頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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私には若者が今回の選挙で石丸さんにハマった理由がよくわかる気がするという話

【宣伝】「風雲児たち」が60%offセール中。オトクなので読め! → https://www.tyoshiki.com/entry/2024/07/11/103614



togetter.com

今の若者にとって投票する政治家を選ぶことは

・好きなアイドルを選んで推すのとおなじような感覚なのか
・成長が期待できる企業を選んで投資するのとおなじような感覚なのか

それは私にはわからない。

しかし前者であれ後者であれ、もしどちらかならば
私は彼ら石丸さんに熱狂して応援した気持ちが他の人よりはよく分かる気がする。

なぜなら私はどっち方面でもハマったことがある馬鹿だからだ。

私は信用してはいけないVTuberのクラウドファンディングにお金を投げてしまったし、信用しては行けない株インフルエンサーに奉仕してしまった

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上の記事では当時自分がDさんという人にハマった経緯について10の理由を挙げているのでぜひ読んでみてください。

株特有の要素を除いて一般論として整理し直したら
おそらく石丸さんを応援している若者の方も「だいたいそんな感じ」っていうんじゃないかなあ。


誰かよかったら、うまいこと一般化してみてください。
 →ためしに私がnoteでやってみた記事がこちら。多分ChatGPTを上手くついこなせる人ならもっと良いアウトプットが出せると思うのでだれかお願い!









現在私が20代前半の若者だったら、間違いなく石丸さんとかひまそらさんを応援していたと思う

なぜなら当時の私は今よりずっと馬鹿で、もっと現状に不満を抱えていて、さらに自分に自信がなかったから。
誰かに依存することで不安を忘れて安心していたかったから。

彼らはそういう私のような人間の弱い人間が救われたいという気持ちに呼応して登場してきただけで
それは善とか悪と言う問題じゃなく、需要と供給の関係なのだと思う。

彼らをいくら批判しようが彼らはオンリーワンの存在ではない。

自分たちがちゃんと勇気を持って自分の考えに責任を持とうとしない限り
条件を満たせばどうせ第二、第三の石丸は出てくる。

石丸叩きをやればこの問題が解決するわけじゃないのだ。


今回の石丸旋風を見て怖いと思った人はぜひ「マザーグール」っていうマンガを読んでほしい。

自分が若者だったとして、周りの人間がみんな石丸さんを応援してる時にそれを拒否することの難しさがわかるし
周りに流されるの拒否して自分で道を選べるような人間になるためには何が必要なのか、がこれでもかと描かれているので!

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ちなみに若者を馬鹿にしてるおっさんおばさんたちも石丸を応援した若者と同じくらい馬鹿であると断言できる。なので若者は心配しなくていい。

若い人は勇気を出して間違えて、それで間違ったと思ったらそれに固執しないで反省して学んでいけば良いと思う

今石丸を応援した若者を馬鹿にしているおっさんおばさんは、きっと自分が馬鹿だったときのことを忘れている。
私は自分が馬鹿であることを常に確認しないとすぐ忘れてしまうから、自分が馬鹿だったなーって思ったことほどちゃんと記録しておきたいと思っている。
だから私はこのテーマについては何度も手を変え品を変え気になったことがあったらその都度記録してきた。

いろんな事例を記録してきて思ったことは
若者もおっさんもよく間違えるのだけれど、そこで「批判されたくない」「間違えたくない」ってなるのが一番やばいということだ。

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邪悪な人たちと精神的に病んでいる普通の人との間の違いは、邪悪な人たちがある特殊なタイプの苦痛から逃れようとするところにある。邪悪な人たちは、一般的な意味での苦痛からの逃避者、つまり怠惰な人間というわけではない。それどころか彼らは、ご立派な体面や世間体を獲得し維持するためには人並み以上に努力し、奮闘する傾向がある。彼らに耐えることのできない特殊な苦痛とはただひとつ、自分自身の良心の苦痛、自分自身の罪の深さや不完全性を認識することの苦痛である

自分の間違いを認めることが嫌だからと言って「悪性のナルシシズム」に囚われたらもう軌道修正は出来ない。
間違いを指摘されるのを恐れて、「批判なき政治を」みたいなことを言い出したりしないようにだけは気をつけよう。



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わたしたちが正しい場所に
花はぜったい咲かない
春になっても。

わたしたちが正しい場所は
踏みかためられ かたい
内庭みたいに。

でも 疑問と愛は
世界を掘りおこす
もぐらのように 鋤のように。
そしてささやき声がきこえる
廃墟となった家が かつてたっていた場所に。 

これはややこしくなるからまた別の記事で書こうと思うけれど
そもそも選挙というのは「正解」を選ぶ場所ではない。
まずそこから理解すれば、批判は恐れることじゃない。
若い人は、そのことをこそ今回の選挙を通して学んでほしいと思う。


以下は私がこのテーマについて過去に書いた記事のまとめです。

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