具に使ってしまうのか
- とはいえ、攻撃性が高いリベラルは、SNS漬けになったせいでおかしくなった一部のポリコレ中毒になった連中とビジネス正義をやってる連中だけ。集団としてみると、全体で見るとリベラルは保守よりも攻撃性は低いという研究結果が出ています
起源:1967年の第三次中東戦争
news.yahoo.co.jp
ja.wikipedia.org
スイカがパレスチナの象徴として使われるようになったのは、1967年の第三次中東戦争にまで遡ります。この戦争でイスラエルがヨルダン川西岸地区、ガザ地区、東エルサレムを占領した際、イスラエル当局はパレスチナ国旗の使用と掲揚を禁止しました。
パレスチナ国旗は赤、緑、白、黒の汎アラブ色で構成されていますが
イスラエル軍はこれらの色彩の掲示すら禁止し、違反者を逮捕していました。そこでパレスチナ人たちは、同じ色彩を持つスイカを抵抗のシンボルとして使い始めたのです。
スイカがパレスチナのシンボルとして選ばれた理由は、切断面の色がパレスチナ国旗と同じ4色を表現していることです:
赤:スイカの果肉
黒:種子
白:果肉の白い部分
緑:外皮
イスラエル当局は1980年にラマッラーのアートギャラリーを閉鎖し、赤、緑、黒、白の4色を使用する芸術作品も禁圧対象とし、花やスイカの絵も没収していました。
1993年以降の継続的使用
1993年のオスロ合意により、イスラエルはパレスチナ国旗の禁止を解除しましたが、スイカは抵抗運動の中で使用され続けました。
2021年には、イスラエル国籍を持つアラブ人の団体が抗議キャンペーンとして、
テルアビブを走行するタクシー16台に「これはパレスチナの旗ではない」との但し書きとともにスイカの絵をペインティングしました。
現代での復活とSNSでの使用
2023年から2024年にかけて、スイカのシンボルは復活を遂げており、スイカの絵文字(🍉)とともに、様々なソーシャルメディア・プラットフォームでパレスチナへの支持や連帯を示す手段として活用されています。
現在のスイカシンボルの使用は、ソーシャルメディアの検閲を回避する手段としても機能しています。
中東のデジタル権団体は、特にFacebookやInstagramのMetaプラットフォームにおいて、
パレスチナへの支持を示す投稿に対する明らかな偏見があると主張しており、
オンラインユーザーたちは「シャドーバンニング」を軽減するためにスイカの絵文字を取り入れています。
日本でのスイカシンボルの認知拡大
2023年11月の「すいかバトン」運動
日本でスイカがパレスチナのシンボルとして広く認知されるようになったのは、2023年11月頃からです。兵庫県や大阪府の有志が「停戦を求めるすいかバトン」と題し、スイカの絵をSNSに投稿する運動を開始しました。
この運動は、現地に知り合いがいる人たちが「戦いを止めるために誰でも参加できる運動を」と考え、
日本人にもなじみ深いスイカの絵の投稿を呼びかけたものでした。参加者は「peace(平和)」、「cease fire(停戦)」などの言葉とともに、思い思いにスイカを描いて投稿していました。
2024年の大学キャンパスでの拡大
2024年には東京大学をはじめとする日本の大学キャンパスで、パレスチナ連帯運動が活発化し、
その中でスイカのシンボルが使用されました。
東大駒場キャンパスでは4月26日深夜にテントが設置され、「ガザを殺すな」と記された抗議活動が行われました。
アート作品を通じた連帯活動でも、パレスチナの「抵抗」を表すスイカをモチーフにした雑貨が制作され
110人の作家の協力を得て展示されるなど、文化的な広がりも見せています。
これ自体は素晴らしいんだけれど、冒頭のツイートのように、リベラル勢はなぜかこれを「パレスチナの連帯のため」ではなく「気に入らない政治家を殴るため」に使うんだよね・・・
占領によってパレスチナの旗が禁じられたとき、同じ色彩のスイカが用いされるようになった。その後、スイカや同様の色の絵まで取り締まられた。今スイカは、連帯のシンボルとしても用いられている。それを「切り分けて喰らう」がどんな暗喩として伝わるか、分かった上で投稿しているのだろか。 https://t.co/CaZEO0T2MJ
— 安田菜津紀 Dialogue for People (@NatsukiYasuda) 2024年3月4日
①イスラエルが日本外交団にカットスイカ出したことに懸念を表明する私を「こわいこわい」と揶揄
— 香山リカ (@rkayama) 2024年3月5日
②「スイカがパレスチナの象徴」なんて知らないと言い、たくさんの方々が説明
③「勉強できた」と言いながらよく理解してない模様
④固定ポスト見て納得 pic.twitter.com/b8k4OQ9Ieu