一九四二年一月、対馬要塞の重砲兵聯隊に補充兵役入隊兵百余名が到着した。陸軍二等兵・東堂太郎もその中の一人。「世界は真剣に生きるに値しない」と思い定める虚無主義者である。厳寒の屯営内で、内務班長・大前田軍曹らによる過酷な“新兵教育”が始まる。そして、超人的な記憶力を駆使した東堂二等兵の壮大な闘いも開始された。―不滅の文学巨篇、登場。
これはマジでおすすめです。
すごいボリュームで読むの大変だし、一ページあたりの文章量も多いけど、未読の人は今まで読んだ漫画では体験したことがないようなすごいもの読めるから、漫画好きの人はぜひ挑戦してみてほしいです。
本当であれば改めて自分が読み直して自分の言葉で感想を語るべきところだしいつもならそうするのですが、とにかくこの作品が非常に割安で入手できる機会はそうそうないと思いますし、
この機会にまずは皆さんに手に取ってもらいたいので取り急ぎほかの人の感想を紹介します。
私は私で買いなおしたので、読み終わったらまた追記で感想書きたいと思います。
軍隊という人間をすりつぶす機構に「論理」で立ち向かおうとした一兵卒と、その一兵卒の視点を通じて描かれる被差別民の姿など、めちゃくちゃ面白いお話です
私よりもレビューを見てもらったほうがいいと思うのですが、この作品本当にすごかった「記憶」があります。
残念ながら記憶がおぼろげになってしまったので改めて読み直すとして、レビュワーの人たちも絶賛していす。
ストーリーは、太平洋戦争も末期の兵営が舞台。徴兵された新兵の主人公が、天皇の軍隊による人格の否定や人間的権利の剥奪に徹底して抵抗する様が描かれています。抵抗の武器は論理。全巻通して軍規や軍法をめぐり非常に精緻な論理の解釈や下士官や将校との論争が描かれています。これは見もの(読みもの?)です。天皇の名による軍規や軍法を逆手に取って兵の権利を論証し主張する。天皇をバックにしちゃうから上官も応ぜざるを得ない。こうして論争の場に引きずり出された軍隊は、決して一枚岩の組織ではなくレンガ積みの巨大な楼閣として正体をあらわにします。ここそこで展開されるレトリックには、ぞくぞくします。
天皇の軍隊への二等兵の抵抗。ここに人間としての抵抗の原点を探ろうとした、著者の思いもまた知るべしです。付け加えて、兵営内のおかしな慣行や、そこで生きる兵隊たちの人物描写、心理描写もなかなか興味深いものです。
主人公が軍隊内で様々なキャラクターと出会い、そのキャラクターそれぞれにいわくや過去があり、それが日本の歴史を総浚えする挿話になっていて、日本史を小説で再現したかの如き作品。その挿話が日本の共産主義、部落差別、軍事史、男尊女卑の歴史、貧富の格差等、あまり他の国に知られたくない日本史の恥部を描いていて、故に世界で日本の歴史を知る為に読んでもらいたい内容になっていて、これだけの情報量、情緒量を一作の纏めた著者の筆力に感銘を受けました。これはもう、日本の文学史どころか、世界の文学史に残る偉業だと思いました。
書名の「神聖喜劇」とはダンテの「神曲」の正確なタイトルだそうで、「神曲」が地獄巡りの小説だったと記憶しますが、この小説はさしずめ日本の地獄巡りの小説と言えそうな作品だと思います。正に神聖なる喜劇というか。特に、部落の問題は日本で一番デリケートな問題で、ほんの少し語弊を招く、或いは誤解を招く表現があると圧力団体から凄いクレームが来るという、あまり触れたくない、或いは相当に神経を使う問題の為に、多くの人が避けて通る問題なので、ここまで突っ込んだ内容の小説のネタにした著者の勇気に恐れ入りました。実際に色々な方面からクレームや批判もあったかと思いますが、そういう事も覚悟の上でここまで踏み込んだ見識と尽力に脱帽です。
物語の緊張感、軍隊生活のディティール、厖大な引用、偏執狂かとも思える描写の細かさ、試される様々な文章様式・・・稀有で濃密な読書体験を約束してくれます。
「キャラクター」なんてことばで表現できない人間の多義性、測りがたさが見事に造形されていて、特に大前田班長は比類なく魅力的。日本での社会、組織の本質として、その規則や論理が純粋化、先鋭化したものとして軍隊が描かれている。ある意味で現代のサラリーマンにとってもきわめて面白い読み物になっている。再読にたえ、他人へ是非よむべしと勧められる小説。ボリュームや題材に尻込して手にしないのは、あまりに惜しいと思います。
第二次大戦戦時中の兵士や部隊内の出来事を描いた傑作は多い。大岡昇平「レイテ戦記」「野火」「俘虜記」、五味川純平の「人間の条件」「戦争と人間」、野間宏「真空地帯」や火野 葦平の兵隊3部作などで、それらの多くは最下級の二等兵、一等兵からの視線で描かれ、戦場での苦闘と部隊内での理不尽な迫害を描いている。神聖喜劇も視点は東堂たち二等兵たちだが、描かれるのは軍隊や上官への批判、糾弾ではない。戦争そのものも危機的状況としてよりも日常として描かれる。「軍隊も世間も同じだ」という部落出身者冬木の言葉が示すように、そこにあるのは「世間」であり、そこに付属する人間たちの嫉妬、傲慢、怠惰、怨嗟、卑屈、侮蔑であり、日本社会、もしくは日本精神の典型なのだ。
すごい。これは一体、漫画なのか。漫画の臨界点をほとんど突破しようとしている。
この物語は「この世は真剣に生きるに値しない」というニヒリズムを心に抱いた主人公、東堂太郎が、対馬の重砲兵連隊に入営するところから幕を開ける。しかし、少なくとも漫画版では、そのニヒリズムは、物語の通奏低音とはなっていない。
むしろ主人公の「法的思考」による戦いが、はじめはユーモラスに、やがてはヒロイックなものとして描かれ、それが物語の中心をなしている。
物語中、「軍法会議」なるものが登場する。軍法会議というのは戦前における一種の司法機関(すなわち裁判所)であり、判例も残っている。ただし、それは軍隊内の裁判機関である。(日本国憲法は「特別裁判所」の設置を禁じているが(76条2項)、これは軍法会議を狙い撃ちにした規定だ。)主人公が法的思考を戦わせる舞台は、この軍法会議においてである。この物語はいわゆる「法廷物」ではない。しかし、「法的思考」というものをここまで物語化し得たという意味では、凡百の「法廷物」を抑えて稀有の存在だ。